「イルジメ」堪能に役立つ?ミニ予備知識
皆さん、アンニ・ヨン・ハセヨン!
少し前に、第7話で気づいたことを書いたかと思いますが、7話は前半でも「転機」となるエピソードで、重要な回ですね。大事な回なので、以前書いた記事をもう一回あげさせてください。また、エコ記事かよ!と、おっしゃられるな…エコ記事以外に、もうひとネタ、追加であげますので。なので、まずは7話についての以前の記事から。
ついにイルジメが誕生いたしました! 第7話は(も)泣きますねぇ、ハラハラします。
ヨン(ギョム)、彼の姉ヨニ、そして彼らの異母兄シフが死刑場でトライアングルに映し出される場面、その運命のなんと皮肉なこと。締殺される直前に弟を見つけ微笑む姉の表情は、第2話でギョムを生かすよう投石させ微笑んだ母の表情と重なり、あまりに切ない。こういう場面だと、人は微笑むのだなぁ。自分が傷を受けることより、自分が死に行くことより、愛しい弟に生き延びてもらえることの喜びの方が大きいのだなぁと思うと、また涙が…。人って、考えている以上に、強く温かいものなのかもしれない。
また、母や姉を助けることのできないヨン(ギョム)の悔しさと悲しさ、そんなヨンを不憫に思い黙って思い遣るセドル&タンの姿、悲しみを隠して明るく振る舞おうとするヨンの健気さ、泣き疲れる回でもある。ちなみに、ヨンを見ていると、悲しければ悲しいほど、つらければつらいほど、飯をがつがつ食うという傾向が。自分は大丈夫、いつも通り元気だよ、という姿を見せようと(悲しみを隠そうと)、余計に一生懸命食べてしまうようだ。切ないねぇ。
そうそう、ヒボンが年末のSBS演技大賞で「友情賞」を受賞した理由も、このあたりからわかってくる。単純だけど、いいキャラだ。
というわけで、今回は第7話を含め、「イルジメ」を理解するための、少しだけ突っ込んだ予備知識を。
まずはヨンの七変化ネタ。この回くらいから、ヨンのコスプレ(扮装)が増え、楽しみも広がるのだが、その一つが「ワル」風ヨン。彼は仇を突き止めるため、父を殺した証拠の剣を捜すべく貴族の家にもぐりこむ手段としてチンピラ集団「ヒマ組」に加入。このとき、彼らの仲間だということをアピールするため行った気遣いが、髪を油で固めること(笑)。これは、ヒボンら「ヒマ組」の面々のスタイルを見て頂ければお分かりのように、彼らのトレードマークなのだ。なぜって? 「ヒマ組」と訳されているが、原語では「アジュカリ(唐胡麻)派」。唐胡麻から作られた油がヒマシ油で、それで髪を固めているから、この名前なのだ。ヨンもこれを真似て、僕も仲間だ!とアピールしたわけ。リーゼント(死語?)して、かつあげしている人を誰も貴族の息子とは思わないでしょうからねぇ。見た目から「ワル」を装い、正体をカムフラージュするのだが、根がそういう人間ではないため、八百屋で金を徴収するため暴れても、後からそそくさと荒らした店の商品を元に戻したりしてノ。可愛いというか、何というか。
もうひとつ、「あだ名」ネタ。父子で騙して金を奪ったポンスンを酒屋で働かせ、返金させようとするヨンは、ポンスンを「バンビ」と呼んでいる。字幕では「下働き」になっているが、直訳すると「下女」。「おいこら、下女?!」って、男の子が好きな女の子にわざと意地悪してる感で可愛くてノ(ま、ヨンは今のところポンスンに興味はないのだが)、私ならそう呼ばれたいよ!と思ってしまう。韓国ドラマでは女の子(特に好きなノ)をわざと変なあだ名で呼ぶことが多く(ex.『快刀ホン・ギルドン』の「モンチョンイ(間抜け)」、『ごめん、愛してる』の「トルティンア(石頭、間抜け)」、『宮』の(ミョンナンピョン「明朗病、浮かれ女)」など)、それが何とも微笑ましくていいのだ。ヨン&ポンスン・コンビはほんと、かわいいっす!
他にも、セドルが我が子ヨンを事あるごとに「モッチョブロ!(かっこえぇ!)」と言うのだが、これは人気お笑い番組の若手男性芸人のコントから生まれた流行語。『イルジメ』で使われたことで、さらに流行った言葉である。「バンビ」もそうだが、こういうちょっとした遊び心も『イルジメ』の面白さ。ぜひ、使ってみては?(って、どこで使うのか?)
時代背景や官職のことも説明するつもりが、くだらない(?)予備知識ばかりになってしまった。こちらのためになる(笑)予備知識も近々アップしませう。
以上、エコ記事でした!(苦笑)
ではまた次回、アンニ・ヨン!
「イルジメ」は脇役も見よ! 不器用キャラ養母タン編
アンニ・ヨン・ハセヨン!
皆さん、「イルジメ」ファンサイト、おかげさまであっという間にお花がたくさん!
ところが、ファンサイトはデータが重い上に、アクセスが急激に増え、サーバーが不安定になっているようです。現在、改善を目指し、いろいろ試行錯誤しているようですが、スムースにアクセスできるようになるまでは、もう少し時間がかかるかも…とのことでした。
もし、アクセスできないようでしたら、「イルジメ」がヒットしてる!という証拠です。喜んでやってください(笑)
そして、私のところにも「イルジメ」DVD-BOX1がようやく届きました!(って、遅い?)
渾身のデザイン、素敵ですねぇ。「イルジメ」は美術もいいですから、日本盤DVDのパッケージデザインもきっちり、そのポリシーとクオリティを引き継いでくれたようです。私も頑張って応援&布教しなくては!
といいながら…今日も、エコ記事で行かせてもらいます(苦笑)。ごめんなさい!
来週の地上波放送開始には、ちゃんと愛をもって語りたいなと思っておりますので…
で、今回のテーマは、私がヨン以外でもっとも贔屓にしていた人物はタンについて。
人それぞれ見方も、心打たれるツボも異なるので、皆がタンに惹かれるわけではないと思うが(特に前半)、そこは「こういう見方もあるのね」くらいに受け止めていただきたい。でもね、タンの魅力が分かると、このドラマはより面白くなるのですよ!
さて、そのタンについて、今一度、復習を。
彼女はヨンの育ての母であり、シフ(幼名はチャドル)の生みの母である。また、現在はセドルの妻として暮らすが、過去にはヨン(ギョム)の父イ・ウォノに愛された(しかも初恋!)女性でもある。が、悲しいかな。ウォノの家に小間使いとして仕えていたタンは、身分の違いから家を追い出されてしまう。タンはその時、ウォノの子を身ごもっていたため、自分を捨てたウォノに恨みを抱くのだ(実は捨てられたわけではなく、ウォノも彼女が子を宿していることは知らなかった)。
捨てられたときに出会ったセドルと一緒になったタンはウォノの子を産み(それがチャドル=後のシフ)、息子にはセドルを実の父親と偽って育てていくが、10年あまりの時を経たある日、ウォノとその息子ギョム(ヨン)に偶然遭遇。同じウォノの血を引くにも関わらず、わが子チャドル(シフ)は卑しい身分で貧しく暮らし、正妻の子ギョム(ヨン)は高貴に育てられている。その差を目の当たりにしたタンは愕然とするのだ。
なぜ私の息子は、同じあなたの子なのに貧しい境遇に甘んじなければならないのか? 出世の道も阻まれるのか?
こうしてタンは、ますます最愛の人ウォノへの恨みを募らせるのだ。(あ、このセリフは、私が勝手にタンの心を代弁したもの)
偶然にも夫セドルがウォノの息子ギョム(ヨン)を助けてしまうのだが、タンは少年がギョムと分かると大激昂! 追い出そうとするのである。なにせ自分を捨てた男の子だ。面影が重なり恨みも増すだろう。しかも、ギョムは謀反者の息子として政府から追われる身。かくまっていることが知れたら、わが身が危ない。そりゃ追い出したくもなるわな。が、結局は町で彷徨っていたギョムを連れ帰ってきてしまう。で、「こうなったら実の息子として育てよう」と言い出すセドルに呆れながらも、ギョムを息子として受け入れるのだ。
が、捨てられた女の恨みもあり、タンはヨンを引きとったものの、彼が事を起こすたび、セドルに「(他人の子を)育てるんじゃなかった」と冷たく言い捨ててしまう。そして、セドルに「もう少しヨンに優しくしてやってくれないか」と乞われるのである(私もそう思った)。
あまりの冷たさに「なんだよ、継母みたいに」とヨンにも言われてしまうように、シンデレラの継母のごとく(こき使うわけではないが)、ヨンに対して冷たいタン。タンがあまりに責めるから、ヨンは何度も家出し、周囲も「あれは継母みたいだよ」と口にする始末。ヨンが本当に継母と疑うことはないのかしら?と思いながら見ていたのだが、何故かまるで疑うことなくヨンは彼女を実母と思って育つ。記憶が戻って以降も実の母子として接している。が、その冷たい母親に対して、すねたり、ご機嫌を取ろうとするヨンが実に哀れで健気だったりして…。
と、ここまで読んでいると、タンは悪女の役回りと思われそうだが、断じてそうではない。前述したように、最終的にギョムを家に連れてきたのはタンである。憎んでも憎みきれないウォノの息子だが、その不憫な姿を見て放っておけず連れてきてしまう優しさがタンにはあるのだ。ただの冷たい嫌な女なら、あのウォノが見初めるはずがないのである。
それに、タンはヨンに情がないわけではない。確かに序盤はヨンを責めまくり(誤解もあるのよ)、コワい母親ぶりにヒヤヒヤするが、決して彼を嫌いなわけではない。ヨンが帰ってこなければ気になるし、怪我を負えば心配する。ヨンが科挙の試験を受ける時には、内職で貯めたお金をはたいて、試験用の高級な解答用紙を買い与えてやる(それも、そっけなく渡す・笑)。ヨンが悪い輩と付き合っていると知れば、その繋がりを断とうとしてゴロツキにわが子を仲間に入れないでくれと頼みこむ。
何よりタンはどんなに怒っていてもヨンの食事の支度はしてやっている。そんなの当然でしょ、と言うなかれ。
韓国人にとって、食事の心配をしてやるというのは、深い愛情以外の何ものでもない。怒ったままのムッとした表情で、何の言葉もなく、食事を置いていくタンに、やっぱりタンもヨンを愛してるのねと、ほくそ笑んだものである。
そう、タンは不器用な女である。愛情表現が下手で、美人なのに愛想がない。性格的なものだろう。なにせ、ヨンだけでなく、夫のセドルにさえ、無愛想で冷たいのだ。いや、冷たく感じるだけで、うまく自分の気持ちを表現できないのである。
例えば、セドルが役人にムチで尻たたきの罰を受けたときのこと。何事もなかったかのように戻ってきたセドルに、「ズボンを脱いで」とつっけんどんに言い、薬を塗ってやる場面がある。優しい言葉ひとつなく、ぎーぎー怒りながら薬を塗ってやるのだが、こういうところに不器用なタンなりの優しさが表れている。
また、後半には、ある悲しい出来事により号泣するヨンを、黙って抱きしめ、一緒に泣きながら、なだめる場面がある。ヨンに母としての情愛を示したシーンで、何度見ても滝のように涙を流してしまう名場面だ。
また、タンには腹を痛めて産んだ息子チャドル(シフ)がいるわけだが、彼女は息子の将来を思ってわざと冷たく突き放して離縁。両班ピョン・シクの子と嘘をついて、ピョン家に渡してしまうのである。チャドルに不自由のない良い生活をと思ってのことだが、他の子供(ヨン)を育てて、自分のことは捨てるのかノとシフは母を恨むのである。なにせ、ピョン・シクの息子となりシフと名付けられた息子が、町で会った母親に「母さんと父さんと一緒に暮らしたい」とせがんでも、「どなたですか?」と他人の振りをする冷たさなのだもの。
が、実の息子に恨まれながら、他人の子を育てるタンもさぞつらいだろう。しかも、ヨン
とシフは腹違いの兄弟。
ちなみに、愛情表現の下手さ加減において、シフは母親似である。この母子、そういう意味でそっくりだ。
韓国ドラマで描かれる母親像は、子供に無償の愛を注ぎ、べったりと寄り添った関係と思われがちだが、そういう母親ばかりではない。タンのように、愛していても上手くそれを伝えられない不器用な母親、不器用な女も多いのだ。
タンとはつまり、実の子(それも愛した男の子供!)を手放し、他人の子(それも愛した男と別の女の子!)を育てるオモニであり、過去の男への愛と恨みを抱えて生きる女である。
タンの中には、チャドルに対する母の情と申し訳なさ、ヨンに対する複雑な思いと情愛、セドルへの感謝の気持ちと愛情、さらにウォノへの恨みと愛情が渦巻いている。(ウォノの死後も10年以上、命日には密かに祭祀を行っている。これって愛ゆえでしょう?)
そう、タンは誰に対しても、言葉にはしないが、不器用に愛情を示しているのだ。いわば、ツンデレ母で、ツンデレ妻(ほとんどデレは見せないが)。この美しくも無愛想な女が気にならないわけがない。セドルもウォノも、彼女のそういった不器用さを含めて、愛したのだろう。タンに一生懸命求愛するも、つっけんどんにかわされてしまうセドルとのやり取りなど、この夫婦の関係も見どころで、個人的には「隠れベストカップル賞」を授けたい思いである。そういえば、脚本家も「もし自分ならタンになりたい」と話していた。
ちなみに、タンを演じたキム・ソンニョンは、1967年生まれの俗に言うアラフォー。ヨンのようにデカイ息子を持つには、若く美しい人である。
これまでの出演作では、美人だが冷たそうな容姿が災いしてか、『Missキムの100億作り』で演じたヒロインの婚約者を奪う令嬢など、悪役が多い。が、最近では『完璧な恋人に出会う方法』で大イメージチェンジ。ヒロインの姉でバツ3の出戻り娘(特技は結婚して離婚し、慰謝料をふんだくること)を演じ、個性的キャラで笑わせてくれた。先日見た映画『うちの学校のET』(『花男』のイ・ミンホが生徒役で出ている学園感動コメディ)では、高校の校長役で出演しておられた。心の中で思わず「タンだよ、タン!」と喜んでしまった。私の中の2008年最優秀助演女優賞受賞者である。
自分が書いたものを読み直しながら、タンはいいわぁ…なんて、また思ってしまった(笑)
こういう不器用な女っていますからね。
では今日はここまでで。アンニ・ヨン!
セドル夫婦にとってヨンの存在とは?
アンニ・ヨン・ハセヨン。
昨日、今日とソウルに行っておりました、遊びならいいのですが仕事でした。しかも滞在時間20時間強(苦笑)。
そんな強行スケジュールでのソウル行きで、ハッと思いついたことが2つほど…。
どちらも機内で気づいたことなのだが、その1つが「イルジメ」に結びつくことなので、ちょっとばかり書いちゃおうかなと。
機内では、機内上映の映画を見ながらパソコンで原稿を書くというのが定番なのだが、今回セレクトした映画は「ロマンチック・アイランド」。イ・ミンギ、ユジン、イ・ソンギュンらが主演のロマンチックコメディで、3組のカップルがフィリピンのボラカイ島で繰り広げる愛を描いたものだ。が、なんとその1組が、セドルもといイ・ムンシク扮するチュンスクと、ギョムの実母ハン夫人もといイ・イルファ扮するチュンシクの妻だったのである。こんなところで「イルジメ」ファミリーに出会うとは!しかも、ヨンの養父と実母が夫婦とは! イ・ムンシクは相変わらず冴えないダメ亭主だし(笑)、逆にイ・イルファは物をはっきりと言うさばさばした嫁だ。なんか面白い組み合わせだな、なんて見入り、原稿書きどころではなくなってしまった(苦笑)。
で、よく見ていると、このチュンシクとチュンシクの妻、セドル&タン夫婦とは何かが違う。仲は悪くない(むしろいい)のだが、夫婦の間の空気が何か違うのだ。何だろう?と思ってみていて、ハッと気づく。この夫婦、どうも子供を亡くしているらしいのだ。つまり、子供が不在の夫婦、家族は自分たち2人きりなのである。子供のあるなし、それがチュンシク夫婦と、セドル夫婦の、2人の間に漂う空気の違いを生んでいるのである。
セドルのところは、ヨンという子供と共にあって夫婦の空気ができている。なんというのかな……夫婦は夫婦であり、父母なのだ。2人の会話の軸にはヨンがいて、2人の間にはヨンがいる。タンが何かでイラついたり怒ったりしても、これが夫婦だけならセドルがそれをすべて受けることになるが、ヨンがいるからヨンと2人で受け止められる。喧嘩をしても、2人だけなら煮詰まるが、そこに子供がいることで緩和されるのである。
夫婦にとって、子供の存在は大きい。もし、セドル夫婦がヨンを引き取って育てていなければ、この夫婦は(口にはしないが)ここまで深く愛し合うことはなかったかもしれない。ヨンを通してタンはセドルの優しさを知り、ヨンを通してセドルはタンの隠れた思いやりを感じ取っていたのではないだろうか。このあたりは、後半になればなるほど明らかに見えてきそうだ。
そこでもうひとつ考えてみた。チャドル(シフ)を手離していなかったら、どうだっただろうか?
チャドルはタンにとっては実の子供で、セドルにとっては他人の子供である。どんな子供だろうと、自分の子供のように愛情を注いで育てることができるセドルではあるが、やはりチャドルについては、タンと同等ではない。よって、タンの方が、自分の子を育ててくれるセドルに申し訳なさを感じてしまうだろう。が、ヨンに関しては、タンもセドルも同じ立場だ。なので、同じ気持ちで接することができる。同じ気持ちで親になれるのである。これが、夫婦を強く結び付けているとも言えよう。
これまで、ヨンにとってセドルの存在が大きいということは再三かたってきたが、同様に、セドル、そしてタンにとって、ヨンという存在は我々が考えている以上に大きいものなのかもしれない。
子は鎹(かすがい)というが、夫婦の間で何か不満があっても、ヨンのように心配ばかりかける(笑)放っておけない子供がいたら、それどころじゃないだろうしねぇ。
というようなことを、機内で映画を見ながらつらつらと考えていた。(で、結局原稿は書けず…)
というわけで、これからは、セドルやタンにとって、ヨンという存在はどのように作用しているのか、という点も注意しながら「イルジメ」を見てみようと思う。
で…すみません、そろそろ電池切れで眠うございます(苦笑)
今日は(最近は毎度ですが)推敲せずに、アップします。文章のおかしいところ、読みにくいところがあるとは思いますが、お許しを…
アンニ・ヨン!