ロカビリー青春白書 -118ページ目

★タイトルが薔薇&ROSEのうた - 邦楽80's編 - PART 3

1985 - Blue Blue Rose - BARBEE BOYS(バービーボーイズ) ※ロック

 

「Blue Blue Rose」は、85年2月1日発売、日本のロックバンド BARBEE BOYSの2ndシングル「もォ やだ!」のB面に収録。

作詞・作曲は、メンバー、リーダであるギターの、いまみちともたか(通称:イマサ)。

BARBEE BOYSの楽曲の作詞・作曲は、ほとんど“イマサ”が手掛けている。

 

この曲は、BARBEE BOYSらしい男女の恋愛ストーリーを描いた歌詞であり、曲調はアップテンポの渋めなビートナンバー。そして、後に発売の85年2月25日発売のファーストアルバム「1st OPTION」にも収録されている。


「1st OPTION」、1985年2月25日発売の記念すべきデビューアルバム。当時のミュージックシーンに一石を投じた衝撃作。
 

シングル作品「暗闇でDANCE」「もォやだ!」だけでなく、「Blue Blue Rose」や「小僧-cryin' on the beach」などデビューにして数多くの優れた楽曲が収録されている。メンバーであるギタリストの、いまみちともたかが手がけた独特のメロディとビート感あふれる楽曲が魅力の、日本のロック史に残る名盤のひとつ。
 

そして、音楽生放送番組・テレビ朝日系列 「ミュージックステーション」<毎週金曜日21:00 - 21:54>(通称:Mステ)に出演。

 

★88年02月出演時に「Blue Blue Rose」を演奏。


★BARBEE BOYS (バービーボーイズ)

ツインボーカル編成の男女5人組で構成される日本のロックバンド。
●メンバー

KONTA:コンタ (Vo.Sax.)、杏子:きょうこ (Vo.)、IMASA:イマサ、いまみちともたか: (Gt.)、ENRIQUE:エンリケ (Ba.)、コイソ: (Dr.)

KONTAと杏子による男女混声ツインボーカルが特徴。


 

≪略歴≫
82年7月、男性4人組として結成。同年8月、いまみちともたかに歌唱力を高く評価され、杏子が加入。
83年11月、「CBS・ソニーSDオーディション」全国大会でグランプリを受賞。

84年9月、1stシングル「暗闇でDANCE」でメジャーデビュー。
85年2月、2ndシングル「もォやだ!」と1stアルバム「1st OPTION」をリリース、その後全国ツアー、9月渋谷公会堂 初ライブ敢行。


 

185年10月、4thシングル「チャンス到来」リリース。

 

 

86年3月、全国18ヵ所を回ったライブツアー、全会場がSOLD OUT。


86年4月、5thシングル「負けるもんか」は、初めてチャートにランクイン。

 

同年10月、3rdアルバム「3rd BREAK」は、リリース2週目にして、チャート最高位4位を記録。

 

 

86年10月6thシングル 「なんだったんだ?7DAYS」リリース。

 

87年4月、アサヒビール飲料“三ツ矢フルーツ”のTVCMソングとして、起用された7thシングル「女ぎつね on the Run」は、チャートでの最高位は28位だったが、12週にわたって100位以内にランクインした。

 


88年3月、リミックス・ベストアルバム「BLACK LIST」をリリース、チャート初登場2位を記録。

 

同年4月、「国立代々木競技場第一体育館」2Daysライブは、チケット2万2000枚が1時間足らずでSOLD OUT。
88年7月、「阪神甲子園球場」、8月、「東京ドーム」を含む全国10か所回るアリーナライブツアーも、軒並みSOLD OUT。

 

そして、89年5月まで全60本の全国ツアーをスタート、勢いが留まることのないBARBEE BOYSに、再びTVCMタイアップ曲の話が舞い込む。

89年1月、メンバー自身も出演した、資生堂男性用整髪剤 「TREND・Y」 のCMソング、10thシングル「目を閉じておいでよ」が大ヒット。

週間シングルランキングで初登場10位を獲得。後に最高位7位を獲得。同年内に16.8万枚を売上、バンドの代表作となった。

 

 



1992年1月24日に渋谷公会堂でのライブを最後に解散。2003年に再結成。

 

その後も幾度か解散と再結成を繰り返す。

2020年1月13日、国立代々木競技場第一体育館にてワンマンライブ「突然こんなところは嫌いかい?」を開催。


 

 

 

1985 - Baby Rose - 織田哲郎 ※J-POP ロック

「Baby Rose」は、織田哲郎が、83年ソロデビューから通算3作目にあたる、85年8月25日発売のアルバム「NIGHT WAVES」に収録。作詞・作曲・編曲:織田哲郎。

 

織田本人、当時のことを非常に苦しい時期だったと語っているが、そんな感じはしないシティロックな曲と言える。翌年86年9月、近藤真彦がカバー、シングルカットされる。

 

 

 

織田哲郎、シンガーソングライター/プロデューサー 1958年3月11日生まれ。東京都出身。

≪略歴≫
中学時代をロンドンで過ごし、15歳で帰国。高校時代にバンドを組みエレキギターを弾きはじめ、同時にオリジナル曲の創作をはじめる。
1979年、「スピニッヂ・パワー (Spinach Power)」 (ディスコ歌謡) の2代目ボーカリストに就任し、楽曲のほとんどの作曲をてがける。

 

◆スピニッヂ・パワー

1978年 1st Single - Popeye The Sailorman (Vo. 西濱哲男)

 

 

1979年 3rd Single - FUNKY DISCO PRINCESS (Vo. 織田哲郎)

 

 

 

FUNKY DISCO PRINCESS - ★舘ひろし 単独初主演映画 '78「皮ジャン反抗族」 挿入歌で使用

80年あたりから、3代目ボーカリストは、“寺西修一”(後にBOØWYのボーカリストとなる“氷室京介”)。

ドラマーの“木村マモル”は後にBOØWYの初代ドラマーとなる。

 

★寺西修一 (氷室京介)

 

1980年 7th Single - HOT SUMMER RAIN (Vo. 寺西修一=氷室京介)


1979年、ギタリストの北島健二らと共にプロデュースユニット“WHY”を結成し、アルバム 『WHY』 でデビュー。それと並行し、プロデュース業も開始する。

1980年、「織田哲郎&9th IMAGE」結成。

●メンバー

織田哲郎(Vo.)、北島健二(Gt.)、松井恒二(Ba.) 、※(後にBOØWYのベーシストの松井常松)、古村敏比古(Sax.)、小沼俊明(Dr.) ※(後にBARBEE BOYSのドラマーのコイソ)

 


 

1980年 織田哲郎&9th IMAGE - スパーキング・ラヴ~胸につのる想い~

 

 

1983年、ソロデビューシングル 『2001年/NIGHT』 リリース。1stアルバム 『VOICES』 でソロデビュー。
 

1984年、プロデュース業、初の依頼を受け、ロカビリーバンド 「ブラックキャッツ」 のアルバム 『東京ストリートロッカー』 を手掛ける。


 


 

1986年、TUBEに提供した 『シーズン・イン・ザ・サン』 が大ヒットし、1990年には、B.B.クイーンズ 『おどるポンポコリン』 で日本レコード大賞を受賞。

 


1992年には、自身のシングル 『いつまでも変わらぬ愛を』 (大塚製薬 「ポカリスエット」 CMソング)がミリオンセラーに。 


 

 

1993年、オリコンチャート・ベストセラー作家部門において、12,404,990枚という史上最高のセールスで1位を獲得。
以後、相川七瀬等を中心に様々なアーティストのプロデュースを手掛けていく。



 

1995年、ロカビリーバンド「MAGIC」のアルバム 『あの夏が聴こえてくる』 をプロデュース。


 

 

収録曲の 「Someday Somewhere」 は、織田哲郎が87年に発表した曲

 

MAGIC - Someday Somewhere

 

織田哲郎 - Someday Somewhere

 

1998年、「DON'T LOOK BACK」 通称 DLBを結成。シングル5枚、ミニアルバム1枚をリリース、99年12月に活動休止。


 


 

2000年、“パリ・コレクション”のモデルとして、“MASATOMO”(現、RYNSHU)というブランドのデザイナーの春夏ファッションショーに出演。
2007年3月時点、日本音楽史上歴代作曲家売上ランキング第3位となる4,000万枚超えるセールス(CDシングル・オリコン調べ)を記録。



 

2007年、自身14年ぶりとなるフルオリジナルアルバム 「One Night」 を発表。
2015年、ダイアモンド☆ユカイをボーカルに迎え、バンド 「ROLL-B DINOSAUR」(ロール・ビー・ダイナソー)を結成。



 

2019年からは、自身のYouTubeチャンネル 「織田哲郎 T's Corporation」 にて"オダテツ3分トーキング"と題した、過去に手掛けた楽曲を音楽的な面や制作時のエピソードを交えつつ約3分で解説する動画を配信している。

 

 

 

1986 - Baby Rose - 近藤真彦 ※アイドル歌謡曲

「Baby Rose」は、近藤真彦21作目のシングル。1986年9月10日発売された。

 

元々は織田哲郎の楽曲で、85年8月発売のアルバム「NIGHT WAVES」に収録されていた。織田は、この楽曲の以前から2曲提供している。それが縁で「Baby Rose」を聴いた近藤が、織田へ「ライブで歌いたい」と打診し織田が快諾、発売に至った。
 

楽曲製作では織田が全面協力、原曲と同じく織田が編曲・コーラス参加。

本曲発売当時、TBSテレビ深夜音楽番組で織田と一度きりの競演を果たす。

売上枚数:94,150枚。第28回日本レコード大賞・金賞。オリコンランキング最高順位6位。

 

 

※≪織田哲郎インタビュー≫
「“NIGHT WAVES”の中で最後の最後に出来た曲。 近藤真彦君がこの曲を気に入ってライブで歌い続けてくれた。 それがのちにシングルとしてリリースされることとなる。」
 

近藤真彦、1964年7月19日生まれ、神奈川県出身、歌手、俳優、タレント、レーシングドライバー。ニックネームは“マッチ”。
 

≪略歴≫
1977年13歳でジャニーズ事務所に入所、79年にドラマ 『3年B組金八先生』 で芸能界デビュー。同ドラマで共演した田原俊彦、野村義男とともに“たのきんトリオ”として人気を博す。


 

1980年12月、1stシングル「スニーカーぶる~す」でソロ歌手としてデビュー。

自身最大のヒット曲、かつミリオンセラー(ジャニーズ事務所としては、史上初のミリオンセールス)となった。

また、東宝映画 『青春グラフィティ スニーカーぶる~す』 と、タイアップで自身のデビュー記念作品。たのきんスーパーヒットシリーズ第1弾。



 

1981年6月、3rdシングル「ブルージーンズメモリー」発売。東宝映画 『ブルージーンズメモリー BLUE JEANS MEMORY』 と、タイアップ。自身主演第2弾で、たのきんスーパーヒットシリーズ第2弾。


 

曲の大サビ後、「さよならなんて、言えないよ。バカヤロー!!!」と台詞を絶叫するが、これは近藤の考案。オリジナルは「好きだよ。好きだよ。好きだよー!」だったが、近藤が恥ずかしくて言えないと、前述の台詞に変更。
1981年9月発売、4thシングル「ギンギラギンにさりげなく」の大ヒットで、『第23回日本レコード大賞・最優秀新人賞』 を始め、『第12回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞』 『第10回FNS歌謡祭・最優秀新人賞』 など、同年に数々の新人賞を獲得した。


 

 

1982年6月、7thシングル「ハイティーン・ブギ」発売。作曲は、山下達郎。

東宝映画 『ハイティーン・ブギ』 主題歌。カップリング「MOMOKO」は同映画挿入歌。

自身主演第3弾でたのきんスーパーヒットシリーズ第4弾。

 

 





同年9月発売の、8thシングル「ホレたぜ!乾杯」で、『第24回日本レコード大賞・ゴールデンアイドル賞』 を受賞。翌年1月発売の、9thシングル「ミッドナイト・ステーション」が、 『第30回日本レコード大賞・金賞』 受賞。
またレーサーとしては、1984年に富士フレッシュマンレース第2戦に日産・マーチで参戦したのを皮切りに、“星野一義”のもとでレース活動を始め、1988年から1993年にかけては全日本F3選手権に参戦した。



 

デビュー曲1980年12月発売1stシングル「スニーカーぶる~す」から1985年2月発売16thシングル「ヨイショッ!」まで連続オリコン1位を記録。(81年6月発売、2ndシングル「ヨコハマ・チーク」は除く。)



その後も好ヒットが続き、80年代のアイドルシーンを席巻、数々の賞を受賞していく。
また、1985年1月、中森明菜と初共演、およびダブル主演の東宝映画 『愛・旅立ち』 が公開。

(無二の親友を交通事故で失い生きる目的をなくした青年・五代誠(近藤真彦)と、不治の病に冒された薄倖の少女・小泉ユキ(中森明菜)が、運命的に出逢う愛と命の物語。)



 

1985年6月発売、17thシングル「夢絆」で、『第11回日本テレビ音楽祭』 グランプリ受賞。同年10月発売、18thシングル「大将」で、 『第16回日本歌謡大賞』 受賞。
1986年9月発売、21thシングル「Baby Rose」(織田哲郎の曲をカバー)で、 『第28回日本レコード大賞・金賞』 受賞。
1987年1月発売、22thシングル「愚か者」で 『日本レコード大賞』 受賞。同年6月発売、23thシングル 「さすらい」で、『第13回日本テレビ音楽祭・グランプリ』 受賞。

そして更に、この年の9月発売、24thシングル「泣いてみりゃいいじゃん」で、『第18回日本歌謡大賞』 を受賞。

 

 

1988年9月発売、26thシングル「あぁ、グッと」が、 『第30回日本レコード大賞・金賞』 受賞。初めて“吉田拓郎”から提供を受けた作品。

女性アイドルへの楽曲提供は比較的多い拓郎だが、男性アイドルへ提供するのは稀有であり、拓郎がジャニーズ事務所の所属歌手へ初提供作品となった。


 


 

初出場1981年・第32回紅白から、8年連続8回目出場を果たす。後に8年後の1996年・第47回紅白に40thシングル「ミッドナイト・シャッフル」でカムバックする。
その後、レーサーとして本格的に活動を始め、98年、若手ドライバー育成を目的に「KONDO MASAHIKO RACING PROJECT」を設立して全日本F3選手権に1年間監督として参戦。
2000年、レーシングチーム「KONDO Racing Team」を設立し、オーナーとしても活躍。



2010年2月発売、49thシングル「ざんばら」 で 『日本レコード大賞・最優秀歌唱賞』 受賞。

 

2015年12月、35周年を締めくくる52thシングル 「大人の流儀」 を発表。
2021年4月30日、ジャニーズ事務所退所。

 

 

1987 - バラとワイン - RED WARRIORS (レッド・ウォーリアーズ) ※ロック

「バラとワイン」は、日本のロックバンド RED WARRIORSの2枚目のシングル。1987年4月21日リリース。

作詞・作曲は、メンバーのギタリストの木暮武彦(愛称:Shake、シャケ) 。

木暮武彦は、59年アメリカ映画「五つの銅貨」に影響を受けてこの曲を作ったと語っている。また、RED WARRIORSの代表曲の一つで、ライヴの定番曲である。

 

 

87年2ndアルバム 「CASINO DRIVE」 収録のヴァージョンでは、ホーン・セクションのオーバーダビングの他、“ダイアモンド☆ユカイ”のボーカルが新たに録り直された。

この時、実際にワインを飲み酔っぱらった状態で歌ったという。タイトルも「WINE&ROSES #2 -Club Version-」に変更された。

 


 

2001年発売のセルフカヴァー・アルバム「Re:Works」でも再演。
また、“ダイアモンド☆ユカイ”のソロ・アルバム2009年「I AM A ROCKMAN」にも、“野村義男”等が参加したセルフカヴァー収録。


 

 

RED WARRIORS (レッド・ウォーリアーズ)、東京のロックバンド。

≪略歴≫
1985年、田所“Diamond Yukai”豊(Vo)、元レベッカの木暮“Shake”武彦(Gt)、小川清史(Ba)、小沼達也(Dr)によって結成。

結成当初は「レベッカ♂」というバンド名だった。後に一時期「THE RED WARRIORS」と名乗っていた。愛称は「RED'S(レッズ)」。

※木暮武彦の子供は、女優の杉咲花。



複雑な多様化の始まった80年代後半の日本のロック・シーンの表舞台に、突如グラマラスでワイルドな往年のR&Rのイメージを復活させた4人組。
86年10月、1stアルバム 『LESSON 1』 でデビュー。


12月1stシングル 『OUTSIDER/BLUE BOY'S BLUES』 リリース。

 

 

 

87年4月、2ndシングル 『バラとワイン/I AM THE WALRUS/BIRTHDAY SONG -Another Tape-』 6月、2ndアルバム 『CASINO DRIVE』 リリース。


88年、日本武道館と西武球場でライブを行うなど、洋楽志向の強いバンドとして大きな存在感を放った。
89年、4枚のスタジオ盤、1枚のライヴ盤、計5枚のアルバムを残し解散。日本武道館2Daysするまでバッド・ボーイのイメージと華やかなR&Rサウンドを固く守って人気を博した。

92年あたりから現在まで断続的に再結成されている。(あくまでも休止であり解散ではないと公言)
現在の正規メンバーは木暮、DIAMOND☆YUKAI、キヨシの3名。

 

1987 - ROSE&PAIN - C-C-B ※J-POP
「ROSE&PAIN」は、1987年7月25日にリリースされた、日本のロックバンドC-C-Bの7枚目のアルバム「石はやっぱりカタイ」に収録。作詞・川村真澄、作曲・笠浩二、編曲・大谷和夫・C-C-B。

初期メンバーの関口誠人(Gt.)が同年4月に脱退し、メンバーが4人になって初めての作品。レコーディングは1987年の2月から始まっていたものの、笠浩二(Dr.)の緊急入院等でスケジュールが大幅に遅れ、トラックダウンが終了したのは6月29日であった。

作曲は、メンバーの笠浩二が入院中に作った曲で、わずか1時間足らずで出来たと言っている。今までのPOP作品とは違うビートが効いた80'sテイストな楽曲。

 


C-C-B - Coconut Boys (ココナッツボーイズ) 東京のロック・バンド。
≪略歴≫

当初は“和製ビーチボーイズ”をコンセプトに、渡辺英樹(Vo.Ba.Per.)、笠浩ニ(Vo.Dr.)、関口誠人(Gt.Vo.)の3人で“ココナッツボーイズ”として1982年に結成。
83年、1stシングル「キャンディ」でデビュー。

 

 

翌年、2ndシングル「瞳少女」が、ロート製薬「なみだロート」のCM曲に、両A面の「チリドッグがお気に入り」がマツダ「ファミリア」のCM曲に起用される。

 


 

84年2ndアルバム「ボーイズ・ライフ」より田口智治(Key.)、米川英之(Gt.Vo.)が参加し、5人編成へ。

 

 

85年、バンド名を“C-C-B”と改名。3rdシングル「Romanticが止まらない」が大ヒット。TBSテレビ連続ドラマ 『毎度おさわがせします』 (中山美穂 女優デビュー作品) の、オープニングテーマ曲に起用される。同年1月25日リリース。


 

同年2月21日、『ザ・ベストテン』 の“今週のスポットライト”に出演。

そのカラフルな髪色や当時は珍しかった電子ドラムのシモンズを叩きながらドラマーがリードボーカルをとるスタイルも話題となり、一躍ブレイク。


 

“松本隆・筒美京平コンビ”による作品を続けて全85年(4月、4thシングル 『スクール・ガール』 8月、5thシングル 『Lucky Chanceをもう一度』 11月、6thシングル 『空想Kiss』)リリース。次々とヒットを飛ばした。


 

昭和60年 『第27回日本レコード大賞・金賞』 受賞(曲は 『Romanticが止まらない』)、同年 「第36回NHK紅白歌合戦」に出場(曲は 『Lucky Chanceをもう一度』)。


 

86年9thシングル「ないものねだりのI Want You」でオリコン1位を獲得。その後もヒットを重ねる。

87年4月に関口が独立。89年4月21日、出演した音楽番組 『ミュージックステーション』 において同年10月に解散する旨を発表。



 

メンバー個々の音楽性、可能性を更に昇華させる意を込めた解散であること、バンド解散後も各々音楽活動を続けていく予定であると語った。同年4月25日、最終シングル『Love is Magic』 をリリース。
1989年10月9日、日本武道館でのライブを最後に解散。その後、メンバーがランダムに集まり、C-C-B名義を使用しないユニットを組んでライブを行っていく。

 

89' 日本武道館 ラストライブ

 

 

2005年「Romanticが止まらない」が珈琲CMソングにタイアップされ、メンバーの笠浩二もこのCMに出演した。

これに合わせて2月23日に 『Romanticが止まらない』 が、Remix Versionで再リリースされた(2曲目にOriginal Versionも収録)。


また、同年放送されたテレビドラマ 『電車男』 の劇中挿入歌として 『Romanticが止まらない』 が採用され、ほぼ毎週主人公の大切な場面で印象的に使用された。

これによって更に再注目の度合いが増した。

 


2008年4月17日、渡辺・笠・関口の3人がC-C-B名義での再結成を発表。同月28日、東京・表参道FAB公演を皮切りに、大阪、名古屋でライブを行った。

 

そして、4月30日には、ニューアルバム 『“Romanticは止められない”』 をリリース。シングル「Romanticが止まらない〜2008Ver〜」を含む10曲を収録したカバーアルバム(80年代の洋楽作品を中心にセレクトし、アレンジをしたもの)。



 

2014年6月4日、解散25周年記念ベスト盤&初ライヴ盤を発表。

1989年10月9日に日本武道館にて行われた解散ライブの模様を収録した 『C-C-B 1989 解散ライブ@日本武道館 解散25周年 初のライブ盤ですいません!!』 と 『C-C-B シングル&アルバム・ベスト 曲数多くてすいません!!』 の2枚を同時リリース。



2015年1月21日、過去に発表したオリジナルアルバム9枚が再発。

 

2015年1月30日、渡辺のバースデーライブ「ゴーゴーヒデキ 前夜祭(翌日2月1日誕生日)」として、C-C-B名義でのワンマンライブが行われた。

解散時の4人が同列に名を連ね、 “C-C-B”として観客を前に演奏を披露したのは、1989年10月9日の解散コンサート以来である。
2015年2月1日、C-C-B名義でのライブツアーを6月から行う旨を発表した。



 

2015年6月12日、渡辺が自宅で体調を崩し救急搬送、“大動脈解離”と診断され緊急手術入院。6月14日から予定していたワンマンライブツアー全公演を中止とした。
2015年7月13日、渡辺が“急性大動脈解離”による多臓器不全のため逝去、55歳没。

解散時の4人での“C-C-B”ライブは事実上不可能になった。

同年8月10日、新宿BLAZEにて『お別れの会』と冠し、二部制の式典を行った。





2021年4月17日・18日、『筒美京平オフィシャル・トリビュート・プロジェクト ザ・ヒット・ソング・メーカー筒美京平の世界inコンサート』 が、東京国際フォーラムにて開催された。

笠と米川が“C-C-B”として両日参加。筒美が作曲した 『Romanticが止まらない』 『Lucky Chanceをもう一度』 の2曲を披露した。