真実の行方


1996年 アメリカ映画

監督 グレゴリー・ホブリット

脚本 スティーヴ・シェイガン

原作 ウィリアム・ディール

出演 リチャード・ギア

   エドワード・ノートン



⚫︎あらすじ


シカゴで、市民から愛されていた大司教が惨殺されるという衝撃的な事件が発生する


現場から血まみれで逃走した19歳の青年アーロンが逮捕され、世間の注目が集まる


野心家で売れっ子の弁護士マーティン・ベイルは、売名のためにアーロンの弁護を無償で買って出る


内気で吃音のあるアーロンは、「現場に別の男がいた」「事件当時の記憶がない」と涙ながらに無実を訴える


その純粋さに触れたマーティンは、彼が犯人ではないと確信し、かつての部下である検事ジャネットと法廷で激しく対立する


しかし、調査が進むにつれ、大司教が聖歌隊の少年たちに性的虐待を行っていたという事実が浮上するのだ


さらに、精神鑑定でアーロンの内に潜む凶暴な別の人格「ロイ」が姿を現す


マーティンはアーロンが「解離性同一性障害(二重人格)」であるとして、心神喪失による無罪を勝ち取るため、危険な賭けに出る


法廷でロイを引き出すことに成功したマーティンは、見事アーロンを無罪(精神病院への収容)へと導く


しかし、勝利の余韻に浸りながら面会に訪れたマーティンに、アーロンは衝撃的な事実を告げた


実は二重人格は、はなから存在せず、純朴なアーロンという人格を、殺人鬼「ロイ」が演じていたのだった





⚫︎感想


ミュージカル映画「シカゴ」でも、リチャード・ギアは敏腕弁護士でした。

今回もリチャード・ギアは、頭が良く、金持ちで、女にモテる感じの弁護士です。


あのフワッとしたデザインパーマのような髪型と、優しそうなつぶらなひとみが、いいんでしょうねー。


マーティンは大司教が殺害されたニュースを見て、すぐにアーロンの弁護を無料で引き受けます。


注目の裁判に出ることで売名行為をしようとするんです。


何と訴訟大国アメリカには日本の30倍もの弁護士がいるそうです。そりゃあ売名行為もしなきゃ商売あがったりですよねー。


しかもキリスト教の国ですから、大司教の殺害事件にはどうしても注目が集まるんでしょうねー…


そんな弁護士の心を先読みした犯人の計算勝ちっていう映画でした。


結局犯人は大司教を殺害して、まんまと精神病院に行くっていう結末。


このままでいいのか?って思う結末でしたねー。



⚫︎大司教は性犯罪者だった


アーロンと、その彼女の性行為を撮影するのが、大司教の趣味でした。この聖職者の性犯罪を描くっていう映画がとても多いんです。宗教による抑圧が、偏った性行為を生み出してしまう側面があるんでしょうねぇ…。


隠蔽体質:不祥事が明るみに出ることで教会の権威が傷つくことを恐れ、問題を起こした聖職者を別の教区へ異動させるだけで済ませるなど、組織的に隠蔽が行われてきた実態が多くの国で明らかになっています 。


信頼の悪用:聖職者は信者にとって精神的な導き手であり、神に仕える清廉な存在として絶大な信頼を寄せられています。被害者をマインドコントロールしたり、「立派な神父様がそんなことをするはずがない」と周囲に告発しても信じてもらえないことがあります。


独身制:カトリック教会の「独身制(妻帯禁止)」が、歪んだ形での性的な衝動に繋がっているのではないかという議論も長年なされています。


教師にも共通:学校教師にも同じような性犯罪が多いです。圧倒的な権威と密室性がその背景にあります。


日本の仏教界:残念ながら、日本の仏教界においても同様の事件は起きています。近年、被害者による勇気ある告発が相次いでおり、日本の寺院が持つ「閉鎖性」や「師弟関係」が共通の背景として指摘されています。


教会の不祥事を暴いた作品



⚫︎なぜアメリカは弁護士の映画が多いの?


アメリカは訴訟大国と言われ、日常生活のあらゆる場面で法律や契約が関わってきます。


日本のような単一民族に近い社会では「阿吽(あうん)の呼吸」や話し合いで穏便に済ませる文化がありますが、アメリカのような多民族社会では価値観が異なるため、客観的な「法(契約)」で白黒はっきりさせることが最も公平な解決策と考えられます。


アメリカの考え方は「小さな政府」です。政府が細かくルールを作って監視・保護してくれません。例えば、製品に欠陥があっても、政府がすぐに企業を厳しく罰したり被害者を救済したりする仕組みが薄いのです。


すると、被害者は「自分で弁護士を雇って、裁判で白黒つけるしかない」という状況になります。つまり、政府が役割を放棄した分、司法(裁判)が社会の調整役を担うことになり、結果として弁護士の出番が増えて「訴訟大国」が加速したという側面があるようです。


アメリカの自由な空気の裏側には、こうした「自分の身は自分で(または弁護士と)守る」というシビアな構造があるんですね。


対して大きな政府の国(例えば北欧など)では、アメリカに比べて訴訟が少ない傾向にあります。


トラブルが起きても、政府の専門機関が仲裁したり、公的な補償制度で救済されたりすることが多いため、わざわざ高いお金を払って弁護士を雇い、裁判で争う必要性が低くなります。


小さな政府(Small Government)

国家による経済活動や国民生活への介入を最小限に抑え、市場や個人の自由に任せる


大きな政府(Large Government)

政府が積極的に社会や経済に関与し、高い税金を徴収する代わりに、手厚い社会保障や公共サービスを国民に提供する


税金が少し高くても大きな政府のほうが安心して暮らせそうですね。