洗濯機が壊れました。
この洗濯機は私が大学進学のために京都に出てきたときに親に買ってもらったものです。
その年、1996年。
その頃はスマホなどはなく、いんたーねっとというものが普及しだし、大学の授業では「情報処理」が必須科目となってはいました。メールのやり取りというものがとても新鮮な時代でした。
高校ではそのようなものはまだない時代でした(一応の授業はあったのかも。パソコン教室があったような気がする?)。
進んでる子はポケベルを持つような時代。
家電で長電話してた時代。
ルーズソックスの世代です。
私はおしゃれに関心がなく、ルーズソックスはしていませんでした。
だって天パだし(笑)←出来ない言い訳が全部これになる、天パあるある。
宝塚歌劇とBL(という言葉はまだなかったが)に日常を費やす高校生でした。
勉強はしましたが、田舎あるあるで、田舎ではできる方にカテゴリされるけど、都会に出てきたら、良く見積もっても普通ってやつです。(アイデンティティの喪失(笑))
実家が高校に通えないような場所にあったため、高校入学から一人暮らしをさせてもらっていました。
私が大学に入る時、3つ下の妹が丁度入れ違いで私と同じ高校に入ったため、
そのまま私が住んでいたアパートに住むことになり、家具や家電は置いていきました。
なので京都に出てきたときに、新しく買いそろえてもらったのです。
その洗濯機が、壊れました。
奈緒美18歳、家の中にある物はすべてお父さん、お母さんに買ってもらったものばかりでした。
高校に行かせてもらい、大学に行かせてもらい、生活費も出してもらい、
そうして生かしてもらい
私が生きるためのエネルギーは全部お父さんお母さんからもらったものでした。
自分で働くようになってからは、それらはどんどん自分が稼いだお金で得たものに入れ替わっていきました。
そして家を出て親と離れていると、我が家や親の考え方・やり方とは「違う」モノの考え方ややり方があると気づきます。
そして、どうしても自分が家で学んできたことは否定的で矮小でつまらないものであると思いました。そしてそれらから抜け出したいと強く思いました。
家や親を強く否定するようになるわけですが、
それはそれでよかったと、今44歳の私は感じます。
親の支配、家の支配に気づかず終わるのか、あがいてもがいて反逆をしてそこから抜け出そうとするのか、、、
私は「気づかないまま」の幸せより、「知る」不幸のほうがいいのです。(←実際はこの2択ではありませんが)
全部壊れても真実を知りたい。そこからしか始まらない。
脱線してしまいましたが何が言いたいかとと言うと、
①親のエネルギーをもらうだけの生かしてもらう自分
から、
②自分のエネルギーで生きる自分になりたい
という躍動があったのだと思えるのです。
★繋がる「源泉」が、親のエネルギーから自分自身のエネルギーへ。
余談ですが、結婚して伴侶がおられても、子供がおられても、「自分自身は依然として親のエネルギーを源泉としている」状態の人は多いのです。それが人間関係やパートナーシップ、親子関係の「問題」として浮上してくるのです。
(心理学的に言うと、自分の親子関係が他者との関係の原型になっているということ。50歳だろうと60歳だろうと…あんたいつまで親の顔色伺ってんねん。というやつ)
さて大体の計算で、①親のエネルギーをもらうことに22年、②自分のエネルギーにつながることに22年かけてきたとして、なんと今年、44歳になります。
実際には紆余曲折の行ったり来たり、大人になってから「①親のエネルギー欲しい欲しいクレクレ」に思い切り浸ったり、
「②俺は俺だ、自分自分、オレオレ、世界の中心で俺を叫ぶ」にメッチャ偏ったりしながら生きてきました。
そうやって①と②を経て、そんでもって、次、次の段階が来ていると感じるのです。
その、次、とは?
①と②の調和した、①と②を含みながらも、どちらでもありどちらでもない、状態。
今、家の中を見渡してみると、15年前に引っ越しをしたときにお父さんが買ってくれた冷蔵庫。。。物質として親から貰った物はそれが最後だと今確認しました。
お父さんお母さんから貰った物(物質)が、近いうちに、この「肉体」だけになる日が来るでしょう。
モノ(物質)はなくなりました。モノは、自分で手に入れたものに入れ替わりました。
しかし、
親はやっぱり大きな存在として私の中に存在しているのです。
親のエネルギーを得よう・親と同じになろうと頑張った時、
逆に、
親のエネルギーを排除しよう、親みたいにならないぞ!とがんばった時
その両方は終わり、親という存在と調和しながら生きていける時がようやく私に訪れているのかもしれません。
「今」、私の中の親の存在は、支配とか重荷とか…では既にありません。
★引き継ぐべきものは引き継いで、私が先の世に持っていく
という、なんというか、「意志」といっていいエネルギーのものなのです。
★私の中に親が存在することをゆるします。
★親の肉体があってもなくても、守ってくれている
こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、
私のお父さんは令和元年に亡くなりましたが、生きていても死んでいてもあんまり変わりません。
それは、肉体があってもなくても、変わらないから、
変わらないものがあるから、だと思います。
(これはもちろん私が中年になってから親が死んでいるからのことで、親が子供のころやもっと早くに亡くなっていたりしたら事情は全く違うと思います。)
★生きていてくれるだけでありがたい
お母さんは存命です。
お父さんが亡くなった時、何かが強制的に引き剝がされたように感じ、力が出なくなりました。肉体的・物質的な部分でつながっていた父と娘のエネルギーが「切断された」のだと思っています。親が亡くなるとはこういうことなのか…と思いました。
喪って初めて、「居てくれるだけでありがたい」という感覚が生まれてきました。それだけて、私に力を与えてくれていたのです。
親子関係がどうであれ、私がどんなに親を否定しても、いつでもどんな時でも、、、。
お母さんはあまり、というか全然!全く!「どう思っているか」を外には出しません。
だからお母さんが今どういう気持ちでいるかははっきりとは分からないけど、「お母さんはお母さんの命を精一杯に生きている」というのは感じられるのです。そして、それだけでいいのだと・・・
★私は、お父さんとお母さんから貰ったもので出来ている。
物を全部なくしたとしても、この身体は残ります。
これ(肉体をもらったこと)がもっとも尊いのではないか。と最近ふと感じました。
人はもっといいものが欲しい欲しいと言うけれど、もうすでに最高級のものをもらっている。
この肉体、そして、思考や感情のパターン。今の私の存在をつくりだしてくれたありとあらゆるものすべてを、お父さんとお母さんはくれた。今も、くれている。
なんかそう思えた。(理屈じゃなくてぽわーんと、思ってしまった)
私が親から貰い・引き継いだもの…それは何だろうか。たくさんあるけれども、ここには一番最初に感じたことを書き残しておきます。
『私はお父さんから、明るく朗らかなところをもらいました。
私はお母さんから、美しく上品なものに感応するところをもらいました。
もらったもの、
たとえ今それが外にみえていなくても、それらは私の中にあります。それらは私の細胞・DNAに刻み込まれています。』
洗濯機が壊れたところから、こんなところまで来てしまいました。想定外(笑)。
何がなくなっても、壊れても、
すでに、すべてが、この私の中にある。
私たちがこの地球に肉体を得るまでに、繋がれたいのち。そのいのちのすべてが私たちの中にある。
今までは世代間連鎖等、ネガティブなものにばかりフォーカスしてきましたが、これからは、違うモノも観ることができそうな気がします。悪いもんばっかじゃ、ないのよね。
あなたはお父さんとお母さんから、何をもらいましたか?
あなたは、お父さんとお母さんから、できている。
あなたの存在は、お父さんとお母さんから、もらったもの。
ここまで読んでくれて、本当にありがとう。
新しい洗濯機、買いました。お彼岸の前後に届けてもらいます
洗濯機さん、本当に本当に長いこと、晴れの日も雨の日も雪の日も、動いてくれてありがとう。大往生(^o^)お疲れ様でした✨
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