Thu 170914 ご当地ソング/邪道でいいじゃないか/オスロで熱燗(晩夏フィヨルド紀行8) | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 170914 ご当地ソング/邪道でいいじゃないか/オスロで熱燗(晩夏フィヨルド紀行8)

 高温多湿、連日の猛暑&雷雨のベトナムから無事帰還して、丸一日が経過した。バイクの大集団が街を占拠する異様な光景がまだ頭の中から消えないが、それでも諸君、勤勉なワタクシは一念発起して、オウチに帰り着くやいなや、あっという間にスーツケースをカラッポにした。

 ついでに、お部屋の大掃除も断行。日立のロボット掃除機「ミニマル」君にもご協力願って、ノルウェー ☞ ベトナムと外国旅行が続いた夏のお部屋のカオスを一気にスッキリと追い払い、本格的な秋冬シリーズの開始に向かって雰囲気を一新した。

 帰国早々、いろんなニュースが飛び込んできた。
① ジャイアンツの松本哲也が引退を表明し、
②「鶴岡政義と東京ロマンチカ」のボーカル三条正人氏が死去、
③ノーベル平和賞は国際NGOの「ICAN」に決まった。

 松本選手の引退は、何しろワタクシは小学校に入学する前からのジャイアンツびいきであるから、残念でならない。2009年、2番打者として大活躍、「ゴールデングラブ賞」「ホームランなしで新人王」というマコトに輝かしい1年を送った。

 翌年2010年4月も素晴らしいスタートを切った。4月、「天秤打法」で打率は4割を超え、盗塁もあっという間に10個を超えた。「天秤打法」は、むかしむかし昭和の中期、大洋ホエールズの近藤和彦を思い起こさせる独特の打法。ワタクシはこういう選手が大好きなのである。

 ところが「好事、魔多し」、絶好調の極を走っていた4月25日の広島戦、ヒットで1塁に駆け込んだ瞬間に太もも裏を負傷。ワタクシはテレビ中継で目撃したのであるが、あれから7年、選手として不遇に次ぐ不遇、彼に相応しい活躍の場はついに訪れなかった。
ムンク風
(オスロにて。ムンクが描きそうな赤い煉瓦のオウチ)

 ②の「鶴岡政義と東京ロマンチカ」については、このブログでもホンの10日前「Mon 170904 時間よ止まれ 1978」で触れたばかりである。

 それを「虫の知らせ」と言えば、もちろん言い過ぎであって、要するに単なる偶然に過ぎないが、「小樽のひとよ」は今井君のカラオケ熱唱歌の1つなのだ。

 すでに1人につき20曲も歌ってみんなが疲れきった深夜、「小樽のひとよ」「君は心の妻だから」を選べば、人々の疲労は一気に吹き飛ぶのである。「ご当地ソング」というのはマコトに便利なもので、北海道のカラオケで小樽の歌を熱唱すれば、やっぱりみんなの食いつきが違う。

 今年に入ってからの今井君は、ずいぶん外国旅行が多い。1月にモロッコ、4月にメキシコとキューバ、8月にノルウェーを旅したかと思えば、返す刀で9月がベトナム、12月下旬にももう1回予定が入っていて、「何だ?何だ?」とヒトビトがビックリするほどの雄飛ぶりである。

「そんなに旅ばかりして、何が面白いんだ?」という冷めきった質問をする人もいる。しかし諸君、旅はやっぱりたくさんしたほうがいい。一度旅した国は、まず間違いなく大好きになる。今年のワタクシは、モロッコファン・メキシコファン・キューバファン・ノルウェーファンであり、今はすっかりベトナムファンだ。

 ファンになれば、ご当地ソングも好きになる。小樽も神戸も好き、金沢も長崎も好き。「長崎は今日も雨だった」(クールファイブ)、「長崎の女(ひと)」(春日八郎)「長崎のザボン売り」(小畑実)など、昭和歌謡にたっぷり登場する。ついでにザボンも大好きになって、ベトナムでも連日ザボンを貪っていた。
トラム
(オスロ中央駅前。可愛いトラムが走り回る)

 コムズカシイ文学作品だって、もちろん邪道中の邪道ではあるが、ご当地ソング風に読むこともできる。作品に登場する地名を追いながら「ああ、ここなら行ったことがある」「おお、ここも行ったことがある」とガッツポーズをとりながら読み進めば、誰だって眠くなることはない。

 例えば、アンドレ・ジード「背徳者」を読むとする。いやはや、コムズカシイ。面倒くさい。こんなにメンドーなものを読むぐらいなら、テレビのニュースショーで政党ホッピングや新党サーフィンの様子を眺めていた方がずっと楽しいんじゃないか。

 しかし諸君、北アフリカから始まる物語は、マルセイユ ☞ パレルモ ☞ タオルミーナ ☞ シラクーサを経て、ナポリ ☞ ソレント ☞ アマルフィ ☞ ラヴェッロ ☞ ポジターノ ☞ ソレントと回る。それはまさに、2016年夏と2014年春に旅してきたばかりのルートである。一気に物語に引き込まれて当然だ。
市庁舎
(オスロ市庁舎、チキトレインとともに。ノーベル平和賞は、この建物で授与される)

「背徳者」を読み終わって、同じジードの「狭き門」を読む。14歳の時に読んで以来の再読である。おお、こりゃなかなか恥ずかしい青春の彷徨の物語だ。

 あんまり恥ずかしいから、読み進める勇気も気力もだんだん失せてくる。しかし諸君、赤面に赤面を続けながら読み進めると、だいたい次のような手紙の一節が登場する。

「妹がバイヨンヌからビアリッツでどんなに楽しく過したかは、お手紙でもうお知らせしましたね。その後の妹は、ピレネー山脈を超えてスペインに入り、モンセラートで黒いマリア様にお祈りし、バルセロナでゆっくり過した後、9月にはプロヴァンスのニームに入る予定です」

 おやおや、それは2009年夏と2016年春のワタクシの旅の経路に合致するじゃないか。狭いお風呂の中でこれを読みながら、やっぱり快哉を叫ぶのである。

 もう一度言うが、そんなの邪道に決まっている。しかし邪道だろうが何だろうが、それで面倒な物語を読み進める気力がボンボン湧いてくるんだから、邪道には邪道の素晴らしさが潜んでいるのである。

 ③のノーベル平和賞についても、大活躍のNGOを祝福するとともに、「おお、8月にこのワタクシが宿泊したばかりのオスロのホテルに、NGOの皆さんも滞在するんだな」「あのオスロ市庁舎で授賞式があるんだな」と思えば、ますます気持ちが高揚するのである。よかった、ホントによかった。
パレード
(ホテルのバルコニーから、衛兵交代のパレードを眺める。ノーベル平和賞受賞者は、この角度でヒトビトに手を振ることになっている)

 さて、そろそろ8月17日に話を戻そう。2時間のクルーズを終えて、ほうほうのていで陸地に上がったが、あんまりオスロ湾が寒かったものだから、我が肉体は「歯の根も合わない」という惨状を呈していた。

 港からホテルまで、まさにコトバ通り「飛んで帰った」のである。求めるものは、何よりもとにかく日本酒の熱燗だ。身体の芯から冷えちゃった時には、身体の芯から温めるのが一番いい。暖房とか毛布とかホッカイロとか、そういうものよりも、どうしても熱燗でなければならない。

 この瞬間を見越して、ワタクシは日本から京都伏見の銘酒「玉の光」を持参していたのである。「えっ? ノルウェーの旅に日本酒を持参するんですか?」であるが、諸君、常識にとらわれていては、なかなか進歩は実現できない。「しがらみのない政治」が必要なら「しがらみのない旅」も大事なはずだ。

 しかもその日本酒を、ポットのお湯を上手に遣って熱燗にする方法も熟知している。部屋に帰ったのが18時、熱燗の準備ができたのが18時10分。そのぐらいビシビシ事を進めなきゃ、スピード感に欠ける。いまだに首班候補が決められないんじゃ、政党として動きが遅すぎる。

 というわけで諸君、熱燗3合を飲み干して、ようやくワタクシは人心地がついた。人心地がつけば、当然のように睡魔に襲われる。スイマーは懸命に泳ぐだけであってワタクシを襲うことはないが、睡魔は容赦なく襲ってくる。

 何しろつい7〜8時間前に、ヒコーキで東京からオスロに到着したばかり、睡魔クンにも襲いがいがあるだろうし、今井君も睡魔ちゃんに襲われがいがあった。襲ってくれ、もっともっと激しく襲ってくれ。今のアタシにゃ、何より深い睡眠が必要なのだ。
ビア
(ノルウェーのビール2種。シロクマのビールが可愛い)

 いやはや、すでにその様子は「眠りの森のサトイモ」「ねむねむ♡キウィ」というありさま。「三年寝太郎」みたいに、3年間延々と寝つづけてもいいぐらいだ。

 ただし日本民話の「三年寝太郎」は、仕事もせず3年ただひたすら寝続けた後、ある日突然起き出して、山に登って巨岩を動かした。岩は谷に転がり、土砂は川をせき止め、川の水は田畑に流れ込んで、干ばつの村が救われた。

 山口県の新幹線・厚狭(あさ)駅前に、三年寝太郎の銅像がある。ワタクシは2016年7月、新幹線を待ちながら厚狭駅の周辺を散策、三年寝太郎の晴れ姿をカメラに収めた。詳しくは「Fri 160617 山口大学医学部教室でガイコツと共演/お茶々の宴/厚狭駅のシュールな静寂」をご覧あれ。

1E(Cd) Eschenbach:MOZART/DIE KLAVIERSONATEN⑤
2E(Cd) Candy Dulfer:LIVE IN AMSTERDAM
3E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET
4E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
5E(Cd) Harnoncourt:BEETHOVEN/OVERTURES
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