浮世絵シリーズ​


黒船来航から12年、世間に尊王攘夷の波が押し寄せる中、浮世絵界を牽引してきた3代目・歌川豊国が亡くなった。

歌川広重、国芳、豊国は「歌川の三羽烏」と呼ばれた大看板だったが、今や、彼らはいなくなり、華やかに活躍した隆盛期が終わろうとしている。

先の見えない激動の世に、残された歌川一門と浮世絵を守ろうとする歌川豊国の兄弟弟子、清太郎と八十八(やそはち)の物語。



「歌川の三羽烏」が一世を風靡したので、その後残された弟子たちがよほど凄くなくては先代を超えられないと、ハードルが高くなるのはわかる気がする。


「広重ぶるう」にも出てきた豊国の娘婿・清太郎は、真面目で人柄は良いが、絵師としては面白味がないと言われていた。それでも先代が亡くなったので、4代目豊国を襲名するのだろうと周りからは思われていたが、当の本人はずっとその期待をかわし続けていた。

それは、弟弟子の八十八のすごい才能を見抜き、心の底で恐れていたから…


歌川一門を背負っている清太郎にとっては、なんかそれだけでも辛い状況だけど、さらにそこへ時代の急激な変化が加わって、世間に不安感が充満し、浮世絵は売れなくなり、今までの江戸が失われていくという…

清太郎の人生はほとんど、そんな不安感や自分への失望、八十八への妬ましさなどで埋め尽くされていた気がする。


そんな清太郎は明治になってからやっと4代目を襲名したものの、まもなく病気で筆を持てなくなってしまう。そこからまた純粋に描きたいという原点に立ち返り、恥だとかそういうのも脱ぎ捨てていく。その姿は、見ているのも辛いけど、それでも美しいものがあった。

八十八とも、お互いに嫌いでありながらその才能が好きという関係で、実は分かり合えていたんだなあと思う。


そしてこの作品のタイトル「ヨイ豊」、私は勘違いをしていた。

激動の江戸末期、浮世絵は廃れていく流れにあって、それに逆らい今一度盛り上げようとする歌川の兄弟弟子に対して、世間が送った賞賛の掛け声かと思っていたのだ。「よっ、成田屋!」みたいな。

ところが、物語の終盤になって、その意味がわかったときに衝撃を受けてしまった。


黒船以降、大政奉還を経て明治、文明開花の世となって、消えていこうとしている浮世絵の世界。世間はそれに対し惜しみもせず、むしろ落ち目のものには冷たかった。

脳卒中で半身麻痺し、描けなくなったばかりか、杖でヨロヨロ歩く4代目豊国の境遇を、浮世絵の運命に重ねたのだろうか。ヨイヨイ豊国、ヨイ豊というのが彼を揶揄する陰口だったとは。



当時の西洋文化賛美は、その流れの強さに対抗できなかったことは否定しないけど、西洋へのコンプレックス転じて自国文化を過小評価しすぎたんじゃないだろうか。ヨーロッパでは日本の芸術として浮世絵が認知されていて人気が高かったというのに、貴重な大衆文化を価値のないものとして、日本人自身が捨てることになってしまったのだ。


「歌川を残す」ため、廃れ行く浮世絵を外国に託した…という弟子の決断は間違ってなかったんだろうな。でも、日本では残せなかったことが残念すぎて、どうにも寂しさを感じずにはいられなかった。


それにしても、踏まれ続けてなお生きる雑草のような強さが清太郎にもあって、地味でもいい、町人のしたたかさと美しさを見た気がして、心に残った。