ブログを始めて、そして大好きなBMのことを書き連ねて 15年ほど?になる


昨今はサボり気味ではあるけれど、なんだかんだでよく続いてきたよなぁ…


このブログを始めるにあたってのことを思い出しながら、現在までの発信に至った想い

記事ではあまり触れなかった、BMファンとしての想いを少しだけ回想して綴ろうかな?

と、思う


多分、長文になるけれど 適当にお付き合いください(笑)




そもそも、何故ブログを?


元々、文章を書くことは嫌いでも苦手でもなく 紙媒体の時代には日記を書いていたこともあったし、友人とも授業中に手書きメモを飛ばすなど(笑)手紙のやり取りがメインの時代を過ごしていた世代


ブログ?

何や、それ?


そんなアナログな私だったが、紙媒体だと処分したり失くしたりで記録に残りにくいところ、WEB上で文章なり記録を残しておけば 老後の楽しみにもなるか…


そんな想いだった 


始めた当時、その数年前まではBMに関する色々なサイトがあって覗いていたりしたのだが

コメントをマメに入れるとか、公の場でテキストで発信者や他の閲覧者に投げかけることが 実は今でもかなり苦手であり

「それなら、自分なりに自分の場所で何かBMを語ってやろうじゃないか!?」

そう思ったのが発端


幸い、過去の記録や記憶はある


自己満足でいいや

見る人が見てくれればいいし 


そんな感じで始めたのだ



あまり、目立たないように…


こんな形でブログで発信としながらも、BMについて書いた記事はあくまでも自己満足


どちらかといえば

「見てもらわなくてもいいや」

「いや、なんなら見てくれるな」

だし

※じゃ、WEB上に乗せるなよ(笑)


検索にも引っかかって欲しくなかったので、大方の記事は『BM』とか『メンバーのゼッケンNo.』表記


何故、検索されたくなかったか?

ネットには、かなりメンドーな輩もいて

(実際にいたし、シャットアウトもした)

そういうのと対峙する時間と手間を 取りたくなかったのだ

※今もそのスタンスは変わらないので、ぼんやりした表記は続けたい


でも、進めていくうちに 読者のBMファンと少しずつ 細々でも繋がることができて 

それなりに認知されるようになってしまったようである


元々の意向からはズレてしまったが. それはそれで ありがたくて

ファン同士の繋がりや新たな出会いはここ数年でも続いていて


私自身はできるならば、テキストだけではない繋がりも大切にしたいので ブログから始まった縁や ネットから飛び出した縁は今後も大切にしたいと思えるようになった


「ECCOさんのブログを見つけて…」

「ブログを見て、色々なことがわかって…」

そんな言葉をいただくことも増えたし、そこからの繋がりが大半となる現在


ありがとうございます照れ



正直なところ

「SNSは全部辞めてやる!」

と、ブチ切れては荒んだことが 特にここ数年何度もあったのだけれど

「何かあってもこのブログだけは残しておこう」

それが、今の気持ち


今のスタンスで続けていきます


ちなみに、サボり気味ながら 日々のPVは100前後


たまに、3桁後半とか 1度1,500を超えたこともありビックリするのだけど、そんな時は

「あぁ、新たにここを見つけてくれたBMファンがいたのだな」

と、冷静に捉えている(笑)



ファンの方々と出会って…


色々な媒体から、当時のファン友達や 様々なファンの方々と繋がって、昔の懐かしい話をすることも多い


ブログを運営していることから

「色々と当時のお話をしてもらいたい」

と、言われることもある


当時の記憶や経験 資料を残しているファンは、私以外にもたくさんいるので

私があれこれ語るのも僭越だな…とは思うし、望むような話ができるかはわからない


どちらかといえば、私自身も知らなかったことや聞きたかったことはたくさんあるので、誰かに聞いて 懐かしむ気持ちにもなりたいんだよね

想いの共有…ってところかな


なので オフ会的な集まりには、皆で回しながら見てもらえるような写真や資料を持参することも多いのだけど

私の持っている情報を知って見て喜んでもらえるのは、私自身も嬉しいこと


オフ会やリアルでお話できる時でも、語り尽くせないことはあるので、ぼんやりと

「ECCOさんの話を聞きたい」 

ではなくて、具体的に投げかけてくださるとありがたいですし

「そうそう、そういえばこんな話もあったのよー」ってことも思い出すかもしれない


私の知り得る範囲や、旧知のファン友達に確認できる情報として語れること、ブログのネタにできることは まだまだあるかと思います


今は、かつてのメンバーからの話も色々と聞ける環境もありますが

リアルなファンとしての現場の、ファン目線のオフラインでしか流せない話もできるかもしれませんしね



ここまでハマり込んだのは…


令和の時代になっても、まだまだBMを忘れず思い出し

そして、新たに

「最近知ってファンになりました!」

という方々は多い


「TVでずっと見ていて…」

「コンサートなどがあったとは知らなかった」

そんな声も、会ってお話をするとよく聞く



私も最初は『TVの前で見ていた』ファンであった

登校するギリギリまで番組を見ていたBMファン


ある日、最寄り駅近くのビル内の雑貨店に コルク板にメモを留める伝言板的なメッセージボードを見つけた


あの時代だから、文通しましょう!やら何やらで 自身の連絡先を書いて貼っていた人もいて


それを見た私も

『BMが大好きです!』

と、住所まで書いて貼った


それを忘れかけていた時に、突如手紙が舞い込んだのだ

「私もBMが大好き!」

「お友達になりましょう!」


それが、隣の区に住んでいたYちゃんだった


早速会って話して、盛り上がる

TVで見ていただけのファンだった私を、一気に『追っかけ』の世界に引きずり込んだのがYちゃんだった



今で言うならストーカー?


そんなこんなで繋がったYちゃん

彼女のBMネットワークが凄かった!


年下で小学生ながら、あちこち『突撃』『遠征』をしていたМちゃんもしかり


『箱根彫刻の森』でのショーに一緒に行こうよ!という時に 箱根は地元から近いからと、早朝からステージ前 最前列を確保していたFちゃんとか

※Fちゃんとは、今もアイドルネタ ヲタ談義をする(笑)


今で言う『推しメン』とそのお母様とも仲良くなって様々な情報を仕入れたり

豊島園のステージの際には やはり地元故に入場ゲートで最前列を陣取っていたNちゃん


他にも、とんでもない熱意と行動力を持った友人たち


そこからの繋がりはとんでもなく濃くて、今で言うなら『ストーカー』認定されても仕方ないと思われる 熱烈な追っかけファンの姿もまざまざと見せつけられ

素直な私(笑)は、そんな世界へとどっぷりと引きずり込まれたのである

※その頃 色々なファングループもあり、私らは自分なりにも まだまだ可愛らしい方だったと思う



ゆるすぎる、当時の個人情報


当時、メンバーらの情報開示は 今考えるとかなり緩かった


プロフィールで在籍している学校が公開させる

学区から、まず住所の範囲を推定する

電話帳を仕入れて、同姓の家庭を見つけて片っ端から 電凸


そんなことから、自宅を特定していたのである


当時、ファン同士とは言え 別グループのファンと様々な『現場』で会うと、それはもう火花がバッチバチで(爆笑)


あのメンバーは私のもの!

とか

私こそが1番のBMファン!

とか

そんなこんなでメンチ切り合うファンもいた(笑)


いやいやぃゃぃゃ

ナニやってるんだか?というか

 

今考えると痛すぎるけれど、若気の至りよね(笑)

10代だったからこそ、幼い思考で血気盛んだったのよ


メンバー自宅への電凸には かなりの勇気も必要なのだけど、1度誰かが特定してしまえば そのあとは周りに伝わるのは早い


大体の目星を付けて、自宅周辺を彷徨いていると 自分たちと似たニオイをさせている少女たちと現場でかち合う(笑)


そんなこんなで、わかる人にはメンバーの自宅は割と容易に判明してしまっていた


それ故、ファンレターとか年賀状とかはもはや 番組宛じゃなくて自宅に直接送っていたから

そこへ記していた自分の住所あてに、卒業後のコンサートのお誘いとか情報とかも メンバーから直接手紙をもらえていたのだ


※私をそんな世界へと誘ってくれたYちゃんとNちゃんはすでに鬼籍

私はあの世に行ったら彼女らとBM談義をすることがすでに楽しみなので、いつ逝くことになっても この世に未練はないとも思える

彼女らがいなければ、私はこのブログをしたためることはできていなかっただろうな

Yちゃん、Nちゃん、ありがとう



しかし、あの時代

そうやって突撃してきたファンに対して、優しく好意的に接してくださったメンバーのご家族の懐の広さたるや

それはそれは、とんでもないものだと思う


そんなことに感謝しつつも、若さゆえに不躾だった私たちは本当に申し訳なかった…とも思う

ここで反省しても仕方ないけれど、ひと言謝罪をしたい思いもある



世は移り変わり、どう動くか?


あの頃から時代は移り変わり 約半世紀が過ぎて、人も世も移り変わった


平成の最後にDVDが発売され、令和の始めにCDが出て…


それを期に、またBMという『宝物』を思い出しては引っ張り出して胸の内で温めるファンは多い


あの頃、個人情報がズブズブだった頃と代わって、今はSNSでの情報発信があり

メンバーでも個人のページを持っていたり、メンバーやBMに関する発信を検索することにより それぞれの情報を得ることは容易になった


繋がろうと思えば繋がれる

互いの同意により、繋がって新たな関係性を構築もできる時代になった


そんな世の中で、BMファンとして情報や個人とどう向き合うか?

どう想いを紡ぎ、どう繋がるか?どう楽しむか?


もう、それは人それぞれであり 正解はないのだと思う


メンバーも、当時の自身の立場のとらえ方には 本当に様々な視点があることを感じさせられたこともある


なので知っていたとしても、メンバーの現況についてを表立ってあれこれと語ることもしたくないのだ

※オフラインでは話すけどね


例えば…

FBで知らない(忘れていた)人から、また事象に対して突然リクエストなりコメントが突然来た場合


私は、多分スルーしてしまうと思う


・あなたは誰? 

・あなたは私のことを知っていても(覚えていても)、私はわからないしパッと思い出せないのでゴメンナサイ

・小学生の時の思い出…って言われても


こういう視点を持つ人もいるだろうし、そういうメンバーもいるかもしれないよね?

(コレも人それぞれだろうけれど)


彼らも時を経て、それぞれの立場でそれぞれの人生を生きているのだから、そこは配慮と尊重はしたいよね?というのが私の持論…


はい、あくまでも私の持論で私のパーソナルスペースの取り方です


私自身は、そもそも日常生活とかどんな場面や人間関係、コミュニティに於いて

『自分から行く』

『積極的にメッセージを送る』

という意向は ほぼゼロな人間で


繋がる必要性とか それなりのきっかけがなければ  例えばFBの友達申請なとはしない主義


『繋がるときには繋がるよね』

である

※こう見えて内面、実はかなりフラットな人間です(理屈っぽいので熱く見られるようですが)

しかし 必要性や責務を感じ、人の想いに動かされた時には とことん動くヤツではあります(笑)


そんなこんなを貫きつつも、なんだかんだで ここまで様々な方々と繋がってきたことは ありがたいとしか言いようがなくて

BMが大好きである!という『根本』は揺るぎないものだと自分では確信しているので

ここ数年、必要に応じて BM関連でお手伝いできることや私ができることは、協力させて頂いています


何かありましたら今後も、是非とも直接でも 何かの手段ででもお伝えくだされば ありがたく協力をさせて頂きます


また お会いする機会がありました時には、聞いてもらえれば話せることとか思い出せることはいくらでもあるかと思います



ブログネタも 自身ではほぼ尽きた感があるのですが、ネタってモンは作ろうとすればいくらでも作れそうな気もしているので


細々とでもここを続けて行くことができれば、お役に立てることがあればがんばる所存ではあります 

お知恵をください爆笑



最後に…


結局、とりとめなくダラダラと書いてしまいました💦
お付き合いくださり、ありがとうございます

後出しのようにも聞こえるかもしれませんが、最近はSNS疲れが激しくて
ブログにしろFBにしろ、LINEグループにしろ(←個人間のやり取りはやってます)
Xに関しては『青虫アカウント』(←アゲハの青虫とか昆虫、大好きなのよ 笑)以外は ほぼ見ていない状況、 開いたり反応することをしていませんでした

かと言って 全てを断ち切るとか辞める勇気もなく、辞める必要性もなくズルズルと『語り場』だけは残しています

なので
「ECCO、生きてる?」 
的な声もあるようですが、大丈夫です
生きてます(笑)

また、時折思い出したようにBMに関しては 今回のように語り始めることもあるかもしれませんので(ネタ、下さい 笑)
冬眠でもしてるんだろ?みたいな感じで、目覚める日まで、引き続き 生ぬるく見守ってください

今年も、リアルでだったり 時折Zoomでお会いする機会がある方もいらっしゃるので、その時を楽しみにしています
よろしくお願いします🙇

※あまり自分からは行かないタイプなので、突っついてくれれば動きます(笑)


母が特養の施設に入所した


それがベストだったのか?

今はわからないが、安心安全に 健康で幸せに過ごすには 母と家族にとってそれが最良なのだ…と、入所が決まってから 何度も何度も自分に言い聞かせて来た



その日の前日、夢を見た


白髪のはずの母が黒髪で リハビリで車椅子を使っている母が、1人で歩き回りながら私に話しかける


「私、ここから先の人生 楽しんでいくから」

「大丈夫だよ、心配しないで」


私が母に返す

「いつ、白髪染めしたの?」 

「1人で立って歩いてるってスゴイじゃん!」



明け方目が覚めて、夢を思い出したら泣けた


多分…

夢を通して、母が私に送ってくれたメッセージなのだ…と





  あの日が始まりだった

思えば5年ほど前

警察から連絡を受けたのが始まりだったのだと思う


「お母様を保護しています」


へ?

保護?

何故に保護?


聞いてみれば、夕方に歩いて20分ほどのスーパーに買い物に行き 

帰り道が暗くなってしまって見える景色がいつもと違い、迷子になったらしく


近くの人に道を尋ねたら、親切なのか大きなお世話なのか

そのまま駅前の派出所に連れて行かれたらしい


迎えに行った時の母は、派出所のカウンターにちょこんと座り

まるで受付嬢の如くすましていたのが笑えた


そう

その時は笑えたんだけど、その後も3年ほど 数回 買い物帰りに迷子になる事象が発生する度に、警察へ身元引き受けに走った



  性格ゆえ…

軽い認知症を疑われ、かといって診断されたわけでもなく

※認知症の診断にはかなりの費用や時間がかかるとか?


17年前に罹患した くも膜下出血もあり、近所のかかりつけ医に月イチで検診に通っていた


おぼつかないところが増えたとはいえ、日常生活や会話はできていたし

外出時には携帯を必ず持っていくこと、出かける前には必ず私に連絡することを約束して


そんなあたりも確認しながらではあったが、母の携帯電話は『不携帯電話』

外だと着信に気づかない

そんなことも何度か重なっていた


こりゃ、やはり私があれこれ手伝わねばならんな


そう思い、買い物やらなにやら 仕事が早く終わる日には週に数回実家に向かって手伝った


しかし、母は

『自分は大丈夫!』

『誰にも迷惑をかけたくないから!』

そういう意識が強く、プライドも高いから

自分が自分のことをこなせないということを認めたくなかったのだろうし

常に、大丈夫!大丈夫! 心配しなくていいから!を繰り返していた


でも、わかる

私は母の性格を結構な割合で継いでいることを自覚していて

私もハタからみれば『大丈夫か?』なことも、「大丈夫!」で押し通し

大丈夫じゃない時ほど 大丈夫を装う性分らしい


他人の手を借りるのは申し訳ないし、できる限り自分で解決したい

そんな性格だから、母の思考パターンはわかるのだが


うーん…

そのうち『大丈夫』ではなくなるぞ?

そう感じていた



  入院生活へ

そして、去年

毎日のルーティンで 昼に母に電話をした時のこと


いつもなら、留守電に変わるギリギリには出るのに出ない


何度も電話しても、出ない


たまに、洗濯物を干したり取り込んだり

ベランダで日光浴していたり

そんなこともあるので、様子を見ようとしたが 妙な胸騒ぎがあった


忙いで仕事を終わらせて、実家のドアを開けると

母が布団の上で起き上がれずにいた


お決まりの

「大丈夫だから…」

を頻発させながら、そのまま救急搬送・腎盂腎炎で入院


87歳の母にとって、1ヶ月の入院は 足腰の弱りを進ませるものであり

回復期のリハビリ病院の転院を含めても、年齢とは言え すっかり弱ってしまったな…

そんな印象


自宅に戻っても、割愛するが 私的な修羅場もあり


マジか…


率直にそんな気持ちの毎日だった




  老いていくこと

退院後、介護サービスのあれこれを検討し始めた


買い物も、自分で歩きたいから…とダラダラとした坂を私に手を引かれながら歩いていたのを、車で行きたがるようになった


食べる量も減って、表情や会話の反応が乏しくなっていくのも感じた


でも

「大丈夫!」

「デイサービスには、通いたくないのよね」


区役所にも諸々の手続きで通いながら、アドバイスを受け

地域の包括センターへの相談を控えていた矢先、2回目の救急搬送→入院となる


この時は、仕事を終えた弟が発見した

入浴後だったようで、全裸に近い形で布団に倒れていた…と


やはり

「大丈夫!」

「ちょっとクラクラしただけだから」


診断は『右視床出血』

幸いにも軽く後遺症の麻痺も出ず、病状的には快方に向かい回復期のリハビリ病院への転院


が、リハビリを続けるうちに主治医から

・これ以上の身体的回復は限界がある

・入院できる期間にも制限がある

・早いうちに、特養の入所申込をした方がよいのでは?

と言う見解を頂く


月イチの病状説明ということで、弟と話を聞いていたのだが

実際に同居の弟の仕事の都合や心身の負担、普段は住まいが離れており やはり日中は母に付いていられない私の状況を考えたら やむなしか?


いつかは、こういうことを真剣に考えねば…ということと

母の老いということを、ここで突きつけられた



  そして、入所へ

特養への入所は、かなり長い時間の待機となるのはよく聞くこと


資料から、入所希望の施設を5つ選んで申請し

前とは要介護度も変わっているであろうから…と再申請と面談

なーんと『要介護5』を頂くことになる


あとで施設の方が言うには

「恐らく病院のベッドでの面談だから、5だったんでしょうね」

「今見る限り4?、もしかしたら3くらいかもですね」

だそうだ

まぁ、生活全般である程度介助が必要ではあるのだけど

申請した5施設のうち、3施設と面談やら施設見学


要介護5が優先されたのか?

年明けにトントンと入所が決まることとなる


あれこれと施設の口コミを見て、厳選した5施設

そのうちでも、ここに決まるといいんだけどな…と思った施設


相談員もソーシャルワーカーも女性で感じのいい方

運がよかったとしか言いようがない


入所まで、手続きの書類やら必要なものを揃えることに奔走して

保険屋で 母の終身保険(介護特約付)を担当している従兄弟や、母方の親戚にも久しぶりに連絡


持ち物には全て記名を…

ということで、下着や衣類 などなどに母の名前を書き お名前シール的なものを付けては

「幼稚園入園を控えた幼児かよ?」

と、突っ込んだりもして(笑)


ようやくの入所にこぎつけたのである

※弟はほぼ動かずチュー



  これでよかったんだよね?

様々な手続きと準備を進める中、最大の壁が『母への説明』


デイサービスがイヤだと言っていた母、年齢的に『施設送り』とネガティブな考え方もあるので、今後の現実をきちんと話さなくてはいけない

軽いとは言え認知症があるからと、騙し討ちみたいにして連れて行きたくない


どう話そうか?

受け入れてくれるのか?

最悪、泣かれたらキツいな


そんなこんなで私自身も身構えて、母へと入所について話す


1人で自宅にいさせることへの心配

健康で長生きしてほしいこと

安心安全に過ごしてもらいたいこと

ちょこちょこと会いに行くから 心配なことは、いつでも率直に話してほしい


すると

「そうか、よかった」

「このあと、何処に行くのか?心配だった」

「決まったならよかった」


施設入所が決まってから、看護師さんや療法士らに

「退院、決まったね」

「よかったね」

と、私の話より先に声をかけられていたらしく


そんなこんながあってのこの反応

かなり、拍子抜けした

いや、ちょっと無理してたというか 私に気を遣っていたんだろうけれど


主治医を始め、母が信頼する看護師たちも明るく 話していてくれたのだろう

感謝でしかない


当日は弟と共に退院と入所に付き添い、ある意味『終の棲家』への引越しをしたのである



  長生きするって、大変

母の入所のあと、中学同期の友人5人と 恒例の宅呑みでO宅へ


彼女らは母と私の状況を知っていたし、今までを労い 今回の入所を祝ってくれた

本当に心強かったし ありがたい照れ


特養で仕事をしているAが言った

「ホント、すくに入所できてよかったね」

「ネガティブなイメージは今はないよ」

「学校みたいで、楽しんでる人多いし」

そんな言葉には なにより励まされた


多分、入所後に自宅に帰って1人でいたら 私はどっぷりとダークサイドに落ちたかもしれないから


「でもさ、長生きするってのも大変よね」

そんなAの言葉にも、まさに!と思った


今は、専門の方々に預けられるけれど

私は将来的にどうなるのか?ってことも考えたりして

ま、そんなあたりも落ち着いたら考えていこうか



母の入所後、空き時間が増えた

なんだかんだで約5年

自分に使える時間はあまりなかった


あ、もう病院に面会に行かなくてもよかったんだ

この曜日のこの時間は、いつも面会に行っていたのに

母の洗濯物がないと、洗濯機1度 回せば済んじゃうのか


そんなこんなを考えていると 腑抜けというか、空いた時間で何をしたらいいかわからなくなってる現状


若干のうつ的な状態なんだろうけれど、これが最善だったと理解していくのだろうし

母も、新しい環境に順応しているところ


母と娘で、越えて行かねばね



母よ

何か手伝ってほしいとか、手を借りたいとか助けて!とか

そういうことは、きちんと施設の人に伝えていくようにしてね

本当は大丈夫じゃない時に「大丈夫!」を発動させないでね


私もそうするから

あなたの性格を継いでいるけど、苦しい時には助けて!って言える人間になるから


そして、環境は変わったけれど

私が助けられることは、1番に助けに行くから

それも、私ができる 続けていく介護の1つかもしれないから


新しい道を

進んで行こうね



2025年が過ぎていきます

この日になっても、まだそんな気がしなくて


でも、仕事納めをして 以前の同僚との恒例の忘年会もいつもの場所で楽しんで


そうか、また1年が過ぎていくのか



今年は厄年で、実際に一昨年から色々な翳りには気づいていて


本当に、正直に ここ2年は心身共にキツい年だったんだよな

すっごい迷走してた

で、周りに迷惑をかけたり イヤな気持ちにもさせた

ごめんなさい



メンタル的には毎日 すごい振り幅で、小さなことに翻弄されては上がって下がって…のジェットコースターのようで


ものすごく楽しいことを存分に楽しんだり、仲間に会ってはっちゃけたり

かと思えば 別に私、今 消えてもいいし 消えても平気だな…

と、思っていたし


謎の全身蕁麻疹とか

3月の滝行のあとで数日続いた、40℃近い発熱とか(流行り病じゃないから、仕事には行ってた)

特に原因はわからないけれど、50kgを割った激ヤセ状態とか


母の入院からの介護問題勃発とか

弟の あまりにもオトナとは思えない浅はかさに呆れるとか


いやぁ、凄かったわ(笑)←今 やっと笑えてる



こう見えて、考え始めると 沼にはまるようにダークサイドに落ちるヘタレなので

多分、トラウマもたくさんできたのだけど


10月に還暦を迎えて、色々な再会の機会を経験してからは

なんだか光が差してきたような気もしている


憑き物が落ちたというか、砕けるつもりで憑き物の正体に当たりに行ったら それがブチ破れたというか

久々にクリアな状態で過ごす年末

第二の人生が、始まる?

そんな予感さえする



昭和100年の今年、大好きなBM関係のファン繋がりも、広がったと思う


実を言うとこのブログ、開始当初は BMを検索されることで 記事の表示をされたくなかったんだよね

だから『BM表記』とか『メンバーのゼッケンNo.表記』とか、そんなあたりを貫いてきた


しかし、どこから繋がるのか?

検索していたら私のブログに行き着いた!というファンの方々の声も多くて

「ブログを読むことで、BMのことを色々と知れた」

「とても懐かしく思い出した」

という声をかけていただくことが増えて、素直にありがたく嬉しいと思える昨今


あくまでも、ここはBMブログではないし サボり気味というか、ネタを尽くした気もするけれど

記事を覗きに来て、楽しんでもらえるならば、何かの役に立つのであれば、今のスタンスのままでのんびりと発信をしていこうと思う

(最近は SNS疲れが激しくてキツいので、デジタルデトックスはしていくとは思う)



2025年のテーマとしての漢字一文字は

『再』

だった


もちろん再会があり、自分の内外でも 何かが再び始まることを感じているし、文字通りの1年だったな



そして、2026年は…


『在』


消えてしまいたい、消してしまいたいと思えた自身の存在とその意義だったけれど


いやいや、ここにいていいんだよね?

私は、存在していていいんだよね?


自分の在り方を認めて

周りに翻弄されず、在るべき姿で生きて

在りのままの自分で、遠慮せず隠さず開示して


そんな1年にしようと思う



何かから脱したり、次のフェーズに移る時には、少なからずの痛みや苦しみは伴うものだと思っていて


もうそんなことは、ここ数年でイヤというほど経験しちゃった(笑)


だから生まれ変わった気持ちで、新しい年に向かおうと思う



2025年、昭和100年というこの年

そして、今年も懲りることなく私と関わってくださった全ての方々


本当にありがとう!

また、新しい年もよろしくお願いします!!


共に、笑って生きていきましょう!