Thu 100415 岩波ホールに映画を観にいく カレーのガヴィアル 神保町は年老いた | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Thu 100415 岩波ホールに映画を観にいく カレーのガヴィアル 神保町は年老いた

 観たい映画があって、久しぶりに神保町の岩波ホールに出かけた。雨が降って少し肌寒かったので、映画の前にカレーを食べようと思った。知らないでいるうちに、神保町はカレーの街になって、昔はなかったカレーの店がひしめいている。もちろん神保町は大学生の街で、明治・中央・専修・日大、ついでに駿台もあるし、いつだって古書店街を訪れる人でごったがえしているわけだから、手軽なカレー屋が繁盛するのもわかる。
 入ったのは神保町交差点の「ガヴィアル」。回転寿司「うみ」の2階である。この回転寿司は20年前には「神田川寿司」という屋号で、店員がみんなパキスタン人だったことがある。20年前のバブル経済絶頂のころ、東京近郊が突然イラン人でいっぱいになったり、パキスタン人でいっぱいになったり、今では考えられないことがいろいろあった。
 当時の「神田川寿司」では、挨拶が「イーラッシ、ヤイ、マスイ!!」、お茶を出すお姉サンもパキスタン人、寿司を握る職人もパキスタン人、回転している寿司は全部イカ、または全部タコ、時には全部プリン、まさに驚くべき事件満載の回転寿司であった。
 当時の神田川寿司の様子については、東進で「今井のB組」を受講すれば、1学期の第5講で詳しく説明している。パソコンで「フランス史」と入力したら「腐乱寿司」と変換されたという話が、「神田川寿司」の雑談に入るキッカケである。もちろんその話を導入にして受験勉強の極意を語るので、決して無駄話に時間を浪費しているわけではない。
 今日ついでにちょっと覗いてみたら、寿司はまったく回転していない。客もまばら、中高年男性ばかり。まばらな客はせっかく回転寿司に入ったのに「食べたいものがあったらどんどん注文してください」と言われ、ガッカリした表情である。注文して食べる寿司なら、チャンとした寿司屋に入る。回転寿司は、回転しているからいいので、回転寿司のくせにいちいち注文するのでは、要するに安い以外に何の取り柄もない。客がションボリする気持ちはよくわかる。
ガヴィアル
(神田神保町、カレーのガヴィアル)

 さて、その2階のカレー「ガヴィアル」であるが、看板に1982年創業とある。今井君が神保町の古本屋街を連日ほっつきまわっていたのが1980年代。この店の創業とちょうど重なることになるが、この店は今日初めて見た。店主のオジサマと話してみたところ、神保町にはつい最近移転してきたので、1982年創業の元の店は神田駅前にあったのだという。
 そういう会話を交わしたせいもあって、店主の上品なオジサマはウワバミどんに驚くほど親切にいろいろ話してくれた。出てきたカレーは、頭から汗がジューッと噴き出すほど辛い。写真の通り、まるまるの姿で出されるポテトもいい。オジサマ同様、上品ないい店である。
 ただし、メニューを広げた瞬間「こりゃ高いや!!」と思わず叫んでしまう。一番安いビーフカレーで1300円。クマどんが注文した「シーフードミックスカレー」は1700円。これにビール1本飲むと2500円。大学生と古書店の街で、昼食に2000円もかかってしまうのでは、やっぱりあまり繁盛しそうにない。確かに、他の客を見るとみんな中高年である。確かにエビやホタテがゴロゴロ入って豪華だけれども、地方から出てきたばかりの大学生には、この値段ではちょっとキツいだろう。
カレー
(1700円のシーフードミックスカレーと「まるまるポテト」)

 岩波ホールには、むかしはよくきたものである。ウワバミどんが大学生だったころには、岩波ホールに毎週通うのは見栄っ張りの定番。ハリウッド映画のほうが楽しいに決まっているのに、言わば「知的見栄っ張りの教養派」は、そういうものに見向きもせずに「映画は岩波ホール」「演劇は渋谷ジャンジャン」で見栄を張りまくった。
 トリュフォー「緑色の部屋」、アンジェイ・ワイダ「大理石の男」、ヴィスコンティ「ルードヴィヒ」「山猫」、みんな岩波ホールだったし、つい1ヶ月前に渋谷のシネマアンジェリカで見た「だれのものでもないチェレ」も、元はといえば岩波ホール。1980年代の岩波ホールはいつ出かけても満員、自由席だけれども途中入場厳禁の入れ替え制、立ち見覚悟の切羽詰まった暑苦しい記憶が残る。あの頃の青年たちには、意地でも見栄を張るヤツが驚くほど多かったということである。
 今日クマどんが岩波ホールを訪ねたのは、目前に迫ったリスボン滞在を控えてポルトガル映画を見ておきたかったからである。映画のタイトルは「ノン、あるいは支配の空しい栄光」。20世紀ポルトガルの兵士たちが、ローマ時代やレコンキスタ時代にポルトガルが関わった様々な戦場をタイムトンネルで巡りつつ、戦争の空しさ、支配ということの空虚さを体感し、自らもアフリカの戦場で空しく命を落とすというストーリーである。コブシ大の石を投げつけられただけで戦士がバタバタと死んでしまうシーン、羽の生えた天使姿の少年たちがポルトガルの船乗りたちにご馳走を運ぶシーン、どれをとっても2時間すべてが「は?」「これって、何?」「もしかして、1500円損したかも?」という侘しい驚きの連続であった。
映画について語り合う
(知的なネコと、映画について語り合う)

 しかし、何よりショックだったのは、岩波ホールの現状である。かつての「パンパンの満員」「立ち見も覚悟」「さあ、皆で見栄張らなきゃ」という熱気は、今は昔の物語。わずか30人ちょっとの観客は、9割が50代から60代の中高年で、要するに1970年代から80年代に20代だった青年たちが、そのまま30年か40年ぶん年老いて、時代を生き抜いてここに残ったというだけのことである。岩波ホールは、年老いた。中の観客とともに年輪を刻み、ヒタイに深いシワを刻み、「意地でも岩波ホールだけは観る」という熱意を抱きしめて、すっかり年老いてしまったのである。
 映画が終わって21時、外に出ると、春の冷たい雨である。「4月としては史上最高の雨量」だった27日の雨が、いまちょうど降り始めたところなのであった。そのとき、クマどんはカレー屋「ガヴィアル」のことを理解した。メニューを開いて「こんなに高いんじゃ、大学生はキツいだろうな」と絶句したのは、クマどんが「神保町は学生の街だ」という先入観をいだいていたからなのだ。神保町も岩波ホールとともに年老いて、中高年の街になったのである。
 古書店を巡るのも、岩波ホールに入るのも、カレー屋に癒しを求めるのも、80年代の青年たち、つまり2010年の中高年なのだ。スキー場も中高年ばかりだから、かつて神保町から小川町にかけて軒を連ねた「ヴィクトリア」も、客の年齢層は驚くほど高い。
 それと同じように、日本も年老いた。歌舞伎座は立て替え、赤坂プリンスホテルは廃業。渋谷ジャンジャンは10年も前に姿を消した。29日、代々木公園のメーデーも中高年の姿が目立ち、そこで議論されるのは老後と介護と年金の話が中心。「誰かに何とかしてほしい」とカメラに向かって訴えるヒトが多くて、「オレが何とかしてやろう」というヒトは、もうなかなか見つからない。
 思わずコブシをあげて立ち上がりたくなる、「オレが何とかしてやろう」と叫びたくなる、そういうおっちょこちょいな欲求を抑えつつ、ウワバミどんは半蔵門線で三軒茶屋へ。初めて「ヨーロッパ食堂」に入り、赤ワイン1本1時間で飲みほし、あとは記録的豪雨のことも知らずに昼前まで熟睡したのであった。

1E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.4
2E(Cd) Jandó:MOZART/COMPLETE PIANO CONCERTOS vol.5
5D(DMv) PELICAN BRIEF
total m85 y547 d4646