Mon 081027 「座って通勤」の楽しみと相互乗り入れ 不必要な車内放送について | 今井宏オフィシャルブログ「風吹かば倒るの記」Powered by Ameba

Mon 081027 「座って通勤」の楽しみと相互乗り入れ 不必要な車内放送について

 昨日のように代々木上原とか我孫子とか、始発駅からのんびり読書して長時間電車に揺られていくと、始発駅から電車に乗ることの嬉しさと楽しさをしみじみと感じる。ちょうど一ヶ月前になるが、9月28日のブログで、首都圏の電車がやたらに相互乗り入れすること、交流の少ない地域を意味のない相互乗り入れで結んだ結果、はるか遠くの信号機故障や人身事故でやたらに「運転見合わせ」ばかり発生すること、こういう無意味な相互乗り入れを思いつきで推進することはヤメにしたほうがいいことなどを書いた(080928参照)。あのとき書き忘れたのが、無意味な相互乗り入れが「座って通勤」「座って通学」の楽しみを奪う、ということだった。若い人でも、仕事帰りなら、座りたい。同じ読書でも、つり革につかまってページをめくるのにも苦労するような読書では楽しくない。相互乗り入れがやたらに進んでしまう前なら、疲れたりゆっくり読書を楽しみたい時にはターミナル駅でひと電車かふた電車やり過ごせば、確実に座って帰れたのである。

 

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(大魔神の目覚め)


 青葉台やあざみ野に帰るなら渋谷で待てばよかったし、鎌倉や逗子に帰るなら東京駅の待てばよかった。疲れきって越谷や春日部に帰る人たちは、昔なら「浅草回りにする?」とニヤニヤ言い合ったものである。「のんびり座って帰ろうか」の意味である。今では、青葉台や長津田に帰るのに渋谷で田園都市線を待っていても、どこだか見当もつかないような遠くのほうからやってきた、既にほぼ満員に膨れ上がった電車が次々にホームに入ってくるだけである。鎌倉や横須賀に帰る人も同じことで、昔なら東京駅の横須賀線ホームからいくらでも始発が出ていたはずの横須賀線は、相互乗り入れで千葉方面からの電車ばかりがやってくる。もちろん千葉方面の人だって事情は同じこと、お互い様なのであるが、要するにどちらにとっても不幸なことに「座って帰る」のは、余程の幸運に恵まれた時に限られる。ごく稀に始発電車が走っていると言っても、これほど頻度が低いのでは「ひと電車待って」などと気軽に待つワケにはとてもいかないのだ。


 生まれたときからの相互乗り入れに若い人たちは、こういう昔を知らないだろうが、似たような例は、他にいくらでもあるはずだ。西武線・地下鉄副都心線との相互乗り入れが始まれば、東急東横線の渋谷始発の本数は当然減らされてしまう。「渋谷で待って、座って帰る」という選択肢は、奪われることになるかもしれない。「朝も座って通勤したい」と思い、「座って通勤して電車の中を有効活用したい」と考えて、わざわざ都心から離れた郊外の始発駅に家を買った人だって少なくない。無意味なタコアシ配線の相互乗り入れが、そういう人たちの夢(大袈裟に言えば、人生設計)まで簡単に奪ってしまうことになる。

 

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(やっ、どうもスミマセン)


 通勤通学の電車内での読書の楽しみは大きい。その楽しみを知らない人たちが無闇につないで喜んでいるのが相互乗り入れだから、相互乗り入れの電車内はとにかく車内アナウンスがうるさい。うるさくてとても読書などに集中できる状況ではない。ずっと以前に京王線の車内アナウンスがカラオケ並みにやかましいことについて書いたことがある(080626参照)が、JR湘南新宿ライン(正確には「相互乗り入れ」とは呼べないにしても)の車内アナウンスもこれに勝るとも劣ることはない。特にうるさいと感じ、聞きたくないと思うのが「グリーン車の案内」と「主な駅への到着時刻」である。


 前者は、主な駅を発車するごとに放送される。「グリーン車にはグリーン券が必要だ」「グリーン車はデッキに立っていてもグリーン料金が必要だ」「グリーン券を車内で購入すると、事前の購入額と異なるので注意せよ」「グリーン車にはアテンダントが乗車して切符の拝見や車内販売に当たる」などの諸注意が、まず日本語で、続いて英語で、延々と説明される。池袋から藤沢まで乗っていくとすると、全く同じ内容を、池袋・新宿・渋谷・大崎・横浜・大船を発車するごとに繰り返し繰り返し6回も聞かされるのだ。日本語の放送も英語の放送も、毎日のように利用する人なら、もうすっかり暗記してしまった乗客も少なくないだろう。私なんか、記憶力の権化みたいなものだから、原稿も見ないでも全部スラスラ言えるほどである。まさに語学学習のいい見本を見るようなものだ。

 

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(虫、発見)


 しかし、それだけで許してもらえると思ったら大間違いである。こんなふうにキチンとスタジオ収録された内容が日本語と英語で長々と放送された後、車掌さんの生の声が入ってくる。収録された映像授業を受講した直後に、キャッチボールのある生授業を立て続けに受けるようなものである。「えー、みなさん、本日もご乗車まことにありがとうございます」で始まるこの演説は、収録された放送を聞かされた後だから一層たまらない。こっちは早く読書に集中したくてウズウズしているのである。


 藤沢から、高崎線の籠原行に乗ったとしよう。「この電車は、湘南新宿ライン、横浜、新川崎、大崎、渋谷、新宿、池袋、大宮方面、高崎線直通、籠原行です」。ここまではさっき既に収録放送で聞かされたのと全く同じ内容。日本語、英語、車掌、なぜ3回も繰り返されるのか理解に苦しむ。続いて「主な停車駅の到着時刻を申し上げます」。あとはイライラがつのるばかりである。藤沢から乗った客は、そのほとんどが横浜か渋谷か新宿で、せいぜい遠くまで乗ったとしても大宮までで、途中で乗客はほぼ全員入れ替わる。それなのに車内放送では、そこから先の到着時刻まで延々と続けるのである。「上尾、… 時 … 分。北本、… 時 … 分、鴻巣、… 時 … 分、熊谷、… 時 … 分」と続いて、極めつけは「終点籠原には、… 時 … 分。終点、籠原には、… 時 … 分の到着です」としっかり2回繰り返すのだ。わざわざ繰り返してコールしなければならないことなのかどうか、まさに理解に苦しむ。藤沢や横浜から乗車した客で、「終点・籠原」まで行く客が何人存在するのか、統計をとってみたほうがいい。限りなくゼロに近いのではないだろうか。試しに、熊谷の1つ先、籠原の駅まで乗っていってみたまえ。熊谷でほぼ車内は空っぽになり、池袋から乗った客の中にさえ、「籠原には何時に到着するのか」に関心のある者などほとんどいないのだ。

 

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(エキスを吸収する、白い魔物)


 要するに、放送される情報の多くは、乗客にとって必要度の低いものなのである。グリーン車に関する情報など、いちいちグリーン車に乗る乗客だけに知らせればいいことである。終点に何時につくかを、途中で降りる乗客に知らせるのも不必要。カラオケ気分の車掌の大演説を放送する必要はほぼ皆無。静寂を守ることのほうが遥かに重要である。まあ、よく言われることだが「携帯電話のご使用は、まわりのお客様のご迷惑になりますからご遠慮ください。ヘッドフォンの音量を上げますと、まわりのお客様のご迷惑になりますからご遠慮ください」という放送自体が、お客様全員のご迷惑になっているのである。

1E(Cd) Coombs & Munro:MENDELSSOHN/THE CONCERTS FOR 2 PIANOS
2E(Cd) Akiko Suwanai:SOUVENIR
3E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J. S. BACH vol.1
4E(Cd) Chailly & Berlin RSO:ORFF/CARMINA BURANA
5E(Cd) Kazune Shimizu:LISZT/SONATA IN B MINOR
BRAHMS/VARIATIONS AND FUGUE ON A THEME BY HÄNDEL
6E(Cd) Eduardo Egüez:THE LUTE MUSIC OF J.S.BACH vol.1
7E(Cd) Brendel:BACH/ITALIENISCHES KONZERT
12G(γ) 塩野七生:イタリア共産党讃歌:文芸春秋
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