Fri 081031 むかしよくあった講師募集・講師研修の形 当ててばかりの講師を選ぶな | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Fri 081031 むかしよくあった講師募集・講師研修の形 当ててばかりの講師を選ぶな

 初めて予備校で教えたのはもう20年も以前のことになる。団塊ジュニアと呼ばれる世代が一斉に受験に挑戦した時代で、中学受験から大学受験まで、ありとあらゆる入試の倍率が信じがたいぐらいに上昇し「予備校バブル」の状況になっていた。中小規模の予備校が次々に誕生して、日本中どこの駅前もみんな塾と予備校に占拠されていった時代である。しかし、駅前にハコモノを作るのは簡単でも、そこで教える教師を集めるのは容易なことではない。新聞の求人広告は「塾講師募集」「予備校講師募集」で溢れ「高給優遇」「経験者優遇」「社保完備」「研修制度あり」の文字がおどったものだが、新興の予備校ではそれでも教師が足りなかった。21世紀になってそういう状況も一段落したが、新聞の求人広告で人を集めるお気楽なやり方は今でも変わらない。日曜日の求人広告を見れば、予備校講師がいったい1時間いくらの給料をもらっている人なのかがわかる。「赤ペン先生」などと言われる職種の人たちについても、通信添削一枚にいくらの給与が払われ、一枚いくらで真っ赤にされるものなのかがわかって面白い。
 

 意地悪を言う気はないが、「経験者優遇」ということは、裏を返せば「経験」なるものを全く持たない人もたくさん応募してくるということであり、経験のない人が雇用されて「高給」で「優遇」されずに不満タラタラで働いていることも少なくないことを意味している。「研修制度あり」ということは「研修」なるものを受けなければ塾講師の仕事をこなせない人たちもたくさん雇われるということだし、その「研修制度」なるものがどの程度のものなのかも、甚だ心もとない気がする。

 

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(袋)


 実際に現場を経験したものとして言わせてもらえば、「研修」とはほとんどの場合「見学」であって、有名講師の授業を2~3回見学して、それで「研修」は終了というケースばかりである。見学した授業について、せめてレポートを書くぐらいのことをしてもいいと思うのだが、それもない。授業を見学すればそれで「研修制度あり」は終わったことになって、新人講師はすぐに授業の現場に送り出され、あとは自然淘汰に任せる。つまり生徒の人気が高ければ現場に残れるが、人気が低ければ「次年度は契約しない」という言い方の「クビ」が待っている。人気の測り方は「アンケート」の数字であって、次年度契約の交渉の席で「アンケートが悪い」と指摘されれば、それで終わりである。
 

 私なんかはとても真面目な人間なので♡♡、もし研修の名に値する研修をさせようと考えるなら、最低でも1ヶ月は必要だと考える。新人講師には実地にいろいろな場面を想定して模擬授業をさせ、先輩講師がいろいろアドバイスをし、改善すべき点は改善させ、伸ばすべき点は伸ばしてあげて、せめて1ヶ月ぐらいは常に先輩と行動をともにする。何しろ高額の授業料をいただいて、生徒たちの大切な時間と将来を預かるのだ。その程度の研修はどうしても必要だろう。


 しかし現実には、講師のほとんどは未経験&未研修の状態で現場にトコロテン式に押し出されていく。生徒はどんどん押し寄せてくるから、そのトコロテンを大切に育てようという考えも、経営者側にはない。トコロテンの材料は次から次へと「高給優遇」の求人広告を見て応募してくるのだし、いちいち人間を育てようとか面倒なことを考えているヒマがあったら、新しいトコロテンの中から思わぬ拾い物を探す方が早いのだ。とりあえずやらせてみて、ダメならダメで、伝家の宝刀アンケートを見せて、罵声を浴びせて追い出せばいい。そういう発想なので、同僚が浴びせられた「罵声」も、私はたくさん聞いてきた。私自身は幸い、常にアンケートの数字が抜群だったから♡、「拾い物のトコロテン」としてこの世界をのし歩いてきたけれども♡、こういう経営の仕方にはいつでも反感があって、もっと講師を育てる努力をすべきなのではないか♡、もっと生徒の時間を大切にすべきなのではないか♡、という思いはなくならない。

 

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(カゴ)


 昨日まで書いてきたような状況も、ほとんどこの「アンケート至上主義」から発生していると言っていい。次年度契約の話が始まるのが9月か10月なので、新人講師は少なくとも夏までには「結果」を出さなくてはならない。新人として生徒の前に立って、わずか2~3ヶ月の間に結果を出すとしたら、考えられるのは、まずルックス、次にパフォーマンス。こうして、塾にはピンクのスーツ、紫のスーツ、黒のワイシャツに真っ赤なネクタイの「歌い踊る講師」が氾濫するようになる。あとは昨日まで何度かに分けて書いてきたような「取り巻き」が発生して、要するに「放課後社交場」としか言いようのないちょっと乱れた雰囲気の塾になってしまう。夜10時過ぎの駅前が制服姿の高校生たちの喚声で満たされていたり、塾のカバンを背負った小学生が楽しそうに走り回ったりしているのは、そういう乱れた塾の存在を暗示するものである。
 

 私が初めて教えた予備校で「とにかくたくさん生徒に当ててください。90分授業で1回も当たらない生徒が出ては困ります。1分に1回は必ず生徒に指名してください」と指導されたことがあった。この予備校は「スパルタ指導」なるものを売り物にしていて、「一方通行ではダメなんだ」「キャッチボールが必要だ」、「だから大きな予備校ではダメなんだ」という典型的な新興予備校。予備校バブルの頃には生徒が押し寄せすぎて教室が足りなくなり、マンションや雑居ビルの1室をあたりかまわず借りまくっては教室に改造し、そこに机とイスを入るだけ押し込んで生徒を詰め込んでいた。
 

 そうなれば、教師も同じ扱いである。新聞の求人広告を見て応募してきた新人は、研修と称して先輩の授業を1回だけ見学。「わかりましたね」と念を押され、その場で時間給を言渡される。アンケート次第で時給は上がるが、アンケートが思わしくなければ次年度は契約しない。秘訣は「どんどん当てること」。指名されれば生徒は「一方通行ではない」「キャッチボールがあった」「緊張感があった」と判断し、先生を高く評価する。だから、教える技術がないうちは、どんどん指名するに限る。そういうことを2~3分まくしたてられただけで、いきなり新人講師はマトモな講師控え室さえない雑居ビルの教室へと送り出されるのである。

 

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(飲)


 そういう言葉を聞いた講師としては、とにかく夢中で当てまくるしかない。もう、当てる、当てる。もちろん、その場その場で適切な質問なんか思いつくはずはないから、授業はほとんど答え合わせの連続になる。「伊東クン、答えは何番ですか」「井上サン、次の問題の答えは?」「宇佐美クン、次は?」。そういう質問に生徒がマトモに答えてくれると思ったら、大間違いである。居眠りしていて返事をしない者、遅刻してくる者、やってきていない者、ムカついている者、返事をしない主義の者、読み方が違うと返事をしない者。「石河」だから「いしかわ」だと思って「いしかわサン」と何度呼んでみても返事がない。おお、欠席ですね、と思って出欠簿に欠席のマークを書き入れようとした瞬間になってやっと「いしこ」です、という。「おお、いしかわサンじゃ何だ。珍しい名前ですね。いしこサン、ね。では、はい、いしこサン。5番の答えは、何番ですか」「わかりません」。
 

 万事この調子で、しかも「1分に1回は指名して答えさせる」原則を守っていかなければならない。それでマトモな授業なんか出来るはずがないのである。1分に1回指名しながら、しかも90分で関係代名詞の使い方を全て説明し終えたり、90分で算数の旅人算を理解させたり、国語の論説文が読めるようになったり、そういうことはまず考えられない。要するに全員に指名し「キャッチボールは済んだ」と思って講師はひとまず安心。「今日は2回も指名してもらえた」で生徒も満足して帰る。
 

 でも、実際にそこにあったのは、以下のようなキャッチボールである。「オクヤ君」、沈黙。「オクヤ君、いませんか」、沈黙。「オクヤ君、欠席ですかね」「あのお、オクタニです」「おお、奥谷って、オクタニなの」「はい」「はい、では、オクタニ君、答えは?」「わかりません」「わからないって、予習してきたの」「ちょっと、部活で」「おお、部活ね、何部?」「バスケ」「へえ、バスケね、いそがしい?」「はい」「大会があるんで」「あ、そお。では、しかたないね。では、金谷サン、答えは?」「③です」「違うな、④だ」「どうして③じゃないんですか」。「ええっ、なぜ③じゃないか、か。うんとね、やっぱりね、ちょっとね、③はね ... 」ここから先は、すでにこのブログで示したとおりに続いていく(081015081016参照)。

 

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(寝)


 こういう教師と生徒の関係が、時間の無駄にならないはずがない。学力の向上など、こんな関係からは望めないのである。今の会話の中に「予習してきたの」という発言があったが、この「予習」がクセもの。予習については明日のブログで述べることにするが、ダメな予備校講師の授業ほど、予習予習とうるさいはずだ。そして、授業の名の下に行われるキャッチボールが、ほとんど予習してきた答えの答えあわせに終始していることが少なくないのである。
 

 「当ててばかりいる講師」ではダメなのだ。昨日も書いたが「最前列の生徒から当てていく」というのもあまり感心できない。「取り巻きの生徒たちと戯れ、生徒とじゃれているだけ」になってしまい、後方の生徒たちが置き去りになり、彼らの疎外感はどんどん大きくなる。授業中に視線をどこに向けるか、というのは想像以上に難しい問題で、前に当てれば自然に視線は前に集中し、中盤から後方は置き去りになる。前から2/3後ろから1/3あたりを中心に視線を据えるのがベストではないだろうか。それより前の生徒たちにはある程度以上の信頼を置いていいだろうし、後方の生徒ほど実は寂しがり屋が多いからである。

1E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 5/10
2E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 6/10
3E(Cd) Böhm & Berliner:MOZART 46 SYMPHONIEN 7/10
4E(Cd) Hungarian Quartet:BRAHMS/CLARINET QUARTET・PIANO QUINTET
5E(Cd) Richter & Borodin Quartet:SCHUBERT/”TROUT” “WANDERER”
8D(DvMv) TROY
18G(β) 戸泉絵里子:スペインを旅する会話:三修社
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