今治建築研究会議のブログ
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路地空間

先日、久しぶりに自転車に乗って娘たちとサイクリングに行ってきた。ガソリンが値上がりしたことにせめてもの抵抗をしたくてカラ元気を装って出発した。普段何気なく通っている道を自転車で通ってみると車はまさしく動く凶器だとあらためて感じた。その車を避けるように自然とハンドルは路地のほうへ向く。すると一歩路地裏に入ると騒々しさや雑然としたうるささから突然解き放たれる。兄弟のそれと分かるくつが大きい順に干してあったり、田植えの時期を知らせるかのように用水路を流れる水の音が実に心地よかったり、幹線道路では捉えることのできない声達をキャッチできてじつに楽しい。何故に路地空間はこんなに楽しくさせてくれるのだろうかと、ふと考えてしまう。その理由としては先が見えないということがあるのではないだろうか。目的地に行くには遠回りだと知りつつも否応なく右や左に曲がらせられる。けど、面白い建物に出くわす。キャッチボールしている親子のボールを拾ってあげたら予期せぬ会話が生まれる。直進性の強い場所にはない複雑性が潜んでいて良い意味で期待を裏切ってくれる。

建築も町並みも単調でシンプルなものもキレイでよろしいかと感じることもあるが、楽しさや奥行きみたいなものは、生まれにくいのではないだろうか。時代感、素材感、様式、迷路性、さまざまな要素が重なり合い、衝突し、そして、調和の取れたものへと収束していくときそれは、今の日本を象徴する「多様性」というものになりはしないだろうか。多様性というものが近代の建築や町並みに必要かどうかは、はっきりと指し示すことはできないが、これだけ暴走している都市景観を価値あるものに変化させていくには調和を図るという作業なしには考えにくいのではないだろうか。イベントや催し物があるときだけ人々が町にあふれるというのではなくて自分たちの町を自分たちで価値あるものに変化させていこうという行為によって賑わいができたら素晴らしい都市が形成されるだろうなと感じています。

インテリアデザイン

建築は、社会とのかかわりとは無関係ではいけないし、無関係ではいられない存在だと思う。個人の住宅でさえ保存・再生運動が起きてみたり世界遺産になったり、時代を写し出す文化や、地域や国をあらわす文化に深く影響している。しかし、インテリアデザインについてはどうだろうか。外観については古き良き景観を残そうとか、保存町並群に指定されたとか取沙汰されているが内側のデザインについては、あまり語られていない。インテリアデザインこそ、生活習慣や風習が受け継がれ個人の人となりをもっともあらわしている部分のひとつで、生活の知恵の結集だと思うのですが。日常の中でモチベーションとか感情にすごく影響があるのがインテリアだと思うのにあまりデザインして住もうという気配を感じることができない。すばらしい絵画や彫刻が人々の内面に豊かさやインスピレーションを与えるようにインテリアもしっかりデザインすれば空間芸術になりえるのではないかと思います。しかし、どういうデザインがいいのか、その判断基準はどういうものなのかなどの蓄積がないのでチャレンジしたくても方法論が見つからないのが現状ではないでしょうか。内部にこそ力強くデザインしていきたいものである。

前進主義

 日本建築の歴史を屋根という部分でみてみると、竪穴式住居のように屋根のみの構成からはじまり、神社、仏閣のころから屋根と壁になり二十世紀にはいると鉄、コンクリートの出現により壁のみの建築が現れ始めました。縄文時代からずっと継承されてきた「存在としての屋根」、「象徴としての屋根」が、たった100年ほど前に破壊されてしまったことになります。その結果、屋根は、その地域で採取される土によって色、形、装飾などが形成され地域性を表すもっともわかりやすいものでしたが、その存在としての屋根が失われ、地域の個性が同時に失われてしまいました。1、2年でも継続されると何かの成果は生まれるでしょう。それが10年20年、100年200年と続けば続くほどその重みは増していくはずです。「存在としての屋根」にいたっては少なく見ても千年以上は受け継がれてきたわけです。この大きな変化をどのように捉えるべきなのでしょうか。

 現代に目を向けてみると鉄やコンクリートで建てられた近代建築は、便利さや合理性という近代を生み出すことが出来た反面ヒートアイランド現象等地球温暖化を促進してしまうようなさまざまな社会問題の要因になってしまいました。ともすれば変わらないほうがよかったのではないかという懐古的な意見が聞こえてきそうです。

築き上げてきた文化や習慣を分断させてしまったことの重大さを考えることはとても大切なことだと思いますが、日本だけでなく、年齢、国籍を問わず世界中に建てられはじめたこの近代建築のもつ意味合いを考えることも同等に大切ではないかと思っています。地球上の人口は長い間3億人ぐらいだったそうですが、20世紀はじめには15億人に達し、近代建築の歩みと同じくしてこの1世紀で4倍の60億人に増えてしまいました。その認識をもって建築のあり方を考えると近代建築の果たしてきた役割としては否定的な事柄だけではないように思います。少しでも前進していくことでもっと人にとって社会にとってすばらしい建築は出来るはずだと信じています。