★タイトルが薔薇&ROSEのうた - 邦楽80's編 - PART 4
1987 - 百万本のバラ (カバーソング) - 加藤登紀子 ※ポップス歌謡曲
「百万本のバラ」は、加藤登紀子の46枚目シングル、1987年4月25日にリリース。
作曲:Raimonds Pauls、作詞:A.Voznesenskij、日本語訳詞:加藤登紀子。
86年6月に44thシングル「海辺の旅」のB面として発売され、同年9月発売の25thアルバム 『MY STORY 時には昔の話を』 に収録曲されたが、問い合わせが相次ぎ87年再度A面としてリリースされる。
その後、この曲は口コミで広まり、シングル発売から2年ほど後に100万枚を突破した。加藤登紀子を代表する一曲となった。
数々のアーティストにカバーされているが、最初に日本語カバーをメデイア(82年NHKロシア語講座)で歌唱したのは、札幌に住むロシア料理店「カフェペチカ」店主の“兵頭ニーナ”(ハーフロシアン)である。(加藤も対面している。)
元々この曲は、ソビエト連邦の女性歌手“アラ・プガチョワ”が、1983年にリリースしたロシア語の歌謡曲(カバー曲)。
歌詞の内容は、グルジアの画家“ニコ・ピロスマニ”が“マルガリータ”という名の女優に恋したという逸話に基づいている。
★ニコ・ピロスマニとマルガリータ
原曲は「マーラが与えた人生」と言う“ラトビア”の歌謡曲。
なお「マーラ」はラトビアの神話に登場する女神で、ラトビア神話の神々のなかで最高位にある神のひとりである。
★マーラが与えた人生 - アイヤ・ククレ
※ラトビア語版原曲の歌詞の内容は、ロシア語版やその内容を踏襲した日本語版とはまったく異なり、大国にその運命を翻弄されてきたラトビアの苦難(ソ連の弾圧により母親が子に幸せをあげられなかった事の悲しみ)を暗示するもの。

★備考★
広島県福山市にある西日本旅客鉄道の山陽本線福山駅在来線全ホームにて春季限定で接近メロディに採用されている(バラが福山市の市花であることから)。
以前は里庄駅・備後赤坂駅・松永駅の三原方面行ホームでも通年で採用されていた。
加藤登紀子、(本名:藤本登紀子) 1943年12月27日、旧満州ハルビン生まれ、京都育ちのシンガー・ソングライター、女優。愛称は“おときさん”。
65年、東京大学在学中に 『第2回日本アマチュアシャンソンコンクール』 で優勝。
66年、1stシングル 「誰も誰も知らない」 でデビュー。
同年2ndシングル 「赤い風船」 で 『第8回日本レコード大賞・新人賞』 受賞。
★1966 - 第8回日本レコード大賞・新人賞
69年、12thシングル 「ひとり寝の子守唄」 で 『第11回日本レコード大賞・歌唱賞』 受賞。

71年、15thシングル 「知床旅情」(作詞・作曲: 森繁久彌、ミリオンセラー)で、2度目の 『第13回日本レコード大賞・歌唱賞』 受賞。さらに同年末の「第22回NHK紅白歌合戦」へ初出場を果たす。

78年、28thシングル 「この空を飛べたら」が、ロングヒット、売上35万枚。『第20回日本レコード大賞』 において「西條八十賞」(後の作詩賞)を受賞する。
作詞・作曲ともに中島みゆき。加藤がテレビで「世界歌謡祭」のグランプリを受賞した中島を見て、同コンテストを主催したヤマハ音楽振興会に電話を入れて中島に会わせてもらい、曲を依頼したという。
★この空を飛べたら - 加藤登紀子と中島みゆき (1978年収録)
以降、数多くのヒット曲やアルバムを発表。また女優としても、83年 映画 『居酒屋兆治』 (兆治 (高倉健) の妻・茂子の役)、87年 『ハチ公物語』 などに出演。
居酒屋兆治 - 予告編
87年4月、46thシングル 「百万本のバラ」 リリース。86年に海辺の旅のB面として発売されたが、反響を受け翌年A面として発売。様々なアーティストにカバーされている。
そして同時期に、石原裕次郎から“人生を歌いたい”という依頼を受け、裕次郎最後のシングル 「わが人生に悔いなし」 (作詞・なかにし礼 作曲・加藤登紀子、87年4月21日発売)の楽曲提供している。
同シングルの発売の約3か月後の同年7月17日、石原は“肝細胞癌”により52歳で死去した。
更にこの年、中森明菜へ 「難破船」(87年19thシングル、作詞・作曲:加藤登紀子)の楽曲提供をする。
もともとは、加藤の84年23thアルバム「最後のダンスパーティ」に収録されていた。
加藤が20歳の時の失恋ソングで、明菜に楽曲のテープを送り、「明菜ちゃんに歌わせたい」と切望したという。
加藤は明菜の22歳の誕生日祝いがテレビ番組で放映されているのを見て、この楽曲のシーンと明菜の雰囲気がぴったりであると思い、加藤は明菜に「しばらくこの歌を歌うのを止めるから、あなたが歌ったほうがいい」と、楽曲を送ったと明かしている。
中森明菜 - 難破船の秘話を語るシーン 1
中森明菜 - 難破船 涙を流すシーン 2
その後も、数々のアーティストに楽曲を提供をしていく。また 国内はもちろん、カーネギーホールをはじめ世界各地でコンサートを実施し、92年には仏政府からシュバリエ勲章を受章。
そして、この年スタジオジブリ 『紅の豚』 (マダム・ジーナ役) に声優として出演。また陶芸などの芸術活動、執筆活動ほかでも才能を発揮。地球環境問題へも積極的に取り組んでいる。
2020年6月28日、“新型コロナウィルス”拡大後初、東京・渋谷「Bunkamura オーチャードホール」にて歌手活動55周年記念コンサート<加藤登紀子55th Anniversary Concert 2020 「未来への詩」with Yae>が開催された。
感染対策も万全にした緊急事態宣言解除後初コンサートは音楽業界からも注目された。
2021年5月、「日本訳詩家協会」6代目会長になる。
1988 - 百万本のバラ (カバーソング) - 久米小百合 (久保田早紀) ※ニューミュージック
「百万本のバラ」は、久米小百合のシングル。1988年5月25日発売。
作曲:Raimonds Pauls、作詞:A.Voznesenskij、日本語訳詞:松山善三。
この久米小百合バージョンは、加藤登紀子バージョンとは若干歌詞が違う。透明感のある彼女の声が素晴らしい。
久米小百合 (旧姓:久保田、別名義:久保田早紀) 1958年5月11日生まれ、東京都国立市出身。シンガー・ソングライター。
共立女子短期大学文科卒。幼少の頃よりピアノを習い、自作曲を書く。
79年10月に「異邦人-シルクロードのテーマ-」(作詞・作曲:久保田早紀)でデビュー。三洋電機のコマーシャルソングとしても起用、その後も多くのアーティストにカバーされ、不朽の名曲として音楽ファンに愛されている。
異国情緒を醸し出すミステリアスな作風や美貌で注目を浴びてブレイクし、ニューミュージック・シーンに躍り出る。オリコン1位を記録する大ヒットで、売り上げ枚数は、144.4万枚とされる。
同年12月に発表した最初のアルバム 『夢がたり』 もヒットし、一躍話題のニューミュージック歌手となる。

★久保田早紀 - 帰郷 ('79 アルバム 『夢がたり』 収録)
81年、キリスト教の洗礼を受ける

その後はヨーロピアン調の曲なども手がけ、シンガーソングライターとしての活動を続けたが、「異邦人の久保田早紀」のイメージはぬぐえず、デビュー時のインパクトに勝る活動はできなかった。

★久保田早紀 - 最終便 ('83 アルバム 『ネフェルティティ』 収録)
84年10月、アルバム 『夜の底は柔らかな幻』 までオリジナル・アルバム7枚を発表。

「久保田早紀としてはもう十分に活動した」との思いもあり、音楽家の「久米大作」との結婚をきっかけとして、1984年11月26日、東京・九段会館でのフェアウェルコンサートを最後に芸能界を引退。商業音楽活動を中止する。
その後ほぼ間を置かず、クリスチャンのミュージック・ミッショナリー(教会音楽家、音楽伝道者、音楽宣教師)として、本名の“久米小百合”で音楽活動などを行うようになった。
87' アルバム - テヒリーム33


'96 アルバム - はじめの日

各地のキリスト教会などで教会音楽とアートを融合させたコンサートや、講演会、交流会を行うなど、活動を続けている。教会音楽家養成学校ワーシップ・ジャパン講師。

2007年より3年間、「日本聖書協会」の親善大使を務めた。

2009 アルバム - 天使のパン くめさゆり・さんびか集

2019年、自叙伝 『ふたりの異邦人 久保田早紀*久米小百合 自伝』 (いのちのことば社)から出版。 (名曲「異邦人」の伝説の歌姫・久保田早紀。芸能界を引退後、キリスト教の伝道者となり久米小百合として活動する著者が、「異邦人」発売40周年の節目に語る音楽と人生。)

2020年1月31日、デビュー40周年アニヴァーサリーBOX 『久保田早紀プレミアム』 発売!!
2020年6月7日に東京都品川区のきゅりあん大ホールで行われる「ミュージック・モア otonanoコンサート」では、36年ぶりに「久保田早紀」名義で出演することが明らかにされたが、新型コロナウィルスの影響から2021年1月27日に延期となった(その後、同年8月に再延期)。
★久米小百合 - オフィシャルサイト


































