★タイトルが薔薇&ROSEのうた - 邦楽80's編 - PART 2
1984 - ラ・ヴィアンローズ - 吉川晃司 ※J-POP、ロック
「ラ・ヴィアンローズ」(英字表記:LA VIE EN ROSE)は、吉川晃司の楽曲。3rdシングル、1984年9月発売。後に収録発売される同タイトルの2ndアルバム「LA VIE EN ROSE」の先行シングルでもある。作詞:売野雅勇、作曲:大沢誉志幸。
作曲者の大沢誉志幸はこの曲のデモテープを発売の3年前に作っており、「自分には合わないから」という理由で、吉川に提供した。
この曲を完成させた時、極めて洋楽的で日本語が非常に乗り難いメロディーラインであったため、「日本語詞を乗せるのは無理だろう」と思いながら曲を渡したら、売野が見事に日本語の歌詞を乗せてきて、作曲した大沢がその仕上がりを喜んだそうである。売上枚数:19.9万枚。オリコンランキング週間4位、年間76位。
吉川晃司、1965年8月18日生まれ、広島県出身、ロックミュージシャン、シンガー・ソングライター、俳優。
高校時代は世界ジュニア水球選手権大会日本代表となるなど水球選手として活躍。
84年、主演映画 『すかんぴんウォーク』 とその主題歌「モニカ」でデビュー。
以降、84年2ndシングル「サヨナラは八月のララバイ」
84年3rdシングル「LA VIE EN ROSE」
85年4thシングル「ユー・ガッタ・チャンス」(オリコン3週連続1位)
85年5th「にくまれそうなNEWフェイス」(オリコン1位)
85年6thシングル「RAIN-DANCEがきこえる」(オリコン4位)
86年7thシングル「キャンドルの瞳」(オリコン2位)と立て続けにヒットシングルをリリース。
84年の「新宿音楽祭金賞」、「日本歌謡大賞・優秀放送音楽新人賞」、「日本アカデミー賞新人賞」など歌手と俳優の両部門で8つの新人賞を独占。
85年、デビュー1年目では史上2人目の日本武道館公演を行った。暮れには、「にくまれそうなNEWフェイス」で、「NHK紅白歌合戦」に出場した。以降、俳優と並行して音楽活動を行なっていく。
★“NHK紅白歌合戦でのハプニング”
吉川自身、現在唯一の出場である85年暮れの 『第36回NHK紅白歌合戦』 では、「にくまれそうなNEWフェイス」で白組のトップバッターで登場したが、その際に自ら様々なハプニングを起こし、物議を醸すきっかけとなる。
※白組なのに真赤な衣装で、酒(シャンパン)を撒き散らしながら登場し、さらに観客に向けて吹き出す。
※当初予定になかった、ステージから客席に降りる行為を行った上に、撮影中のカメラに衝突する。
※本来の出演時間をオーバーし、ギターに火をつけ、ステージに叩きつけて破壊するというパフォーマンスを行った。※ただしギターを破壊するシーンは放映されることはなかった。
※次の歌順の河合奈保子の、イントロが既に演奏されているにも関わらず、未だ吉川はバックバンドと共にステージ上に居残り続けていた。
この要因により河合は、舞台に出ようとするタイミングがつかめずに、出だしが歌えなくなり河合が怯える様子や、バックダンサー達も困惑の表情がテレビに放映。やむなく河合は演奏の途中から歌唱した。(※のちに謝罪)
※白組の次の歌順のシブがき隊は酒浸しになったステージ上で歌う羽目になり、『スシ食いねェ!』 の歌唱中に布川敏和が、2回も足を滑らせて転倒した。
↓※シブがき隊 - スシ食いねェ! (第36回NHK紅白歌合戦 転倒映像)
https://www.bilibili.com/video/BV164411k7kq/
ただしこの転倒については、吉川のせいではなく、布川自身が事前に予定していたパフォーマンスだったという。
吉川からは何をやるかは聞かされていなかったが、布川はそれとは関係なしにステージから落ちる、というパフォーマンスを考えていた。しかし足元が滑りやすいというその時の状況から、2度転倒に変更したと布川は話している。

吉川はこの件を振り返って、「当時は多くの賞が出来レースになっていて、プロダクションやレコード会社の政治力によって決まっていたり、事実を受け入れたくない、どうしたらいいんだろうといつも悶々としていた。
紅白は抗議行動的な側面もあったが、あまりに稚拙だったと思う。極度の興奮状態にあったので曲を延ばしている意識も全く無かった。
ギターもあそこまで燃やすつもりもなくて、“ジミ・ヘンドリックス”をマネして、軽く付けてみようと思ったら、照明が当たっていて火が見えなくて自分でも火傷して、訳が分からなくなってしまった。全部が見事なほど裏目に出てしまった」などと述べている。
また、それだけではなく「墓場まで持っていかなければいけない、言えないことがまだある」とも話している。
その後、NHK側に十数年間出入り禁止となり、ラジオでもしばらく曲がかからなかったものの、後年解除され 『ポップジャム』 に何度か出演。98年6月21日には、コンサートツアーの一環としてNHKホールで公演を行い、以後何度も公演を行っている。
★“巻き舌唱法”
日本語を英語っぽく発音してロックに乗せる「巻き舌唱法」は、日本では“キャロル”を始まりとして、吉川で一応の完成形となると評される。吉川自身はこれを“日本語を崩す歌い方”、例えば「だからぼくは」という歌詞を「だっかぁら、ぼっくぅは」と歌うとロック的なリズムが出るなどと説明している。
★“バク転” ≪ステージ・アクション≫
キメキメのステージアクション(バク転など)で、話題を呼んだ。当時の歌番組での数々のパフォーマンスも有名。毎回出演時には視聴者を驚かす演出を自ら考案し楽しませた。「ベストテンのセットを壊すことで自分の存在を確認してたとこがあった」と述べている。

★“シンバルキック” ≪ステージ・アクション≫
そして、バク転以外のステージパフォーマンスとして、足を高く上げてドラムのシンバルを蹴る「シンバルキック」は吉川のライブの代名詞となっているステージ・アクションの一つ。いつから始めたか自身はよく覚えていないが、「肩を脱臼してバク転ができなかった時、代わりに何かやろうと思いついたのではないか」と思うと話している。

★デビュー時の衣装
肩パッドの入った?、ノータイ・ピンク、紫、あるいは白スーツは街に“偽吉川”を溢れさせ、同時期に活躍したチェッカーズのタータンチェック共々よく流行った。ファッションの歴史を綴った書籍では、吉川やとんねるず、北野武らがDCブランドを着用して盛んにテレビに露出した1985年をDCブームの頂点と記述されているという。

★サングラス
吉川のファッションといえばサングラスである。現在はあまりサングラスをしないが、デビュー直後は常用していた。サングラスを常用した動機は、細いキツネ目にコンプレックスがあったためと言われている。
88年に活動休止するも、“布袋寅泰”と“COMPLEX”を結成し、89年4月「BE MY BABY」で再デビュー。本作はリリース後オリコンチャートで1位となり、4月26日にはアルバム『COMPLEX』、5月3日にはシングルビデオ「BE MY BABY」をリリースし、全てが1位を獲得しヒット作品となった。
アルバム収録曲の「恋をとめないで」、シングルリリースはされていないが、COMPLEXを語る上で欠かせない楽曲である。ライブでも最も盛り上がる楽曲の一つだった。ライブでは、歌詞の曜日部分をライブ当日の曜日に置き換えることもあった。
★COMPLEX - RAMBLING MAN~恋をとめないで
90年の解散後はソロ活動へ移行し、ロック・アーティストとして不動の地位を確立。特に93年発売18thシングル「VENUS~迷い子の未来」は、ローソンが主催し、吉川本人も出演した「3D R&R SHOW」のコマーシャルソングとして使用され、オリコン3位を記録した。
また、俳優としては、2002年ドラマ 『真夜中は別の顔』 では主演に抜擢される。
2009年、大河ドラマ 『天地人』 では、織田信長・役で新境地を開く。女性視聴者からNHKに吉川に関する問い合わせが殺到したという。
2010年、劇場版 『仮面ライダー×仮面ライダー W&ディケイド MOVIE大戦 2010』 に、主人公の師である鳴海荘吉 (仮面ライダースカル) の役で出演。
2011年、「東日本大震災」発生直後の3月19日から5月2日まで3回にわたって、宮城県石巻市でボランティア活動をした。 同年7月には、東京ドームで布袋寅泰とのユニット「COMPLEX」の復活ライブを開催し、収益金の約6億5430万円を被災地に寄付をしている。
2012年、映画 『るろうに剣心』 鵜堂刃衛・役。
2013年、大河ドラマ 『八重の桜』 西郷隆盛・役。

2015年、2018年、日曜劇場 『下町ロケット』 (毎週日曜日21:00〜TBS系列)、 帝国重工・宇宙企画推進グループ部長 財前道生・役で出演。
2020年、『探偵・由利麟太郎』 (カンテレ・フジテレビ系)で地上波の連続ドラマ初主演。主演・由利麟太郎・役
2021年2月16日、前年末の人間ドックで判明した「狭心症」の手術を受けたことを公式サイトで発表。手術は無事終了し、翌日には退院することができ、「主治医、執刀医からも、今後定期的な検査は必要なものの、アーティスト活動には全く問題はないとの説明を受けております」と経過も良好であることを報告している。
同年5月3日から、コロナ禍で延期となっていたコンサートツアーの振替公演を実施予定。こちらも、「医師とも、公演開催には支障がないことを確認しております」と病気による再延期はないことが発表されている。
1984 - 君が野に咲くバラなら - 和田アキ子 ※歌謡曲
「君が野に咲くバラなら」は、和田アキ子の42枚目のシングル。1984年9月発売。作詞:荒木とよひさ、作曲:三木たかし、編曲:小六禮次郎。
ラブバラードソングで、84年テレビ朝日系バラエティ番組「たみちゃん」エンディングテーマに使用された。
和田アキ子、(本名:飯塚現子 - いいづかあきこ) 1950年4月10日生まれ、大阪府生出身、歌手、タレント。愛称は“アッコ”。
ジャズ喫茶で歌っていたところを、当時のホリプロ社長にスカウトされ上京。68年、“和製リズム・アンド・ブルースの女王”のキャッチコピーで、1stシングル「星空の孤独」でデビュー。
翌年2ndシングル「どしゃぶりの雨の中で」が、オリコンチャートで最高19位、17万枚のスマッシュヒットの記録となり、芸能界の仲間入りを果たす。
そして、翌年20歳、東映・“不良番長シリーズ”(全16作品 - '68~'72)の7作目の 『不良番長 一獲千金』 (主演・梅宮辰夫、1970年4月18日公開)で映画初出演 (役名、煙突のアキ)。
★不良番長 一獲千金 - 予告編 (1970) ※YouTubeでご覧ください↓
更に、二週間後の5月2日公開、日活・“野良猫ロックシリーズ”(全5作品 - '70~'71)で、第1作目 『女番長 野良猫ロック』 (役名、アコ)に映画初主演となる。
この 『女番長 野良猫ロック』 は、ホリプロが日活とタッグ、和田アキ子の売り出しのために企画・制作した映画。テレビ番組で和田の昔の番長時代の話になると、このどちらかの映画の一場面が流れることが多い。
本作品は、“野良猫ロックシリーズ”第1弾。暴力団と女グループとの闘争の中で爆発する若者のエネルギーを豪快に描く青春娯楽作品。土曜日の夜から月曜日の朝までを背景に、新宿の街を押さえようとする暴力団、自由な若者の街にしようとするアコ(和田アキ子)らの女グループとの闘争の中で、爆発する若者のエネルギーを描くモーレツ青春娯楽作品。
★女番長 野良猫ロック - 予告編 (1970)
挿入歌として和田自身の曲、「男と女のロック」 が使用された。(70年7月発売の5枚目のシングル「さすらいのブルース」のB面収録の曲。)
続いての2作目 『野良猫ロック ワイルド・ジャンボ』 (1970年8月1日公開)に、冒頭に少し歌唱シーンのみの登場。(全5作品に梶芽衣子出演。3.4作目では、梶芽衣子を主演にして制作。)
★野良猫ロック ワイルド・ジャンボ - 予告編 (1970)
そして歌手として70年、4thシングル「笑って許して」が、約20万枚を売り上げ、オリコンチャートで当時の自己最高記録となる11位を記録。和田の代表曲の一つになった。
また、編曲を担当した馬飼野俊一は本楽曲でこの年の「第12回日本レコード大賞・編曲賞」を受賞した。

また、同曲で昭和45年NHK 『第21回NHK紅白歌合戦』 で初出場を果たす。以後、1978年(昭和53年)まで連続出場。(女性歌手として歴代最多出場。トリも多数。)
以降、バラードからR&Bまで圧倒的な歌唱力で歌いこなし、72年11thシングル「あの鐘を鳴らすのはあなた」で、「第14回日本レコード大賞最優秀歌唱賞・受賞」、74年18thシングル「古い日記」、88年47thシングル「だってしょうがないじゃない」などのヒットを放つ。
72年、「あの鐘を鳴らすのはあなた」は、和田の所属事務所・ホリプロの当時の社長が、日本レコード大賞の歌唱賞を取るのにふさわしい曲を、ということで作詞家の阿久悠に作詞を依頼した。
堀は「ケ・サラ」(ホセ・フェリシアーノ版が日本でヒット)のようなイメージの曲をと頼んだが、阿久は「人生」という語り口はどうかと思い、時代と孤独をテーマに作詞した。
そして、見事和田は「第14回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞」を受賞。現在も多くの世代から支持されており、自他共に認める彼女の代表曲となる。
74年、「古い日記」は、お笑いタレントの吉村明宏による「あの頃は ハッ!」というものまねで有名であるが、「ハッ!」のタイミングは和田本人が歌唱する時とは異なっている。
このものまねのおかげで曲が有名になったため、後に発売されたCDの歌詞カードには従来は書かれていなかったHAが追加されている。
88年、「だってしょうがないじゃない」は、オリコンチャートで最高25位を記録、さらに翌89年にも跨ぐヒットとなり、通算登場週数は52週を記録するロングセラーとなった。累計20万枚を売り上げるヒット曲となった。
和田が紅組司会を兼任した1988年の『第39回NHK紅白歌合戦』、翌1989年の『第40回NHK紅白歌合戦』と2年連続で歌唱された(和田が紅白で同一曲を複数回歌唱したケースは度々あるが、同一曲を2年連続で歌唱したのはこの事例のみ)。
89年10月には、続編 「続・だってしょうがないじゃない」 が 「だってしょうがないじゃない」 との両A面と言う形で発売された。和田は「かなり珍しい続編物」とコメントしている。
また、バラエティ番組の司会などタレントでも活躍。73年から日本テレビ系列 『金曜10時!うわさのチャンネル!!』 (和田アキ子とタモリが最初に共演した番組。73年~79年、毎週金曜 22:00~22:54生放送。)に出演。
番組内で“ゴッド姉ちゃん”と呼ばれ、せんだみつお、湯原昌幸、ザ・デストロイヤーらとドタバタギャグを繰り広げたことで、デカくて・コワい・強いというイメージが全国的に広まった。

全盛期には視聴率30%を超える人気番組となったが、和田が「ゴッド姉ちゃん」のイメージが定着してしまったのを嫌ったことや、歌手に専念したいとの意向で日本テレビへ強引に降板を申し入れたことから、1978年春で降板。
85年からは、TBS系列 『アッコにおまかせ!』 (毎週日曜日11:45~12:54 生放送されている日本の長寿バラエティ番組)の総合司会を務める。和田の冠番組で、民放の日曜12時台では唯一のネットワークセールス枠でもある。

そして好きな芸能界の“ご意見番”ランキング2020 (10代から50代の男女にアンケート調査、ORICON NEWS) に、ベスト3位 (マツコ・デラックスが1位) だが、「言葉に説得力がある。暴論もあるが自分の考えを持っている」などと、人気を博している。





































