ロカビリー青春白書 -120ページ目

★タイトルが薔薇&ROSEのうた - 邦楽80's編 - PART 1

 

1982 - 月曜日にはバラを - 稲垣潤一 ※J-POP
「月曜日にはバラを」は、1982年リリース。稲垣潤一1stアルバム「246:3AM」に収録。作詞:さがらよしあき、作曲:伊藤豊昇、編曲:井上鑑。

 

そしてこの曲は、フォークデュオ、とんぼ (とんぼちゃん)のオリジナルアルバム「よろしくさよなら」(1982年発売)に収録された「スクリーン」の改題。新たに詩を付けてカバーされたものである。男と女を歌ったバラード曲。貴女と言う歌詞に、何故か年上の女性ではないかと連想させます。。。

 

 

 

稲垣潤一、1953年7月9日生まれ、宮城県仙台市出身、シンガー・ソングライター。
中学時代からドラムを始め、仙台のライヴハウスや米軍キャンプで演奏。当時にドラムを演奏しながら歌うスタイルを確立。
 

82年、シングル「雨のリグレット」でデビューを果たす。同年10月の3rdシングル「ドラマティック・レイン」でブレイク。

 

以降、「夏のクラクション」 「ロング・バージョン」などのヒットで日本を代表するAORシンガーとしての地位を確立。
 

92年、「クリスマスキャロルの頃には」が、自身の最大のヒットシングルとなる。本曲は、TBS系テレビドラマ 『ホームワーク』 の主題歌として起用。VTRでは、稲垣の他に唐沢寿明・清水美砂・福山雅治・浦江アキコが出演している(ただし、ドラマの映像を使用)。

 

 

 

 

発売週のオリコンシングルチャートでは3位だったが、2週目に1位を獲得した。1週でランク落ちするものの、3週連続を含む通算4週間1位を記録した。最終的に日本レコード協会、オリコンともにミリオンセラーの売上を達成した。日本レコード協会の調査では、約170万枚の総売上と発表されている。

2008年からはデュエット・カヴァー・アルバム 『男と女-TWO HEARTS TWO VOICES-』 シリーズを展開。

本作は、11組の歌姫とがっぷり組んで J-POPの名曲の数々を、デュエット仕様にリニューアル・カヴァーした意欲作!!

 

 

2009年、このシリーズで「第51回日本レコード大賞」の企画賞を受賞。
2015年9月にはその第5弾を発表。

コンサートやアコースティック・ライヴなどライヴ活動にも精力的。コンサート回数も現在では2000本を超えている。

 

 

 

 

 

1982 - 君に薔薇薔薇…という感じ - 田原俊彦 ※アイドル歌謡曲

「君に薔薇薔薇…という感じ」は、トシちゃんこと、田原俊彦の8作目のシングル。1982年1月リリース。作詞:三浦徳子、作曲:筒美京平、編曲:船山基紀。

 

スウィングジャズ風な曲。田原俊彦のシングルでは、筒美京平初作品。

 

その後、約50作品作っていくことになる。売上枚数:36.5万枚。オリコンランキング週間3位、年間27位。

 

 


田原俊彦、1961年2月28日生まれ、山梨県甲府市出身、歌手、俳優。愛称は“トシちゃん”。
 

79年ジャニーズ事務所入所、94年退所独立。現、フォーミュラ・ミュージック・エンタテインメント所属。
 

79年、TVドラマ 『3年B組金八先生』 の生徒役でデビュー。近藤真彦、野村義男とともに“たのきんトリオ”として人気を博し、80年代アイドルを代表する存在に。



 

80年6月、“たのきんトリオ”の先陣を切り、レイフ・ギャレットの 『New York City Nights』 をカバーした1stシングル 『哀愁でいと』 で歌手デビュー。オリコンチャート最高2位、売上枚数72万枚、自身の最大のヒットとなった。

 

また同曲で1980年大晦日放送の 『第31回NHK紅白歌合戦』 へ初出場を果たし、「たのきんトリオ」のメンバー・近藤真彦と野村義男も田原の応援として出演している。


 

 

同期デビューの松田聖子の2ndシングル「青い珊瑚礁」と「哀愁でいと」はトップ争いを演じたが、グリコ 「アーモンドチョコレート」 のCMでは共演をした。


 

同年9月発売、2ndシングル「ハッとして!Good」で、田原自身初のオリコン1位を初登場週で獲得。同チャートでは62万枚を超えるヒットとなった。『第22回日本レコード大賞・最優秀新人賞』 『第11回日本歌謡大賞・放送音楽新人賞』 などを受賞。

 

 

81年10月、7thシングル「グッドラックLOVE」リリース。『第23回日本レコード大賞・ゴールデンアイドル賞』 『第12回日本歌謡大賞・放送音楽賞』 受賞。そして、東宝映画 『グッドラックLOVE』 とタイアップ。自身主演第一回作品で、近藤真彦・野村義男が助演の「たのきんスーパーヒットシリーズ」第3弾。



 

そして、翌年10月リリースの11thシングル「誘惑スレスレ」がヒット。『第24回日本レコード大賞・金賞』 『第13回日本歌謡大賞・放送音楽賞』 受賞。同曲で1982年末の 『第33回NHK紅白歌合戦』 へ3年連続3回目の出場を果たした。
 

83年2月、13thシングル「ピエロ」発売。同曲で2年連続 『第25回日本レコード大賞・金賞』を受賞。また、8月発売の15thシングル「さらば‥夏」が、その年の 『第14回日本歌謡大賞』 のグランプリを受賞する。(但し作曲者が外国人採用の為、『第25回日本レコード大賞』 にはノミネートされなかった)。
 

その後もヒットを連発し、研ナオコとのコラボデュエット“Toshi&Naoko”名義で85年7月シングル「夏ざかりほの字組」をリリース。田原のシングルとしては23作目に当たる。


 

 

そして、俳優として88年フジテレビ系ドラマ 『教師びんびん物語』 などのドラマに主演するなどした。主題歌として4月、33thシングル「抱きしめてTONIGHT」が使用された。


 

 

1980年から1986年まで、『NHK紅白歌合戦』 に7年連続出場。1st 『哀愁でいと』 から 38th 『ジャングルJungle』 まで、オリコンシングルの連続TOP10入り37作の記録を持つ。





現在も地道に歌手活動を続け、ライブやディナーショーを行ってファンを楽しませている。

 

 

 

1982 - 野ばらのエチュード - 松田聖子 ※アイドル歌謡曲
「野ばらのエチュード」は、松田聖子の11枚目のシングル。

1982年10月21日リリース。作詞:松本隆、作曲:財津和夫、編曲:大村雅朗。81年4月発売、5thシングル「夏の扉」ぶりの財津和夫、作曲作品。

そして、6thアルバム「Candy」(82年11月10日発売)に収録。

 

財津によると、この曲は「ビバルディの 『四季』 のような曲を作って欲しい」と依頼され、財津自身は悩んだが、「ありがちなアイドルソングではなく、その 『四季』 を聴いているような気になれる曲ということだろう」と自分で解釈し、エレガントな雰囲気の曲を作ろうと努めたと言う。

 

ザ・ベストテン出演時、リクエスト葉書に 『“野ばらの越中道”』 と誤記されていたことを司会者に披露されている。
売上枚数:45.0万枚。『第13回日本歌謡大賞・放送音楽賞』 受賞。『第11回FNS歌謡祭・グランプリ』 受賞。オリコンランキング週間1位、11月度月間1位。


 



 

この楽曲で82年の 『第33回NHK紅白歌合戦』 に出場。グリコ 「ポッキー」 のCMソングに起用され、本人も出演した。撮影は北海道の函館で行われた。


 

 

松田聖子、(出生名:蒲池法子 - かまちのりこ) 1962年3月10日生まれ、福岡県久留米市出身、歌手、女優。女優の神田沙也加は娘、元夫は俳優の神田正輝。
 

80年4月に、1stシングル「裸足の季節」でデビュー。当時のキャッチフレーズは、「抱きしめたい! ミス・ソニー」。そして、NHK総合 『レッツゴーヤング』 にサンデーズのメンバーとしてレギュラー出演が始まる。
 

伸びのある透き通った歌声と「“ぶりっ子”」と言われるほどの可愛らしい振る舞いによって、その人気はうなぎ登りとなった。

 

セミロングのふわっとした女の子らしいヘアスタイルは「聖子ちゃんカット」と呼ばれて全国の若い女性の間で大流行し、翌年1981年の年末に突然、聖子がショートカットになると今度はショートカットが流行り出した。


 

続く、80年7月発売の、2ndシングル「青い珊瑚礁」(第22回日本レコード大賞新人賞・受賞)でブレイクし、そして10月発売、3rdシングル「風は秋色」から、88年9月発売、26thシングル「旅立ちはフリージア」まで24曲連続1位の金字塔を打ち立てる。


 

 

 

主な内訳としては、81年10月発売、7thシングル「風立ちぬ」(作曲:大滝詠一)で、 『第23回日本レコード大賞・ゴールデンアイドル賞』 受賞。『第12回日本歌謡大賞・放送音楽賞』 受賞。
 

 

82年7月発売、10thシングル「小麦色のマーメイド」で、『第24回日本レコード大賞・金賞』 を受賞。作曲は、呉田軽穂(松任谷由実)。そして、この年の10月発売の11thシングル「野ばらのエチュード」で、『第13回日本歌謡大賞・放送音楽賞』 受賞。『第11回FNS歌謡祭・グランプリ』 受賞。

 


 

83年8月発売、14thシングル「ガラスの林檎」で、『日本レコード大賞・金賞』、『FNS歌謡祭・最優秀歌唱賞』 等、多くの賞レースで各賞を受賞した。
84年8月発売、18thシングル「ピンクのモーツァルト」で、『第26回日本レコード大賞・金賞』 受賞となっている。

 

「NHK紅白歌合戦」出場記録は、80年、『第31回紅白歌合戦』に、「青い珊瑚礁」で初出場を果たす。その後、第39回(88年)まで9年連続で出演したが、次の第40回は落選した。



それ以降の松田は、紅白歌合戦への復帰と不出場(94年~)を繰り返すが、第71回(2020年)は女性歌手として、紅白通算24回目の出場と成った。これは紅組歌手で、史上8位タイ記録となる(白組歌手も含めると、歴代19位タイ記録)。
 

★“聖子ちゃんカット” (当時は「聖子カット」が一般的な呼び方)※本名が蒲池法子(かまちのりこ)であることから別名は“カマチンカット”とも称された。(銀蝿一家の紅麗威甦 - ぶりっこROCK'N ROLLの歌詞にも伺える。 作詞・作曲:翔)



松田聖子がデビュー当時の1980年から1981年末までの約2年間していた髪型の通称。日本の若い女性の間でこれを模倣した髪型が流行した。
 

前髪で眉を隠すのが印象的で、肩上5センチから肩下3センチくらいまでの長さのレイヤーカットの毛先を、サイドは外向きにブローし、バックは内側にゆるくカールさせたスタイルである。

 

◆映画初出演
81年8月公開の東映映画 『野菊の墓』 に初出演。役名は民子。主題歌は、「花一色〜野菊のささやき〜」。(81年7月発売の6thシングル「白いパラソル」のB面に収録。作詞・松本隆、作曲・財津和夫)



 

本作で松田聖子を演出するにあたり、大きな問題となったのがカツラ。『野菊の墓』 は明治時代の設定で、しかも農家の娘では断髪もままならない。映画監督の澤井信一郎は、すっぽりと被る全カツラでなく、おでこの生え際の毛を生かし、自然に見えるカツラにしたいと考えたため、おでこは全て見えることになる。

 

しかし松田は当時、日の出の勢いで「聖子ちゃんカット」と呼ばれるヘアスタイルが大人気。常に前髪をたらし、決しておでこを見せないという神話の中にいた。松田も広いおでこは自身の欠点と分かっていて、おでこをさらけ出すのは屈辱的に感じ、おでこの出るカツラを嫌がった。


プロデューサーの吉田は、松田の所属事務所に遠慮し、おでこを見せてくれとは言い辛く、前髪をたらしたカツラでもいいんじゃないかと提案したが、映画監督の澤井が「毅然とした態度で緒戦に望まないと、後で雪崩現象を起こす」と、松田との初顔合わせのとき、はっきり「おでこを見せますよ」と伝えた。
 

松田も所属事務所も理解してくれ、松田聖子が初めておでこを見せた、などと新聞に取り上げられるほどのニュースになった。
澤井は「たとえアイドルであっても一切気を遣わないで撮影する」と宣言した。

 

 

そして、85年(当時23歳)6月、 映画 『カリブ・愛のシンフォニー』 で共演した俳優・神田正輝(当時35歳)と結婚。トップアイドルだった聖子と、当時既に人気俳優だった神田との華やかな結婚は、「世紀の結婚」をもじった「聖輝の結婚」と呼ばれた。


 


 

翌年、神田との間に娘・神田沙也加(歌手・女優)をもうける。出産後もすぐに休業前と変わらずアイドル歌手として活躍。その頃から“ママドル”という呼称も生まれた。




★“ママドル” 「ママになったアイドル」の略称。
結婚・出産を経てもアイドル人気は衰えない聖子の例が最初で、かつてアイドルであった子持ちの女性タレントを示す言葉として頻繁に使用されるようになった。


 

90年あたりからは、海外でも活躍し、日本武道館公演は100回を超えるなどライブも精力的。松田は、時代を象徴するアイドルとして不動の人気を確立していくのだった。


 

96年4月発表の38thシングル「あなたに逢いたくて~Missing You~」は、久々にチャート1位となり、自身シングル初のミリオンセラー(100万枚突破)を記録し、聖子の最大のヒット曲となった。


 

97年1月、聖子(当時35歳)神田(当時47歳)結婚生活12年で離婚。

2001年から2005年ごろは、芸能界デビューした娘の神田沙也加と音楽番組やバラエティ番組でよく共演したり、2005年以降は自身の旧来ファンである著名人とも共演したりした。



2017年、ジャズ・カヴァー作 『SEIKO JAZZ』 で、「第59回日本レコード大賞・企画賞」を受賞。
2020年、デビュー40周年記念アルバム 『SEIKO MATSUDA 2020』 をリリース。

本作は、財津和夫が36年ぶりに松田へ提供した新曲「風に向かう一輪の花」、松本隆が作詞したヒット曲「SWEET MEMORIES」のリアレンジ&リレコーディングバージョン「SWEET MEMORIES ~甘い記憶~」をはじめとした代表曲のリバイバル版や、自身作曲のテレビ東京系『ワールドビジネスサテライト』エンディングテーマ「La La!! 明日に向かって」、「40th PARTY」などを収録。



このアルバムで、「オリコン・デイリー・アルバムランキング」第1位を獲得、「第62回日本レコード大賞・特別賞」を受賞。また、同年末の 『第71回NHK紅白歌合戦』 出場、24回を数える。
 

2021年4月、第1弾Digital Single「青い珊瑚礁 ~Blue Lagoon~」デジタル配信スタート&ミュージックビデオ公開!!。6月、第2弾Digital Single「時間の国のアリス 〜Alice in the world of time〜」デジタル配信スタート&ミュージックビデオ公開!!

 

 

 

 

1984 - 薔薇の奇蹟 - アン・ルイス ※JPOP、歌謡ロック
「薔薇の奇蹟」は、アン・ルイス23thのシングル。1984年5月1日リリース。作詞:柴山俊之、作曲:大沢誉志幸、編曲:伊藤銀次。
SM歌謡ロックで、TVパフォーマンスの過激さが話題になった曲。バックバンドは、PINX。

 

 

※≪作詞した柴山俊之(ex:サンハウス)のコメント≫
「アン・ルイスから、詩の依頼が有った。それは ロマンチック&バイオレンスをテーマにした詩が欲しいと云うリクエストだった。
彼女が求める景色と 俺が考えてた景色が 絶妙にリンクして 俺の創作意欲を昂らせ 2週間後には お洒落で過激で甘美な“薔薇の奇蹟”が誕生した。」
 

84年5月21日リリースの12thアルバム「ROMANTIC VIOLENCE」には、薔薇の奇蹟 (Version II)を収録。アン・ルイスが日本のロック・クィーンとして君臨した1980年代の大ヒット・アルバム。本作は、伊藤銀次がサウンド・プロデュースを担当、80年代ニュー・ウェイヴ感覚満載の快作。青山純、美久月千晴、北島健二他が参加。

 

 

アン・ルイス、(Ann Lewis、本名:アン・リンダ・ルイス) 1956年6月5日生まれ、神戸市出身。歌手、ロサンゼルス在住。

長男は、ミュージシャンの桑名美勇士(くわなみゅうじ)。ロック歌手の桑名正博は、元夫。


米国人の父と日本人の母を持つハーフで、幼少時からモデルとして活動。
71年2月、1stシングル「白い週末」で歌手デビュー、74年4月、6thシングル「グッド・バイ・マイ・ラブ」などのヒット曲を放つ。


 

78年5月、14thシングル「女はそれを我慢できない」(作詞・作曲:加瀬邦彦)発表、この曲からロック(歌謡ロックと言われる場合もある)に転向。
 

 

80年5月、ロック歌手の桑名正博と結婚。

8月、19thシングル「リンダ」(作詞・作曲:竹内まりや)発売。曲は、竹内まりやからアン・ルイスへの結婚祝いとして作られたという。(曲名がアン・ルイスの本名に由来)



 


翌年、長男 美勇士(みゅうじ) 出産・育児に専念するため休業するが、82年にカムバック。


82年6月発売、20thシングル「ラ・セゾン」がヒット。

 

作詞は、かつてアイドルとして活躍した山口百恵こと三浦百恵。百恵は既に引退し一般人となっていたが、アンと百恵が友人関係だったことから依頼した。作曲は、アンがかねてより大ファンであった沢田研二に依頼。

 

84年、桑名正博と離婚。同年10月、23thシングル「六本木心中」、86年4月、26thシングル「あゝ無情」などが大ヒット。(2曲共、作詞:湯川れい子、作曲:NOBODY、編曲:伊藤銀次)

作詞の湯川れい子は、「六本木心中」と「あゝ無情」のモデルは、いずれも吉川晃司という。デビュー当時に所属事務所の先輩だったアン・ルイスから大きな影響を受け、アンとは姉弟のような関係だったと言っている。



 

 

かつての所属事務所は渡辺プロダクション。ファッションにこだわりを持ち、自身でステージ衣装のデザインを手がけることもしばしばある。キャンディーズの77年13thシングル「やさしい悪魔」のステージ衣装のデザインは有名。



 

また、三原順子 (現:三原じゅん子)の、83年11thシングル「悲・GEORGE」のショッキングピンクのステージ衣装も手掛けた。




95年、記者会見で自ら“パニック障害”であることを打ち明け、しばらく父親の母国アメリカに在住していたが、2005年11月23日にセルフカバーアルバム 『REBIRTH』 を発売と同時に音楽活動を再開した。
その後はファッションやペットグッズなどのデザイン、プロデュースも手がけている。



2009年3月、フジテレビ系の番組 『独占!金曜日の告白SP』 に出演。10数年ぶりのテレビ番組出演となり、近況を語るほか活動休止となったときの思いを語った。この番組内で「現在もパニック障害の影響で人前で歌うライブができない」「(在住するという意味で)日本に行くことはもうないと思う」と告白した。

2012年10月26日、元夫の桑名正博が、心不全で死去。享年59歳。

2013年4月6日、元夫の桑名正博と息子の美勇士で、親子3人共演CD「ONE」を同年10月に発売。同時に、これをもって完全にアン・ルイスが芸能界から引退することが発表された。


「ONE」は、長男、美勇士(みゅうじ)のシングル。デモに感銘を受けた正博が、倒れる2カ月前に大サビの作詞を手がけ、奇跡的にレコーディング。その後、アンルイスに自ら依頼し、ヴォーカル参加が実現。家族の愛・絆をテーマにしたラヴ・ソング。