「私」が生まれてから
「今の私」になるまでを振り返る
『私が「私」になるまでの話』
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もう1つの魂が目覚める
セカンドソウル心理学
セカンドソウルカウンセラーの
こんのなおみです。
セカンドソウル心理学とは…
→全13話、一気読み!【セカンドソウル心理学とは】まとめ
事故の翌日は月曜日。
私はソワソワしながらも、
通常通り学校に登校しました。
行かなきゃ!と思ったのか、
行かせられたのかは
よく覚えていませんが、
私の家では、
「病気のような
休むべき理由がなければ、
学校に行かなくてはいけない」
そんな風にしつけられていたので、
お母さんが危ない状況であろうと、
学校に行くことが
「普通」だったのかもしれません。
朝、教室の自分の席に座って
先生が来るのを待っていると、
担任の先生は、
教室に入るや否や
私の席に来て、
「大丈夫か?」と声をかけてくれました。
私は胸がグッとなりながらも、
声を絞り出すようにして
「大丈夫です。
ただ、今日は、午前中で
早退させてください。」と伝えたんです。
すると、
周りの子達が、
「何かあったの?」とざわつき始め、
新聞やTVなどを見て
事情を知っていたクラスの男の子が、
両親の事故のことを
周りのみんなに話し始めたんですよね…
私はそれがなんか嫌で、
「その話に触れないでよ!」とばかりに、
私はキッとその子を睨みました。
その時を
振り返ってみて心の底から思うのは、
親が生きるか死ぬかの時に、
大丈夫なはずがないんですよね…
学校になんか、
行ってる場合じゃない。
本当は、
お母さんが
死んでしまうかもしれないと言う
恐怖と不安でいっぱいだったし、
ずっとお母さんのそばに
いたかったんじゃないかなぁ~と
思うんです…
だけど私は、
「ルール」を守るために学校に行って、
恐怖も不安も気持ちに蓋をしては
必死に抑えようとしていた…
だからこそ、
「その話に触れないでよ!」と言う
怒りに変わっていたんだと思います。
中学校3年生の私は、
私自身の気持ちを
必死に抑え込んでまで、
小さい頃から言われてきた
ルールを守ることを優先していた…
いや、むしろ、
そうやってルールを守ることが
「普通」だったから、
気持ちを抑える術を身につけていた…
なんか、
そんな気がしています
早退して
みんなで病院に向かうと、
お母さんは生きていました。
お母さんは、
広範囲電撃症Ⅲ度の重体。
お父さんは、
右手の正中神経断裂と
左足趾切断の重症。
後から聞いた先生の話では、
どちらも
生きているのは奇跡だったそうです
お父さんは1ヶ月ほどで
退院したものの、
お母さんは3か月くらいと
長く入院していました。