炎の人ゴッホ
1956年 アメリカ映画
監督 ヴィンセント・ミネリ
脚本 ノーマン・コーウィン
出演 カーク・ダグラス
⚫︎あらすじ
牧師の息子として生まれたゴッホは、ベルギー炭鉱で伝道師として務めるも、村人を理解しようとする姿勢が教会から疑問視され、聖職者の道を断たれてしまう
失意の彼は、弟テオの支えや家族の助言を受けて自分の本当の道を模索し始める
やがて「絵を描くこと」こそが自身の信仰であると気づき、オランダやパリに移り住み、労働者や自然を題材にひたすら絵筆を握るが、その個性的な作品は世間から理解されず孤独に苛まれる
しかしどんなときも弟テオは経済的・精神的に兄を支え続け、彼の画業を励まし続ける
やがてパリで印象派絵画との出会いを経て、ポール・ゴーギャンと意気投合し、アルルに「黄色い家」を構えて共同生活を始めるが、絵の創作や価値観を巡り激しく対立してしまう
心の病に蝕まれたゴッホは、ついに耳切り事件を起こし、療養所で治療を受けるが、心は癒されず苦悩が続く
⚫︎感想
ゴッホを演じるカーク・ダグラスが上手くて、だんだん本人に見えてきました。
すっごく繊細で感情が豊かなゴッホ。だけど周りの人とは上手く付き合えないんです。
天才的な画家だったのかもしれませんが、自分の意見や思いが強く、周りの人との協調性が無かったようです。
父が神父で、自らも神父を目指しますが、挫折してしまうゴッホ。でもそれは、本当に貧しい人を救おうとしたからでした。
でもダメなんです、なぜなら「聖職者は貧しい者たちを導くため、貧しい人よりも良い服を着て、良い家に暮らし、人々の手本にならないといけない」と上の神父からゴッホは注意されてしまうんです。
自分たちだけは特権階級だからと考えている聖職者が多い時代だったんでしょう…
とにかく弟のテオが、兄のゴッホを献身的にお金の援助をするんです。愛が欲しくて寂しくていつも悩んでいたゴッホは、弟のテオからは特別に愛されていました。
そのテオが結婚すると聞いたゴッホは、アルルに移り住み、一時期ゴーギャンと暮らします。しかしゴーギャンとも言い争って別れてしまい、寂し過ぎて耳を切り取ってしまいます。
そしてゴッホは自ら精神病患者の療養所に入り、少しだけ回復したのちにバリ近郊の村、オーヴェル=シュル=オワーズのガシェ医師の近くで暮らしながら絵を描きました。
しかし突然、銃で自分の胸を銃で撃ってしまいます。37歳でした。
⚫︎ゴッホ
1853年3月30日〜1890年7月29日。
オランダのポスト印象派の画家です。生きている間に絵はほとんど売れませんでしたが、兄を献身的に支えた弟テオが兄を追うように半年後に亡くなると、テオの妻ヨーがゴッホの絵を世に紹介する努力を重ね知名度が上がりました。
ゴッホの名前は、フィンセント・ファン・ゴッホ。弟の名前は、テオドルス・ファン・ゴッホです。そう、二人ともゴッホなんです。でも映画や物語では、画家の兄をゴッホと呼び、弟のテオドルスをテオと呼んでいるんです。
⚫︎ゴッホが愛したケー
映画では、ゴッホが好きになった女性ケーに執拗に求婚をせまりますが、「絶対にだめ」と強く拒絶されてしまいます。ゴッホはケーの家まで押しかけ「ケー会わせるまで自分の手を火で焼きながら待つ」と言いますが、会うことは叶いませんでした。
ケーへの叶わぬ愛や失意から、ゴッホは生活のよりどころを絵画に見出し、本格的に画家の道へ進み始めます。独特な色彩や激しい筆致は、ケーへの想いと失意が昇華された「魂の叫び」として作品にも現れています。
ケーに会わせるまで自らの手を焼くって⁈この人って絶対ヤバい人ですよね…
ん?炎の人ってそう言う意味もあるの??
⚫︎印象派とは
19世紀後半のフランスで誕生した芸術運動で、主に絵画の分野で革命的な変化をもたらしました。印象派は、従来のアカデミズム美術が重視していた歴史画や神話画、厳密な描写や構成とは異なる「光」や「色」「空気感」など、画家が目の前で感じた一瞬の印象をそのままキャンバスに表現することを目指しました。
ゴッホはパリでモネ、ルノアール、ゴーギャンなど印象派の絵を見て感動しました。そしてその時に日本の浮世絵にも出会いました。
⚫︎光のツブツブ
ゴッホは「写真では光のツブツブまで表現できない」と言っていました。19世紀後半、ゴッホの時代には写真技術が急速に発展していました。「現実をそのまま写せる」写真が登場したことで、写実的な絵画は意味を失いつつありました。そんな中、ゴッホや印象派の画家たちはこう考えたのです。「写実ではなく、“光”や“感情”そのものを描くのが絵画の使命だ」
つまり、ゴッホが言う「光のツブツブ」とは、目に見える光そのものではなく、心で感じる生命の輝きを意味しています。
ゴッホは太陽や麦畑、夜空の光を「震えるような生命のリズム」として描こうとしたんですね。なんとなく岡本太郎と似た感じがします。
ゴッホは“てんかん”と“うつ病”を患っていたようです。精神分裂症という見方もあるようですが、それにしては残っている手紙の内容が理論的すぎるようです。
ゴッホは生きている間には絵が1枚しか売れなかったそうです。ですが弟テオの妻ヨーが一生懸命に義兄ゴッホの絵や手紙を整理して売り込んだようです。
兄のゴッホに資金援助をしていた弟テオの妻ヨーは、売れない画家の義兄ゴッホに良い思いが無かったようです。ゴッホが自殺して家計が楽になると思いきや、夫のテオが急激に生気を失い、半年後に亡くなってしまいます。その後テオとゴッホの手紙を読んで二人の仲を知り、ヨーはゴッホの絵を売り込み、手紙を本にしました。
その手紙によるゴッホの物語と、浮世絵を愛した日本びいきのゴッホは、日本人に大人気の画家になったんですね。
⚫︎ひまわり
アルルの黄色い家を飾るために書いたひまわりは6点が現存します。1枚は東京都新宿区のSOMPO美術館で観ることができます。
⚫︎夜のカフェテラス
アルルにあったカフェテラスです。似たようなカフェに行ったことがあって一番好きなゴッホの絵です。
⚫︎ジャポネズリー:梅の開花
日本好きなゴッホが広重を模して描いた絵です。漢字まで書いてくれて嬉しいですね!





