富嶽三十六景で有名になった葛飾北斎に弟子入りしたいと、信州からはるばるやってきた豪商の嫡男、高井三九郎。

しかし、北斎はそれまで三九郎が就いてきたような普通の師匠とは違う、型破りな人だった。

家はゴミ屋敷。そして年増の娘・応為や、弟子の渓斎英泉もやっぱり変わり者で、振り回される常識人の三九郎。

弟子入りも許可されたのかどうか、よくわからない。

そんなところに、北斎の贋作が高値で出回っているという噂が…


見えているものが違うんじゃないかと思うような、北斎の感性を深く尊敬していたが、娘の応為も負けず劣らず凄いと思うようになった三九郎。
表舞台に出ず、北斎の代作や春画に甘んじている応為の絵を見たい、描かせたいと思うようになっていく。



べらんめえ調の生き生きとした江戸の下町の雰囲気が力強い。
三九郎がそれまで師事していたような、お上品な芸の世界とは違って、生きる糧として絵に全てを注ぎ込んだ人たちの気合いは、他を圧倒するものがあった。

北斎は有名になったが、今は歌川国芳などの一派が人気があって勢いを得ており、一抹の寂しさも感じる状況。

さて、そんな中出回っている北斎の贋作は、確かに本物と見分けがつかないほどそっくりで、武家が高値で掴まされたりしている。
それを描いたのは誰なのか?
実は北斎や応為にはわかっていたのだ…


三九郎は10年も絵を習ってきたが、それで食べていく気はなかったので、技術があるだけで、自分の中から湧き上がる表現欲というようなものに欠けると見抜かれてしまう。
それが応為たちに触発されて、少しずつ変わっていくところは、「そうでなくっちゃね!」と思ったな〜。

やっぱり、音楽にしろ絵にしろ、感情や鬱屈や情熱などの発露だと思う。
絵を見た人にそれらが本当に伝わるのか、見た人が受け取った気がすると感じているだけかもしれないが、実際本当に伝わったのかはどっちでもよくて、何かを感じ取ったと誰かが思うこと、それこそが肝心なんだろう。

三九郎は高井鴻山という画号をもらって、後に妖怪画の浮世絵師として大成したようだ。
三九郎の地元、長野の小布施には、本当に北斎の描いた天井絵や応為の絵があるんだな!知らなかったけど、見に行ってみたくなった。

そして読み終わって、主人公は三九郎だったのに、何故か応為のことがもっと知りたくなったのだった。
どんな人生を生き、何を思っていたのだろうか?