Fri 100129 んががだ、おがしょすがねで、だんじゃぐここげ。 今こそ「だんじゃぐっこ」 | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 100129 んががだ、おがしょすがねで、だんじゃぐここげ。 今こそ「だんじゃぐっこ」

 「だんじゃぐだ」は(スミマセン、完全に昨日の続きです。必ず昨日の記事を読んでからご使用ください。さもないと、きっとムカつきます)、漢字で翻訳すれば「惰弱な」。「おどごだぢ」とは「男たち」。「だんじゃくだ」という形容動詞は、一般的な日本語の用法とは全く違う。というより、ほぼ正反対の意味であって、「ほしいと思ったものは意地でもとりにいく。相手がどんなに嫌がっても、どんな手段を使っても、絶対に譲歩しない。むしろ相手が戦闘意欲を失うほど、強硬に迫って奪い取る」、そういう男たちのことを「だんじゃくな」と表現する。あえて英語で言うならalways struggling hardである。
 ところが、最近はナマハゲさえも草食化してしまい、マトモに子供たちを脅かすことさえできなくなったのだという。かつてはナマハゲこそ「だじゃんぐな」秋田の男たちの代表。秋田では「だじゃぐこぎ」と呼ばれ、「相手が戦闘意欲を失うほど激しく厳しく攻め立てる男」(確かに嫌われはしただろうが)は敬意の対象でさえあったのだ。

(2月12日午後、奥羽本線・横手駅に到着)

 「こぎ」とは、日本語の動詞「コク」の派生語で「常にコイてばかりの人」の意。で「こげ」はその命令形である。尾籠にわたって申し訳ないが、「コク」とは「屁をコク」の「コク」であり、「してはイケナイことを平気でする」である。「屁コギ」なら「常に屁をコイてばかり、しかも平気な顔をしているイケナイ人」。「ばすコギ」というのもあるが、「ばす」は「うそ」の意、したがって「いつもウソばかりついて平気でいるイケナイ人」である。
 ならば応用問題であるが、「いねむりコギ」とは? もちろん菅直人副総理である。「脱税コギ」は? 「不動産購入コギ」は? え? ま、今回のブログタイトルでは「コゲ」という命令形を使ったが「コガねばだめだべせ(コカなければだめだろう?)」という婉曲な表現形式も存在する。
 秋田のラグビーやサッカーやバスケが、かつてとても東北のチームとは思えないほど強力で、全国優勝を驚異的に繰り返したのは、チーム全体・県民全体が「だんじゃぐコギ」だったからである。逆にこの20年、全てにおいて弱体化したのは、男たちが「だんじゃぐっこ」を忘れたからである。ラグビーなんか、もちろんキレイなサインプレーだってあるけれども、基本はあくまで「だんじゃぐコギ」。昔の明治大学ラグビーの「前へ!!」が基本なので、ワイッタゲ(わきあがるほどの)だんじゃぐコギのフォワードのモール攻撃、これを止めることは不可能である。

(雪まみれで横手駅に到着した奥羽本線の各駅停車・湯沢行き)

 キレイな標準語を使いこなす21世紀秋田県男子のスラリ/ツルリ/ヒョロリとした姿を見ながら、血まみれになってもクマを追い払う秋田犬の「だんじゃぐっこ」、死んでも子グマを守る父グマの「だんじゃっぐこ」、叱られても絶対に誤らないツッパリ男子の「だんじゃぐっこ」、そういうものを皆に思い出してほしくてならなかった。
 なお、ブログタイトルにした「んががだ」は「お前たち」。「おが、しょすがねで」は「あまり恥ずかしがっていないで」。詳細に検討すれば、「おが」は「あまりに」。「しょすがねで」は「笑止がらないで」で、「笑止がる」とは「他人から笑われるのではないかと考えて躊躇ばかりする」の意味である。今日のブログタイトルの謎の言葉を一気に和訳すれば「おまえたち、あまり恥ずかしがっていないで、相手が戦闘意欲を失うほどに激しく攻撃を継続しなければならない」ということになる。
 ま、文部科学省の学力テストなんかで全国トップの優等生になっているようでは、残念ながら懐かしの「だんじゃっぐっこ」復活は見込めない。「だんじゃぐだおどご(おとこ)」は、腰パン姿で全国の良識と常識を敵に回してしまってでも「へば、おれはける。すたごどいわれで、やってらねべ。わるな」(それなら、オレは帰ります。そんなこと言われたらやってられません。悪いけど)と席を立ち、さっさと国籍をかえて、母国へのリベンジに立ち上がるぐらいなのだ。それをプラス評価するか、寄ってたかって酷評するか、それは別問題として、とにかくそれが「だじゃぐこぎ」である。

(横手の手前、雪深い「後三年」駅。源義家が活躍した「前九年の役」「後三年の役」の後三年である)

 国母問題については別の日にゆっくり考えるとして、秋田でも、日本でも、復活のカギは、ワイッタゲ(アブクを出して沸騰するほど)だんじゃぐだおどごだづ(男たち)を再生させることではないかと思いながら、吹雪の中を奥羽本線の各駅停車でかまくらの横手に向かった。途中、秋田から1時間弱で大曲(おおまがり)の駅に着く。こここそ、「だんじゃぐ」精神の正統派継承者・今井カニ蔵が思い切り「だんじゃぐ」になりたいと、いつでも痛感する場所である。
 秋田新幹線は、何故かここで進行方向が変わるのである。東京から仙台・盛岡を経由して大曲まできて、突如としてここで後ろ向きに走り出すのだ。だから、秋田の人は故郷に帰るときは全員必ず後ろ向きなのである。こんな滑稽なことが許されていいのだろうか。逆もまたしかり。東京に向かう新幹線は、大曲から進行方向が変わるから、秋田を出てから大曲に到着する1時間弱、乗客はみんな後ろ向きで進む。つまり秋田の人は、故郷を出るときも全員後ろ向きなのだ。滑稽と言って、これほど滑稽な図がありうるだろうか。

(問題の「大曲」駅)

 要するに、バカにされているのである。ただ単に「日本海側だ」という理由で、昔は完全に同格だった盛岡や仙台とこれほどの格差を設定され、県民がみんな後ろ向きで故郷に入り、後ろ向きで故郷を出る。しかも、こういう滑稽な決まりを設定したのは、莫大な赤字を抱え込んだ国鉄から、国民の税金を湯水のように使って再生を図ったJRグループ、つまりイチ民間企業である。県民がみんな素直に唯々諾々としてこんな愚弄に従い、愚弄に対して「だんじゃぐっこ」を「こく」こともせずに、日々後ろ向きに上京と帰郷を繰り返すのだ。
 諸君、これは愚弄である。盛岡から先、秋田までは最高時速130km。新青森まで延伸される新幹線が時速320kmだの350kmだのと威勢のいいことを言っているその鼻先で、途中の単線区間では「行き違い電車の待ち合わせ」まで我慢して、それでもちっとも「だんじゃぐっこ」をコクこともせずにいていいのだろうか。愚弄されたら、昂然と愚弄を5倍10倍にして返すのが誇り高い人間ではないか。
 大曲で、今井君はどうしても我慢がならなくなる。月に吠えたくなり、雪に吠えたくなり、氷をコブシで殴りたくなる。この気持ちを、子供っぽいといって冷笑/嘲笑/失笑したいなら、どうぞ自由に失笑すればいい。しかし、単に「日本海側だから」といってそういう愚弄を許容しなければならない理由を、残念ながらクマ君は全く感じないのである。

1E(Cd) George Benson:THAT’S RIGHT
2E(Cd) George Benson:LIVIN’ INSIDE YOUR LOVE
3E(Cd) George Benson:LOVE REMEMBERS
6D(DMv) APOLLO 13
total m234 y234 d4335