Fri 201002 金沢の大盛況/単独懇親会を老舗高級料亭「金城楼」で/輪島へ 3968回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 201002 金沢の大盛況/単独懇親会を老舗高級料亭「金城楼」で/輪島へ 3968回

 9月28日、金沢で公開授業。ただし今回の会場は金沢市の南に接する野々市(ののいち)という小さな町なので、例年のこの時期、金沢駅前の夢のように豪華なホテル大広間で実施する大講演会とはワケが違う。出席者160名。19時開始、20時半終了。マコトに落ち着いた雰囲気の、グッと堅実な公開授業になった。

 

 しかも諸君、東進の方針で今もなお「懇親会はナシ」または「原則として禁止」。教育産業である以上、生徒諸君は言うに及ばず、講師や職員が感染する危険性も全て排除しなければならない。

 

 というわけで、金沢の仕事はマコトに素直に大人しく、まさに「粛々と」幕を閉じてサッサと東京に帰るはずだったのであるが、何しろ諸君、そこは徹底したキカン坊の今井君だ。せっかくの金沢、たとえ単独でも「単独祝勝会」やら「単独Go to」を企画しなければ気が済まない。

 

「単独で懇親会」と言ふことになれば、いったい「誰と懇親に及ぶのか」「誰と仲良くなるか」が焦点であるが、何も難しいことはない、自分自身と懇親し、自分自身と仲良くなるのである。

 

 他者と仲良くなるのはもちろん楽しいに違いないが、人生で間違いなく一番大切なのは、自分自身と仲良くなることであり、何より楽しいのは、自分自身と懇親会や祝勝会を重ねることである。

 

「自分自身との懇親会」ならば、時間も金銭もケチケチする必要は全くない。1年に数回しかない自分自身との懇親会だ。古都金沢でも有数の老舗料亭に連絡し、わざわざ個室まで予約して、築100年を超える歴史的建築の真っただ中で加賀料理の粋を味わうことにしたのである。

(金沢一の老舗高級料亭「金城楼」のお座敷から、美しい庭園風景を満喫する)

 

 金沢で一番好きな店は東茶屋街の近くの「山の尾」であるが、「山の尾」は過去2年で2回も訪問している。今回「懇親会はありません」の連絡を受けた直後、ワタクシは思い切って「金城楼」を予約した。タクシーの運転手さんも思わず緊張するほど、格式と敷居の高い料亭である。

 

 担当の仲居さんは、ワタクシより一回り半ほど年上の優しいオバサマである。料亭の故事来歴やら、次から次へと運ばれる加賀料理の詳細な説明やら、とにかく熱心に耳を傾けるうちに、オバサマの口から生粋の加賀方言が次々に飛び出し始めた。

 

 今井君ほどの年齢になれば、金沢を舞台にしたドラマやら映画やらもたくさん知っている。小説を読んでも言葉のナマリまでは分からないが、映画や上質なテレビドラマなら、単語やイントネーションの訛りに接することもできる。

 

 NHKの朝ドラなら「北の家族」、映画なら「陽炎座」(1981年)「ゼロの焦点」(1961年・2009年)。金沢は長きにわたって関西文化圏だから、語尾の揺らし方にも関西のカホリがたっぷり染み込んでいる。

 

 1961年の「ゼロの焦点」なら有馬稲子、2009年の「ゼロの焦点」なら木村多江が演じた、「田沼久子」という名の女性の発音をよく聞いてみたまえ。センテンスのラストを何度か高く低く揺する調子がマコトに独特だ。

 

 ワタクシの耳に強烈に染み込んでいたそういう加賀言葉のイントネーションを、「金城楼」の優しいオバサマの口から直接に聞くことができて、いやはやこの上なく光栄であった。

 

 日本の人々は、地域の訛りを余りに軽率に捨ててしまいつつあるのだ。東北に行っても、東北弁なんか耳にすることはマレである。九州でも四国でも、中高年の人からでなければ地域独特の言葉を味わうことができない。秋田弁なら新首相の口からナンボでも飛び出してくるが、若い秋田人の秋田弁なんか、聞けることはまず考えられない。

     (金沢駅西口に立つ「郵太郎」の勇姿)

 

 こうして、単独懇親会は大成功。地域の人々と仲良くなればなるほど、自分との仲も加速度的に良好になって、ワタクシはどこまでも上機嫌になり、楕円の笑顔はますます円熟し、すると昔のように不機嫌な顔で他者を舌鋒鋭く攻撃することもなくなり、他者を傷つけて陶然とするような馬鹿げたこともしなくなる。

 

 地方に出かけて、ある程度以上の年齢の人と仲良くなるには、高校野球とお相撲の話題が何よりである。地元力士の話をすればオジサマもオバサマも確実に話に乗ってくれるし、甲子園での地元チームの活躍に触れれば、まず間違いなく座は熱く盛り上がる。

 

 昨年の石川県なら、星稜高校の準優勝の話から始め、何しろ今井君はそのへんの知識が豊富だから、20年も30年も前の名選手の名を挙げているうちに、「その人なら子供時代の友達です」などということになったりする。

 

 愛媛の新居浜で講演会があった時、1975年・新居浜商の準優勝の話をした。決勝の相手は千葉の習志野高校、前ヤクルト監督の小川淳司投手を相手に、新居浜打線も全くひるむことなく4−4、最終回にサヨナラ負けを喫したが、セカンドの名選手・大麻(おおあさ)の攻守が印象に残った。

 

 すると諸君、その大麻選手ご自身が、生徒の保護者として会場にいらっしゃったのである。いやはや驚くじゃないか。40年も前の甲子園の話をしたら、まさにその名セカンドが目の前でニコニコしていらっしゃった。

(金沢「金城楼」の単独懇親会で、自分自身と仲良くなる 1)

 

 金沢で、しかもワタクシの一回り半ほど年上のオバサマがお相手なら、高校野球よりお相撲の話題がいいだろう。小結「遠藤」も前頭「輝」も石川県出身だから、その辺から入っていくこともできるが、ワタクシが選んだのは何と「石川さゆり」という名の演歌歌手であった。

 

「は?」「何で?」であるが、NHK大河ドラマ「麒麟が来る」で明智十兵衛光秀のママを熱演しているあのオバサマでござるよ。「それがどう金沢やお相撲と繋がるんだ?」については、石川さゆりどんの「能登半島」は1977年のヒット曲。北島三郎「加賀の女」とともに、石川県の2大ご当地ソングである。

 

 石川さゆりどんご自身は熊本県出身だから、金沢とはなかなか繋がりがつかないが、驚くなかれ、劇的な幕内優勝を果たして大関昇進を決めた「正代」の親戚だというのだ。「正代の母方のオバーチャンの、兄の、妻の、妹の、娘」と言ふんだから諸君、その驚くべき親戚っぷりも格好の話題になるじゃないか。

(金沢「金城楼」の単独懇親会で、名物「治部煮」に舌鼓をうつ。治部煮に鴨が入った「鴨治部」である)

 

 正代については、今から数年前にこのブログでも話題に取り上げた。ワタクシは普段この力士を「まさよ」「まさよ」と呼んで、下積みの頃から注目してきたのである。

Thu 151029 大横綱・北の湖の思い出 弟子・北太樹の一戦に涙する カタキ役の心の中

 

 しかも正代は熊本県宇土の出身だ。この15年、宇土にも何度か公開授業で訪れた。夜になると駅前の灯りがほとんどなくなる宇土の街であるが、熊本地震のあと最初に熊本入りした時も、講演会場は宇土だった。ますます愛着が濃いのである。

Mon 160613 九州新幹線混雑/大地震の被災地・熊本に入る/熊本県宇土の大盛況

Tue 160614 祝勝会☞懇親会に呼称変更/魔王8合の饗宴/魔王乱舞/博多経由で帰京

 

 なお、「正代」という姓の人は熊本には多く存在するらしい。もう10年以上前になるが、「正代賢司」という名の名剣士が熊本から出て、全日本剣道選手権で優勝したことがあった。NHKで実況放送されていたのを、偶然見ていたのを記憶している。

(Go To 輪島。とっくの昔に廃線になった国鉄・七尾線の終点、輪島駅にて)

 

 まあ、いいか。こうしてお相撲の話題に入り、正代から遠藤、遠藤から輝、金沢の訛り懐かしいオバサマと話が盛り上がれば、当然のように昭和の名横綱・輪島が登場する。石川県七尾市出身、花籠部屋。金色に輝くマワシ。黄金の左から繰り出す強烈な下手投げに下手出し投げ。ライバル北の湖と毎場所千秋楽の大熱戦を演じた。

 

 こうして諸君、輪島の思い出に耽るうちに、今井君の頭の中には「明日は能登半島をどこまでも北上して、能登の北の果て・輪島の町に行ってみよう」という大胆不敵なアイディアが浮かび上がってきたのである。

 

 輪島といえば朝市。朝市は11時だか12時までだかだったから、金沢駅西口を朝7時半に出発する路線バスに乗らなければならない。いつまでもお酒を飲んでいたい身にしてみればツラい早起きであるが、せっかくの金沢だ。自分自身とこれほど仲良くなった翌日なら、早起きもそんなに困難ではないはずである。

 

1E(Cd) Stan Getz & Joao GilbertoGETZGILBERTO

2E(Cd) Keith Jarrett & Charlie HadenJASMINE

3E(Cd) Ann BurtonBLUE BURTON

4E(Cd) Harbie HancockMAIDEN VOYAGE

5E(Cd) Miles DavisKIND OF BLUE

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