Wed 110629 7月3日、鹿児島で講演会 1997年の生徒が雑誌をもって挨拶にきてくれた | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Wed 110629 7月3日、鹿児島で講演会 1997年の生徒が雑誌をもって挨拶にきてくれた

 7月3日日曜日。講演会は14時から、会場は鹿児島大学。実はこの翌日から鹿児島は1日で400mmもの豪雨に襲われるのだが、この日だけはフシギに快晴。強い南風が吹いていたけれども、素晴らしい講演会日和になった。
 出席者90名弱。高1高2限定だから、この出席者数はなかなか立派である。しかし今井君が残念でならないのは「何故この時期に高1高2限定でなければならないのか」である。高3の受講生が可哀想でならないのだ。
 高3生の中に、講演に出たくて出たくて、我慢できないほどウズウズしている生徒たちは、数えきれないほどたくさん存在する。彼ら彼女らは、もう1年も2年も今井君の授業を受けて、今や今井の深みにハマリにハマっている。
 いつもは画面でしか見られない今井がすぐ近くまで来ているのに「ダメダメ。今回は高1高2限定。そんなことより、高3生は勉強&勉強」と言って追い返されてしまう。普段は理解力のカタマリであるクマ蔵も、これだけはどうしても理解できない。
 いいじゃないか。高3の受験生だって、7月上旬の日曜の午後、90分だけいつもの地味な勉強から離れて、今井と一緒にデッカい口を開けて笑おうじゃないか。高3生が出席すれば、後輩の高1高2生もどんどん集まって、出席者数はあっという間に500名に膨らむだろう。
鹿児島1
(鹿児島で語りまくるクマ蔵 1)

 鹿児島に限らず、これからおジャマする長崎県島原でも、兵庫県姫路でも、沖縄県那覇でも、新潟県長岡でも、神戸でも高松でも熊谷でも沖縄でも「いったい誰のイベントがあるんですか?」と皆がビックリするほどの大イベントにすることは、困難ではない。
 「SMAPでも来るんですか?」まで、あと1cm。喫煙騒動の何とかジャンプになら、勝てるかもしれない勢い。それが身長172cm座高100cmの超々短足クマどんなら、マスコミも飛びつかずにいられない一大イベントである。うーん。鹿児島の高3生諸君には済まないことをした。同じことは、7月2日の福岡の高3生にも言える。
鹿児島2
(鹿児島で語りまくるクマ蔵 2)

 さて、鹿児島であるが、出席者の半分をラサール高校の生徒が占有しているというのも大したものである。「90名弱のうちラサールが半分」ということは、ラサールだけで40人を超えている。鹿児島の公立トップ校・鶴丸からも、サッカーや野球やラグビーで全国に名を馳せる超名門高校からも、たくさんの参加があった。
 生徒は最初から浮き足立っているし、担任や担任助手の諸君も浮き足立っている。何に興奮しているかと言うに、普段は画面で踊りまくり歌いまくっているあのクマ蔵が、とうとう鹿児島の自分の目の前で語り始めるだろう、そのことに激しく浮き足立っているのである。
 その浮き足立った様子に、とうとうクマどんまで浮き足立った。大拍手とともに入場すると、目の前の受験生たちが浮き足立っているのが、余りにも如実にわかるのだ。これで浮き足立たなかったら、ほとんど冷血動物ナミに冷静な、マコトに珍しいオカタである。
鹿児島3
(鹿児島で語りまくるクマ蔵 3)

 この状況で、いつもの講演会ではなかなか話さない「8マンとゴレンジャーを比較する」「気がつくと、周囲がみんな灘高生だった話」「ヒマならドイツ語をやりたまえ」など、モトモト予定になかった話題まで講演に盛り込んでしまった。
 おかげで、この日の講演会は7分延長。いつも「90分ピッタリで芸術的に終了」をモットーにしている今井君だから、ホントに珍しいことである。他の校舎や会場で今井講演会に参加する諸君、キミたちも是非バンバン興奮して、浮き足立った様子を見せてくれたまえ。気のいいクマ蔵はあっという間にその雰囲気に飲まれ、諸君以上に盛り上がり、滅多に聞けないとっておきの話題を話しはじめるだろう。
鹿児島4
(いつもは語らない「気がつくと周囲はみんな灘」の逸話)

 終了後、講師控え室に「大昔の生徒ですが」という男性職員が訪ねてきてくれた。1997年、今井君が駿台から代ゼミに移籍した年に、代ゼミで今井の単科ゼミ「総合英語」を受講していたというヒトである。おお、懐かしの73A教室。初年度から「満員締め切り」の記念すべき講座だ。
 「総合英語」は「上級レベルA組」の前身。1997年までの代ゼミは「講師全員横並び」で、単科ゼミは全て「総合英語」か「基礎強化英語」。今みたいなアッと驚くネーミングになったのは1998年からで、今井君は「総合英語」を「A組」に、「基礎強化英語」を「中級レベルB組」に、それぞれ改称したのである。
 そういうワケで、1997年には富田・西谷・西・木原の各先生がたと移籍直後のボクチン今井までが「BIG5」と呼ばれ、「総合」「基礎強化」の2講座を担当。いろいろな佐藤先生たちが「基礎強化」だけを担当していた。「いろいろな佐藤先生」は4人も5人もいらっしゃったから、ここに詳しく書いているスペースがない。
表紙
(今井の特集記事が出た「高校英語研究」1995年1月号)

 太古の昔の生徒だけに、さすがに既にすっかりオトナの貫禄に満ちていたが、1997年の生徒ということになれば、懐かしさもヒトシオである。震えている彼の手には、研究社出版の今はなき雑誌「高校英語研究」の1995年1月号が。今井クマ蔵が初めて登場した懐かしい雑誌である。
 目次には、奥井潔、伊藤和夫、宮崎尊、入不二基義、大島保彦の各先生がたなど、大先輩の名前がズラリ。当時は表三郎師・山口紹師・丹羽裕子師・里中哲彦師など、各予備校の大スターもこの雑誌に連載中。この大舞台で、いきなり特集記事を書かせてもらえる感激は大きかった。
 張り切りすぎて、少なからず乱暴な記事になったのも確かである。「コンマ1つで大騒ぎするバカバカしい英語教育を嘆く」という内容。編集者によれば、伊藤和夫師は今井の記事のあまりの乱暴さに激怒されたとのこと。他にも、激高するヒト、激賛するヒト、悲喜コモゴモとはよく言うが、怒りと賛同がコモゴモの、この世界では歴史的な記事になった。
目次
(高校英語研究1995年1月号の「目次」。予備校講師になって、まだ4年半。大先輩をさしおいて、得意の絶頂だった)

 駿台関西の「大物」だか「ドン」だかで、確か「大田先生」とかいう名前のオカタが、激怒ついでに「こんなヤツが予備校で教えているから日本の英語教育はダメなんだ」「コンマこそ英語の真髄だ」「コンマなしに英語は成り立たない」と慨嘆なさったのを今でも記憶している。
 「シンプルクッキング英作文」という悪くない参考書もあった。受講者は多くなかったにせよ、単科講座「英語よくばり十字軍」も担当なさっていた。もっとも、彼はその当時「大物なのに、人気は…」というオジサマ。今井君を攻撃しようとして、かえって彼自身が傷ついてしまったようだ。マコトに申し訳ないことをした。せっかく同じ「高校英語研究」の翌々月号にバッチシ今井批判を書いたのに、あれから15年経過してみると、話の帰趨はほぼ明らかである。
方法序説
(タイトルは「英文速読の方法序説」。まさに「若気のいたり」である)

 いろいろなことで感激の中、鹿児島大学からお食事会の会場に移動。鹿児島中央駅前の名門料亭「石原荘」である。玄関に女将が出てきて名刺を差し出したり、個室の前で仲居頭のオバサマが「三つ指ついてお出迎え」だったりして、クマ蔵どんはエラい緊張の2時間を過ごした。
 19時、宿泊先の「城山観光ホテル」に入った。緊張し過ぎのせいか、講演で張り切り過ぎのせいか、この夜から2~3日、キツい夏風邪に悩むことになった。7月7日現在、熱も喉の痛みも咳も全て治まり、これからの講演会にも、21日からの河口湖合宿にも、一切支障はなさそうだから、ご安心いただきたい。

1E(Cd) Tommy Flanagan Trio:SEA CHANGES
2E(Cd) Art Blakey:NIGHT IN TUNISIA
3E(Cd) Walt Dickerson Trio:SERENDIPITY
4E(Cd) Surface:SURFACE
5E(Cd) Surface:2nd WAVE
total m145 y610 d6575