広島、長崎で人々の日常の生活の上にいきなり原子爆弾が落とされて69回目の夏。
「原爆の悲惨さを伝えるために...」
広島の平和祈念式典を伝えるニュースの言葉に、「ん??」と、引っかかりました。
これまで、原爆の被害の悲惨さを伝え祈りを捧げることは、犠牲者を悼み、平和の大切さに思いを馳せ、唯一の被爆国であり戦争をしない国である日本が、世界に核兵器廃絶を訴える機会だと思っていました。
でも、
その恐ろしい原爆を同じ人類の頭の上に実際に落とすことができる人間、
過去にこんな悲惨な歴史を経ているのに未だ核兵器を捨てられない人間、
原爆を落とされた国が、原発事故まで起こし、収束していないにも関わらずまだ稼働させようとし、しかも他国にまで売り込むことができる人間、
本当は、そんな人間の恐ろしさ、弱さ、愚かさ、業を、そして国家主義の危険さを伝える日じゃないかと思いました。
これまで「日本は平和である」と、平和な日常を空気と同じ位に意識せずに、当たり前として享受して育ってきた私。
でもここのところ、それは国のリーダー次第で「平和が当たり前」ではなくなる可能性がある、という理不尽さと、69年続いて来た「戦争をしない国」への信頼と安心と誇りをむしり取られそうな流れに、怖れを感じています。
松井広島市長の平和宣言は、集団的自衛権や原発、福島には直接触れなかったけど、核兵器や戦争が「絶対悪」であるということ、唯一の被爆国の日本の立ち位置のお話は、私には響きました。
そして、子ども達の「平和への誓い」の締めくくりの言葉
「たくさんの違う考えが、平和への大きな力となることを信じて」
に、揺さぶられました。
自分と違う考えや価値観を持つ他者を、力で制圧するのではなく、受け入れて融合することで、新しい世界、そして平和が作れると思います。
平和は、いつもそこにあるものではなく、自分たちが作るもの、守って来たものだということに、やっと気づいた夏です。
All we are saying is
Give Peace a chance
こちらは、市が開催中の、ふれあいセンターロビーでの原爆写真展です。。