Tue 190305 年度末の思ひ出/ヒーローたちの進路(京都すみずみ30 最終回)3809回 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Tue 190305 年度末の思ひ出/ヒーローたちの進路(京都すみずみ30 最終回)3809回

 今日の東京は暖かい。日向に出ると、むしろ「暑いな」と感じるぐらい。つい3〜4日前まで過ごしていた南フランス、モナコやニースやマントンにも負けないぐらいの暖かさである。

 

 一昨日と昨日はずっと冷たい雨が降って、暖房のきいた部屋にいてもブルブル震えるほどだったから、このポカポカ陽気はマコトにありがたい。

 

 気がつけば、すでにツクシやオオイヌフグリの季節は終わろうとしている。中学校も高校も軒並み期末試験ないし学年末試験。入試やら合格発表やらでみんな超多忙だ。12月は師匠も忙しく走り回るから「師走」なわけであるが、今やホントの師走は3月なんじゃないか。

  (京都の「お練り」は、舞妓さんたちが先導する)

 

 これほど無遠慮に海外を歩き回っていれば、もはや「時差ボケ」とか「ジェットラグ」などと言ふ古風で脆弱な悩みは今井君には存在しない。今日も元気に朝5時に起きて、これから函館に向かうのである。

 

 ただし諸君、どんなに東京や南フランスが暖かくても、さすがに北海道となると油断はできない。むかしむかし今から30年も前には、北海道スキーといえば3月がピークだった。30年前の今井君は、毎年3月5日あたりから1週間、ニセコかサホロに滞在を続けたものである。

 

 当時の北海道の3月は、まさに厳寒の極。雪解けはいったいいつになるのか、夜明けの川からはもうもうと白く湯気が上がり、静かな朝にはダイアモンドダストが舞って、名寄や旭川や岩見沢は豪雪の真っただ中。「亜寒帯」という言葉がピッタリの風景がどこまでも続いた。

(京都・糺の森。昨年秋の台風で、ここも大きな被害を受けた)

 

 だから諸君、今井君の世代から見ると、今の3月の北海道こそ温暖化の「不都合な真実」の典型に思えるのだ。豪雪の風景の中で貪るからこそ、ジンギスカンは旨かった。外が氷点下10℃に迫る吹雪だからこそ、味噌ラーメンの濃厚さが嬉しかった。

 

 ところが今朝は、これから函館に向かうというオウチの玄関で「パッチは必要だろうか」「雪用の深い靴を履いていく必要があるだろうか」「むしろパッチなし、普段のツルツル底の革靴の方がよくないか」、そんなことを考えていたのである。

    (京都・下鴨神社。台風の被害は甚大だった)

 

 ま、そんな年度末だ。年度、英語で言えば「fiscal year」または「business year」または「financial year」。3月31日をメドに、学校の学年も、企業の会計も、厚生労働省の統計も、みんな大事な節目を迎える。

 

 ワタクシは、1231日の「紅白」「ゆく年くる年」でオシマイの1年とか、1月1日の初詣でマコトにおめでたく始まる1年が、どうもピンとこない。きっと全てが余りにおめでたすぎるんだと思う。

 

 オモチにヤッコダコ、カルタにお雑煮にあんころ餅、おめでたいことが多すぎて、しっかり「区切りの悲哀」を味わえない。特にこの15年、1230日まで海外にいることがほとんど、早くも1月3日には大阪に文楽を見に行くのが決まりだから、とても「区切りの悲哀」どころではない。

(京都・聖護院。京都大で「応用をやるには、基礎をやれ」の名言を発見、その感激もさめやらぬうちの訪問だった)

 

 いっぽう諸君、3月は悲哀と歓喜でいっぱいだ。期末試験と合格発表と卒業式がズラリと並べば、それこそ「悲喜こもごも」、その言葉の使い方でチコちゃんやら何やら難しい話をしたがる人は少なくないが、悲喜こもごもワンサと絡まりあって、「やっぱり区切りはこうでなきゃ」の実感が、去年と今年を「貫く棒のごときもの」とともに湧き上がる。

 

 高校3年の3月5日、18歳の今井君は東京にいた。東京大学の1次試験が3月3日にあって、その発表が3月6日だった。「東大が無理でも、どうしても合格しておかなきゃ」と考えていた早稲田大学政経学部の発表も3月6日だった。

 

 11月に初めて受けた模擬試験の偏差値が43.9だった男としてはマコトに生意気な発言であったが、それでも3月6日、東大1次も早稲田政経もともに軽々と突破、「当然じゃん?」とニヤニヤしながら、3月8日と9日の東大2次本番に向け、なぜか神田神保町の古本屋街をぶらついたりした。

 

 3月8日は母校・秋田高校の卒業式でもあって、東大の1次試験を突破してしまうと卒業式には出席できないスケジュールになっていたが、もちろんそんなの致し方ない。神保町で数冊の古本を購入、その中に「ギリシャ悲劇全集」なんてのも含まれていたのだから、今考えると自分ながら恐れ入る。

 (京都三条・だん王。正式名称は「檀王法林寺」である)

 

 昭和の昔はマコトに恐ろしい時代であって、東大2次の発表が3月20日、次の志望だった東京外国語大学の試験本番が3月23日。しかし第4志望の駿台予備校が、入学試験を3月11日に設定してくる。当時は冗談に「東大より難しい」とまで言われた駿台の入試だったが、とりあえず合格しておいた。

 

 ワタクシの少年期最後の年度末は、まあそんなしっちゃか&めっちゃかをやっていた。読者諸君のような、キチンと整理のついた品行方正な年度末とは、全く様相を異にするのである。

      (お練りの列に、いだてんの姿も)

 

 さてやっぱりこの辺で、自分の2018年度を振り返っておきたいじゃないか。またまた旅に明け暮れたマコトに充実した年度であって、旅の頻度に拍車がかかったと言っていい。海外については、中南米もアフリカもないのは残念だが、合計9週間もヨーロッパをほっつき歩いていた。

 

 国内の旅はもう何が何だか分からないほどであって、文楽を見るためだけに大阪に3回も旅したかと思えば、沖縄への旅も4回を数えた。吉野の桜を見たかと思えば、淡路島にもわたり、四国の大歩危&小歩危も踏破した。鵡川に音威子府に北見、北海道も縦横無尽に歩いた。

 

 祇園祭・山鉾巡行を含め、京都には合計16日も宿泊した。長々と書いてきた「京都すみずみ」も今日で最終回とするが、合計16日で巡った寺社は次の通りである。いやはや、この長い一覧表、メンドーだったら飛ばしてくれたまえ。

 

圓徳院高台寺・摩利支天・恵比寿神社安井金比羅社六道珍皇寺愛宕念仏寺・直指庵・大覚寺・大将軍八神社・退蔵院・東林院・広隆寺・蚕ノ社・醍醐寺・橋寺・宇治上神社・興聖寺・西芳寺・地蔵院・浄住寺・月読神社・松尾大社・梅宮大社・城南宮・だるま寺・延暦寺・慈眼堂・滋賀院・日吉大社・竹林院・竹生島弁財天・修学院離宮・曼珠院圓光寺詩仙堂・・下鴨神社・岩倉実相院・狸谷山不動院・だん王・聖護院・南禅寺・北野天満宮

 (祇園 おおたや珈琲館。古風な洋食メニューが旨そうだ)

 

 真夏の青森でねぶたを見たかと思えば、秋には佐賀県唐津で唐津くんちに参加もした。青森ねぶたの後は、あえて新幹線で津軽海峡の向こう側に出て、函館に宿泊した。青森県内のホテルも旅館もとっくに満員になっていたから、「こりゃ函館まで行くしかありまんな」とニンマリ、函館駅前のシェラトンホテルに予約を取ったわけだ。

 

 昨年の青森ねぶたの様子は、以下の2つの記事を参照。

Tue 180807 一年に一度、浪人生の授業に熱くなる/中等教育を早く卒業せよ 3690回

Thu 180809 金足農の大旋風を期待する/投手1人で投げ抜くと言ふ理想 3691回

 ねぶたの翌日には、函館駅2階のラーメン屋で昼食ということにした。ちょうど夏の甲子園では金足農が初戦の最中で、強豪・鹿児島実を相手に雑草軍団の奮闘が始まっていた。ラーメン屋を出て、電車で新函館北斗駅に向かい、帰京する新幹線に乗り込んだ瞬間、金足農の初戦勝利が決まった。


(京都・四条河原町「Mason de Vin 鶉亭」。すっかり馴染みになってしまった)

 

 だからあのラーメン屋こそ、ワタクシにとってはカナノー旋風の出発点だったのである。2018年度の最大の感激は、誰が何と言ってもあの大旋風だったのだから、年度を締めくくるにあたり、今日の今井君は再びあの店でラーメンをすすることにした。

 

 別に「旨い!!」と絶叫するほどの店ではない。ワタクシはラーメン通を名乗るメンドーな人間ではないから、マズくて食べられないほどひどい店でないかぎり、味に文句なんかちっともないのである。ただあのラーメンから始まった奇跡的な快進撃の思い出を、年度の締めくくりにしたかっただけなのだ。

 

 そしてせっかく締めくくるなら、おそらくこのワタクシ以外には日本中誰一人として予想もしなかった、あの快進撃を現実にした選手たちについても、これからの進路を確認しておきたかった。


(金足農の進撃開始の日と同じ函館ラーメンを年度末のまとめに貪る)

 

 3回戦(vs 横浜)の8回裏、逆転3点ホームランをバックスクリーンに放り込んだ6番ファースト高橋君は、東京農大北海道オホーツクに進む。準々決勝(vs 近江)9回裏、大逆転の口火を切った痛烈なレフト前ヒットも印象が深い。

 

 2回戦(vs 大垣日大)で背中にセミをくっつけて激走した7番ライト菊池彪吾君は、八戸学院大学でプレーする。もちろん準々決勝、大逆転2ランスクイズの激走ぶりは、おそらくこれから100年、事あるごとに語り継がれるだろう。

 

 夏の吉田の全1300球を見事に捕球し続けた小さな大選手、8番キャッチャー菊池亮太君は、秋田県庁に内定、おそらくクラブチームでのプレーを続けるんだそうな。準々決勝の2ランスクイズは、その直前にこの選手が選んだ四球が伏線。勝利が決まった瞬間、3塁にガッツポーズをしながら滑り込む熱い姿を、ぜひ諸君も確認してほしい。

 

 その2ランスクイズをものの見事に成功させた9番ショート斎藤君は、県内の農業系企業に就職。打撃練習のほとんどをバントの練習に費やしたという逸材だ。どうだろう、ワタクシは彼ほど今後の高校野球の指導者にふさわしい人財はいないと思う。

(函館駅2階のラーメン屋「あじさい」。8月以来、半年ぶりの訪問だった)

 

 奇跡の準Vを実現した立役者は、以上の下位打線4人だったと信じている。そしてもう一人の立役者、超イケメンの1番セカンド菅原君は「JR秋田」に就職する。三塁打3本の俊足巧打は、首都圏の大学野球でも十分に通用するかと思うのだが、社会人野球でぜひ花を開かせてほしい。

 

 あのイケメンぶりなら、ドラ1吉田に負けないアイドルになる可能性は十分にあった。JR秋田は、40年前には我が父の勤務先「国鉄土崎工場」を名乗っていた名門チームである。ここから成長して、彼にもプロ入りを目指してほしい。

 

 5番センター大友君は、2回戦で勝利を決めた粘りのホームランが印象的。準決勝(vs 日大三)のウィニングボールは強風に流され、後ろ向きでちょっと危ない捕球だったが、見事に彼のグラブに収まった。彼も就職して社会人野球で活躍するんだそうだ。

(函館シェラトンホテル「夜景ルーム」からの夜景。左に函館駅の長いホームが見える)

 

 2番レフト佐々木君のキャプテンシーを称えない人はいないだろうし、強打の4番サード打川君については、指摘する人はあまり多くないが、ピッチャー吉田とマコトに息のあった好守備を随所で披露した。この2人は大学に進学。大学チームでのさらなる大活躍が期待される。

 

 今井君としては、彼らのうちからたくさんの指導者が生まれることを心から期待したいのである。20年後、すっかり秋田のオジサンぽくなった彼らが、無名のチームを率いて甲子園のベンチに入り、2018年度の彼らの大活躍なんか全く知らない18歳の選手たちを再び奇跡に導く姿を、4KK、いや16K32Kのテレビで眺めたいと願っている。

 

1E(Cd) BonyngeOFFENBACHLES CONTES D’HOFFMANN 1/2

2E(Cd) BonyngeOFFENBACHLES CONTES D’HOFFMANN 2/2

3E(Cd) Cecilia BartoliTHE VIVALDI ALBUM

4E(Cd) Akiko SuwanaiSOUVENIR

5E(Cd) Karajan&BerlinHOLSTTHE PLANETS

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