Thu 210527 延長と問題発言/大教室解体/ナマか映像か6(ウィーン滞在記21)4061回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 210527 延長と問題発言/大教室解体/ナマか映像か6(ウィーン滞在記21)4061回

 こうして、「ナマ授業♡同時生中継」から「完全収録系」への移行の流れが強まった(スミマセン、語り部イマイの長広舌が続きます)。

 

 スタジオみたいな小教室での収録にした方が安全なのだ。ガムや私語や無表情のせいで講師がキレたすれば、授業のクオリティは取り返しがつかないほど下がる。スタジオみたいな小教室なら、そういういリスクはほぼ回避できる。

 

 ナマ中継では、他にもさまざまな問題が発生したのである。全国の画面の前の生徒諸君には、東京本校の大教室の事情はサッパリ分からないが、時には「先生がいきなり退場」などという事態が発生する。画面からセンセが消え、生徒諸君は唖然とするしかない。

 

 怒りのあまり退場するタイプの先生もいたし、「オナカの急降下」という緊急事態でトイレに駆け込んだという事件もあった。その時マイクのスイッチを切るのを忘れて ...... 悲惨な大惨事に発展したことだってある。全国に、まあそういう激しい音と、その後の深い安堵の溜め息が、マコトに生々しく中継されたのである。

 

 中でも一番多かったのは、東京本校の先生方の「勝手な授業延長」による問題発生だった。もちろん同時生中継をしていない普通の授業なら、ある程度の延長は日常茶飯事。中には30分も1時間も延長して平気、「だって生徒たちも喜んでましたよ」などとニコニコしているセンセも少なくなかった。

 

 しかしこれが全国生中継となると、全く話が違う。全国各校舎で、その教室を次の授業のために使用するという予定になっている。東京で延長したせいで、京都と札幌と福岡で大混乱になる。抗議の声が殺到し、東京の教務課はもちろん電話口でペコペコ、意気揚々と帰ってきた先生はたっぷり油をしぼられる。

(2019年12月26日、ウィーン、シェーンブルン動物園にて。何しろ写真が払底した。しばらくは許してくれたまえ 1)

 

 まもなく「欠席者のために、同時生中継をVHSに録画しておく」のもごく一般的になった。やがて昨日書いた「フレックス」がはじまって、後からブースでゆったり受講できるようにもなった。

 

 ところが、何しろアナログの時代だ。録画は手作業から、やがてタイマー録画になる。90分授業だから、全国各校舎の担当者がビデオを90分に設定してタイマー予約する。ところが東京本校の先生がノリノリで授業延長、結局15分延長して講師室に帰ってくると、さっそく教務課の厳しいお小言が待っている。

 

 そりゃそうだ。90分のタイマー録画で、授業が105分なら、ビデオの尺が足りないじゃないか。一番大切と思われる最後の部分がプツッと切れて録画されていない。「どうしてくれる?」「どうしてくれる?」「地方校舎の子は置き去りか?」と、これまた大問題に発展した。

 

「講師の問題発言」なんても少なくなかった。東京本校の閉鎖空間でだけなら、ちょっとした問題発言があっても「なかったことにしましょう」で何とかゴマかせる。でも、全国同時生中継となれば、問題発言は一気に全国へ。しかもバッチシ証拠が録画されていて、もう取り返しがつかない。

(2019年12月26日、ウィーン、シェーンブルン動物園にて。何しろ写真が払底した。しばらくは許してくれたまえ 2) 

 

 この頃からは代ゼミ生以外にも、全国にフランチャズ式の小さな校舎網も広がり、私立高校なんかで「先生も加わって1学年全員が見ています」というケースも増えた。問題発言や先生の突然の怒りやゲリや退場は、その場限りの小事件では済まなくなったのだ。

 

「禁止用語の連発」となると、要するにそのセンセの意識と品位の問題になる。昭和の文学全集を読んでいると、心ない単語や表現の連発に唖然&慄然とするが、それと同じことである。

 

 20世紀の学校教育には、高校でも大学でももちろん予備校でも、一切の多様性を無視した発言を連発するセンセも少なからず存在した。権威も実績もある先生の口から驚くべき単語が連発され、それが衛星中継の電波に乗って、全国に拡散するような事態も多発した。

(2019年12月26日、ウィーン、シェーンブルン動物園にて。何しろ写真が払底した。しばらくは許してくれたまえ 3)

 

 そうでなくても、大教室でのナマ授業に出席する生徒の数が激減し始めた時代である。ナマに出席しなくても、同時ナマ中継がある。ナマ中継に出なくても、ビデオによるフレックスがある。

 

 別に「少子化のせいで生徒が減りました」という時代的・物理的な事情がなくても、授業を受ける手段が多様化しただけのこと。NHKの朝ドラや大河ドラマの視聴率と同じで、再放送やBS放送や「アプリでも見られます」の類いが増えれば、見かけの視聴率が低下するのと同じ仕組みである。

 

 しかし地方校舎で同時ナマ中継の画面を見ていると、東京本校のガラガラ感が気になる。ついこの間まで気持ち悪くなるほど3密&超満員だった超人気講師の授業なのに、講師の目の前はガラガラ、「おや、不人気講師に転落かい?」「一気に人気がなくなったな」と、受講生の方がガッカリするような時代になった。

 

 すると間もなく「大教室の解体」が始まった。2003年、代ゼミ代々木校舎で最大の教室だった400名収容の「63B教室」が、パーテーションで真っ二つに区切られた。150名収容の新63B100名収容の平べったい新63Cである。

 

 これをきっかけに、多くの予備校で大教室の分割が始まり、かつての600名教室は4つに分割、300名教室も3つに分割。そんなメンドーなことをやっているより、一気に校舎それ自体を新校舎に建て替えて、新校舎は80名程度の中教室をスタンダードとするのが主流になった。

 

 しかも諸君、100名収容の中教室でさえ、半分埋まればいい方。受験生の多くは、自宅近くで受講できる映像授業を選択するようになる。時間と電車賃をつかって、緊張感のないガラガラ教室でアクビを繰り返すより、クオリティの高い映像授業を受講するほうが圧倒的に魅力的である。

(2019年12月26日、ウィーン、シェーンブルン動物園にて。何しろ写真が払底した。しばらくは許してくれたまえ 4)

 

 ワタクシ今井が代ゼミから東進に移籍した2005年、ナマvs映像授業の戦いの状況は以上のような変遷を経た頃だった。ナマと映像の決着はほぼついた。映像が勝つのはほぼ間違いない情勢。ただ、それでもまだしばらく膠着状態が続く。

 

 映像の方でも「同時生中継タイプ」ではガラガラ感がますます募っていった。「だって画面に映る教室はガラガラですよ」の状況がほとんど。先生の前に、ほとんど生徒がいないんじゃ、そのまた中継映像を見たら、もっとシラけて当然だ。ガラガラのサッカーや野球や寄席をテレビで見れば、その虚しさがよく分かる。

 

 代ゼミに見切りをつけたのが、2004年12月。東進移籍前の最後の授業は、2005年2月8日「名古屋大予想問題演習」。私大文系志望者が圧倒的に多い東京代々木の教室で、「名古屋大予想問題」の教室がガラガラになるのは余りにも当然だ。

 

 150名入る73B教室に、20名足らずの受講生。それを見て、名古屋の受験生がどれほどシラけたか、想像に余りある。最後の授業終了後、しょんぼり代ゼミを後にして、西新宿のレストランでランチを楽しんだ後、いきなりヨーロッパ40日の旅に出た。

(2019年12月26日、ウィーン、シェーンブルン動物園にて。何しろ写真が払底した。しばらくは許してくれたまえ 5)

 

 東進移籍の初日、教務課の担当者に「教室に生徒を入れますか?」「それとも完全に先生1人だけで、スタジオ収録形式にしますか?」と尋ねられた。まだ他の先生方は「目の前に生徒がいないと力が入らない」とおっしゃって、5人か10人の生徒を目の前に座らせて授業を収録していた。

 

 つまり無理やりにでも「生徒に当てて答えさせる」「質疑応答の場面を作る」という従来型の映像授業にするわけだが、映像で客観視するとやっぱり「不人気講師かい?」「それしか生徒が集まらなかったんかい?」とツッコミを入れたくなる。

 

 そこで2005年春、東進移籍後初めての授業収録の時、ワタクシは「完全スタジオ形式にします」「目の前に生徒は1人も必要ありません」とキッパリ申し出た。すでに代ゼミのスカパー授業150回をその形式で制作した経験があり、「生徒ナシの収録」には自信があった。

 

 それが伝説の「C組」「B組」になった。以上のような経緯をじっくり読んでいただければ、2005年「C組」「B組」収録時の今井にどれほど熱く濃厚な気合がこもっていたか、しみじみ理解していただけると信じるのである。

 

1E(Cd) Holly Cole TrioBLAME IT ON MY YOUTH

2E(Cd) Earl KlughFINGER PAINTINGS

3E(Cd) Brian BrombergPORTRAIT OF JAKO

4E(Cd) John ColtraneIMPRESSION

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