Fri 210305 北野の梅/大学入試英語への弔鐘/しょんぼり/カウントダウン1/3999回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 210305 北野の梅/大学入試英語への弔鐘/しょんぼり/カウントダウン1/3999回

 いま福岡にいる。昨日の朝は名古屋にいて、昼には大阪で串カツ20本を貪り、仕事のない移動日だったので、真っ昼間からロックの麦焼酎を6杯飲み干し、店員さんたちは驚嘆して天を仰いだ。せっかくだから博多行きの新幹線で赤ワインの小瓶を2本。おかげで岡山から小倉まで2時間、たっぷりの睡眠をとった。

 

 それにしても、ホテルの極端な自粛ぶりが印象的だ。昨日は名古屋のマリオット、今日が福岡のANAクラウンプラザホテル。ホテル内の飲食店はほとんどが閉店中。昼も夜もホテル内で食事をするのはほぼ絶望的であって、20時を過ぎれば連夜のコンビニ食を覚悟するしかない。

     (2月20日、京都に梅を見に行った 1)

 

 一方の飲食店は、そりゃ店によるのかもしれないが、若い従業員の皆さまにだいぶ緩みが広がっている。マスクからは、思い切り鼻がはみ出ている。鼻の思い切り突き出したお顔で、調理場でも大声でコミュニケーションをとっているし、数人が壁にもたれて雑談にふけっていたりする。

 

 名古屋の昼食に有名な味噌トンカツ屋に入った。1人だから調理台の前のカウンターに陣取ったが、いやはやその席はまさに飛沫感染の危険性の真っただ中。鼻マスクの従業員諸君が腹の底からの大声でコミュニケーションをとっている。

 

「ロースカツ定食、普通盛り一丁!!

「オーダー入りました!!

「生・中、フタ杯!!

むかしならマコトに威勢のいい情景であるが、ワタクシがせっかくの「特大ヒレカツ定食」をワシワシ上機嫌で味わっている頭上で、目いっぱいの飛沫が飛ぶわ&飛ぶわ、途中から恐ろしくなって、ヒレカツを飲み込むスピードが速くなった。呑気に咀嚼に励む気になれなくなったのである。

     (2月20日、京都に梅を見に行った 2)

 

 さて、4000回へのカウントダウンはついに「1」。次回はいよいよ4000回達成である。「ホントにこの日が来るなんて」の感慨は深い。「NHKの近江アナ」と言ふヒトも今ごろ同じ感慨に浸っておいでと思ふが、真面目にコツコツ積み上げていれば、とうとうその日はやって来るのである。

 

「ホントにこの日が」の感慨は、2018819日と20日にも記している。1991年に河合塾と駿台予備校の講師を始めて以来、ワタクシは6月初旬の雑談として一貫して「金足農」を取り上げてきた。「いつか必ず金足農が甲子園の決勝に進出するだろう」という中身に、30年来の生徒たちは明るく爆笑を繰り返してきた。

 「Sun 180819 この日がホントに来るなんて/追い詰めた日々/応援よろしく 3701回

Mon 180820 この日がホントにPart2/明日は仕事で観られない/憧れの一瞬 3702回

 

 ということは諸君、今の受験生の親の世代から延々、ワタクシはあの甲子園の奇跡を予言し続け、2年半前の夏に「この日がホントに来るなんて」と深い深い感慨にひたり、あの日のブログのアクセス数は18419、惜しくも2万には届かなかったが、今日で3999回目を迎えるこのブログの中で最高の数字を記録したのである。

(2月20日、京都に梅を見に行った 3 城南宮にて。真ん中にメジロが写っている。拡大して見てくんろ)

 

 もう2週間も前のことになるが、2月20日のワタクシは広島出張の帰りに京都に立ち寄った。広島から京都は「のぞみ」に乗れば1時間半ちょい。ちょうど梅が3分咲きから5分咲きの頃で、大好きな北野天満宮にお参りするのにぴったりの快晴の日だった。

 

 京都駅南口でMKタクシーに乗り、運転手さんに「北野天満宮まで」と告げると、なかなか老練な味わい深い口調で「梅なら、今は城南宮の枝垂れの梅がキレイですよ」と返された。

 

 城南宮は、3年前の10月、秋祭りの日に訪ねたことがある。あの時はお神輿に接近し過ぎて危うく踏みつぶされそうになった。鳥羽・伏見の戦いの現場のすぐ近く、地下鉄の竹田駅から徒歩で10分。濃厚濃密なラブホ街をつっきっていかなければならない。

 

 それはさすがに億劫だから、運転手さんに「ではまず城南宮へ。1時間ほど待っていただき、その後そのまま北野天満宮までお願いします」と告げた。いわゆる「貸切」である。

     (2月20日、京都に梅を見に行った 4)

 

 2月20日の京都はまだ「緊急事態宣言」が継続されていたから、観光客はぐっと少なめ。3年前の秋祭りの賑わいとはまるで雰囲気が違う。梅とツバキが目当ての人々がちらほら、5分咲きの枝垂れ梅の花に数羽のメジロが戯れてマコトに麗らかな早春の景色であった。

 

 洛南から一気に北野天満宮まで北上して、ここもまた麗らか。北野の梅は昨年も眺めにやってきた。どうやらこれは今後も早春のワタクシの定番になりそうだ。それどころか諸君、考えてみれば昨年12月にも、ここの御土居の紅葉を見にやってきたばかりなのである。

 

 何と言っても、学問の神様だ。2月下旬の予備校講師なら、やっぱり天神様にお参りして受験生の幸運をお祈りしなきゃいかん。もちろん神さまや仏さまにお願いしたりしなくても、今井の授業を受けた生徒諸君なら自分の力だけでナンボでも第一志望に合格できるはずだが、ま、一応は礼儀を尽くさなきゃいけない。

     (2月20日、京都に梅を見に行った 5)

 

 ついでにワタクシも4000回達成に接近するにあたり、天神様にお伺いしておきたいことがあったのである。天神様は激怒なさっているのではないか、新共通テスト英語のママゴトぶりに激怒なさって、そこいら中にカミナリでも落とすんじゃないか。それが心配だったのである。

 

 天神様の怒りは、マコトに恐ろしい。前途洋々たる18歳の青年たちに、あれほど情けないコマギレの文章しか読ませなかった事実が天神様のお耳に入ったら、きっとそろそろ遠くのお空にゴンロ&ゴロゴロ、重苦しい遠雷が轟き始めているんじゃないか。

 

 むかしむかし研究社出版から「高校英語研究」という月刊雑誌が出ていた。高級な英語雑誌「英語青年」「時事英語研究」の姉妹誌という位置付けで、有名な予備校講師を中心に、気鋭の大学教授も含めて10名ぐらいが記事を連載した。

 

 表三郎・奥井潔・伊藤和夫・山口紹・大島保彦・里中哲彦・丹羽裕子・宮崎尊(敬称略)。当時の錚々たるビッグネームにワタクシも1度だけ混ぜていただき、あんまり嬉しくて「英文速読の方法序説」というタイトルで記事を書いた。いやはや、まさに若気の至り。今となっては恥ずかしくて知らんぷりを決め込むしかない。

 

 しかし4半世紀前の受験生たちは、夢中であの雑誌を読んでくれたのである。センター試験やら、その前身の共通一次試験のレベルから考えれば、全く必要のないような高尚で高級な議論やら、難解なトリビアの類いやらを、あえて月刊雑誌を定期購読してむさぼり読んだのだ。

Wed 110629 7月3日、鹿児島で講演会 1997年の生徒が雑誌をもって挨拶にきてくれた

 

     (2月20日、京都に梅を見に行った 6)

 

 もちろん当時も「そんなのかんけーねえ」という受験生が多数派。そんなのより「センター試験でどう高得点を取るか」が話題の中心で、「センター試験英語」の担当講師の人気が圧倒的に高くなる。そのお先棒を担いだのもワタクシ。河合塾でも代ゼミでも東進でも、長くセンター試験英語を担当してここまできた。

 

 その流れの中で「高校英語研究」の廃刊が決まった。伊藤和夫師がご存命だったから1996年のことだったと思う。廃刊に寄せて伊藤先生が「大学入試英語への弔鐘」というタイトルの1文を掲載された。

 

 その翌年に伊藤先生が、続くように奥井先生も天国に旅立たれ、まさに「弔鐘」、センター試験英語のお先棒を担いだ今井こそ、その弔鐘を鳴らした張本人の1人だったのかもしれない。

 

 だからワタクシは心配なのだ。「弔鐘」はすでに共通一次の頃から鳴り始めていた。センター試験の30年は、このワタクシも参加して弔鐘をグワラン&グワラン得意げに打ち鳴らし、そして今度の共通テストがトドメの1発になっちゃうんじゃないか、それが恐ろしい。

     (2月20日、京都に梅を見に行った 7)

 

 だってこれじゃもう、英語の授業がつまらなくなっちゃう。かつてはあんなに受験生たちに大きな影響を与え続けた予備校の英語の授業に、知的感動なんか期待できない。英語の授業にカントもヘーゲルもウェーバーもチョムスキーも登場しないんじゃ、奥井先生の授業に出たって何の意味もない。

 

 それでも今井君は懸命に工夫し、センター試験の授業にも金足農のミラクルの予告やら、球形をした柔らかな優しい知性の話やら、シェイクスピアやらゴーゴリやら、島崎藤村やら内田百閒やら、若干の知的刺激を毎回1話盛り込んで「高校英語研究」の精神を微力ながら支えてきたつもりである。

 

 しかし共通テスト、「複数データ情報処理系」「馬になった牛」「人工甘味料いろいろ」「3駅しかない時刻表」「サマリー選択系」「USBメモリなくしちゃった」の世界に、一体どうやって知的刺激を求めるんだ?

    (北野天満宮にて。牛君にも挨拶してきた)

 

 超ベテランになったワタクシが一番心配しているのは「これじゃもう優秀な講師は育たないなんじゃないか」ということである。こんな素材を相手にして、どんな優秀な講師を必要とするんだ?

 

 センター試験が前面に出てきた1990年代以降、有名講師の入れ替わりはほとんど目撃していない。若手がほとんど育たない。亡くなったりヤメちゃったりした人を除けば、1990年代のビッグネームが4半世紀経過した今もなおトップに君臨して、「颯爽と登場したフレッシュな若手講師」が話題に上ることは少ない。

 

 やっぱり素材が大事なのだ。「冷めたカップラーメンの早食いコンテスト」が前面に出れば、「ほれ急げ」「とにかく急げ」と連呼する以外に予備校講師の仕事はなくなる。その仕事に魅力を感じる若い先生もいなくなる。「弔鐘」はますますガンガン鳴り響き、やがて鳴らす必要さえ消滅する。

 

 4000回達成を目前にして、今井はいまだにションボリ落ち込んでいる。天神様の遠雷ばかりか、伊藤先生や奥井先生にもカミナリを落とされて、「キミはいったいこの4半世紀、何をやってきたのかね?」「キミの努力が足りないので、ある!!」と叱られているような気がしてならないのだ。


(再び「寺町ハンバーグ」。今井はこれからもこういうタップリ&ムッチリな授業を続けていく)

 

 最後に、「しょんぼり」の原因をもう1つ。広島駅新幹線ホームの立ち食い蕎麦屋が「閉店いたしました」「長いご愛顧に感謝いたします」の貼り紙を残して店を閉じてしまった。広島出張のたびにお世話になった懐かしい店である。

 

 広島から岩国の錦帯橋を見に行く朝に「蕎麦に無条件でネギを載せるかどうか」で店員のオバサマと楽しく語り合ったことがある。「そうですよね。ネギが嫌いな人だっていますからね」と、笑顔で頷いてくれた。立ち食い蕎麦屋で雑談に花が咲くなんてのは、なかなか経験できないことだ。

 

 しかも諸君、その半年後に店に寄った時、オバサマは今井君を覚えてくれていて、「あれから必ず、ネギを載せるかどうかを、お客さんに確認するようにしてます」と言ってくれた。あの店が、なくなった。そりゃションボリして当然である。

 (広島駅新幹線ホームの立ち食い蕎麦屋。閉店してしまった)

 

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