前進主義
日本建築の歴史を屋根という部分でみてみると、竪穴式住居のように屋根のみの構成からはじまり、神社、仏閣のころから屋根と壁になり二十世紀にはいると鉄、コンクリートの出現により壁のみの建築が現れ始めました。縄文時代からずっと継承されてきた「存在としての屋根」、「象徴としての屋根」が、たった100年ほど前に破壊されてしまったことになります。その結果、屋根は、その地域で採取される土によって色、形、装飾などが形成され地域性を表すもっともわかりやすいものでしたが、その存在としての屋根が失われ、地域の個性が同時に失われてしまいました。1、2年でも継続されると何かの成果は生まれるでしょう。それが10年20年、100年200年と続けば続くほどその重みは増していくはずです。「存在としての屋根」にいたっては少なく見ても千年以上は受け継がれてきたわけです。この大きな変化をどのように捉えるべきなのでしょうか。
現代に目を向けてみると鉄やコンクリートで建てられた近代建築は、便利さや合理性という近代を生み出すことが出来た反面ヒートアイランド現象等地球温暖化を促進してしまうようなさまざまな社会問題の要因になってしまいました。ともすれば変わらないほうがよかったのではないかという懐古的な意見が聞こえてきそうです。
築き上げてきた文化や習慣を分断させてしまったことの重大さを考えることはとても大切なことだと思いますが、日本だけでなく、年齢、国籍を問わず世界中に建てられはじめたこの近代建築のもつ意味合いを考えることも同等に大切ではないかと思っています。地球上の人口は長い間3億人ぐらいだったそうですが、20世紀はじめには15億人に達し、近代建築の歩みと同じくしてこの1世紀で4倍の60億人に増えてしまいました。その認識をもって建築のあり方を考えると近代建築の果たしてきた役割としては否定的な事柄だけではないように思います。少しでも前進していくことでもっと人にとって社会にとってすばらしい建築は出来るはずだと信じています。