男子高校生のT・Jが、学校のはみ出し者ばかりを集めて水泳チームを作る物語。
最初、タイトルや表紙から受けたイメージでは、ウォーターボーイズみたいな爽やかスポーツ青春物語かと思ったのである。
でも違った!いや、明るくはあったのだが。

語り口調は軽妙で、湿っぽさも感じさせないのに、登場人物たちの背景とアメリカ社会の問題が浮き彫りで、それもかなり重いものだったのでびっくりする。


水泳チームのメンバー7人は、それぞれ何かしらの傷を持っていた。
主人公T・Jは頭が良くてスポーツも得意だが、黒人の混血で差別されることも多く、実母からの虐待で他の夫婦の養子になった過去がある。
他のメンバーも、虐待により脳障害が残った子や、片足が義足になった子、存在感空気の子、天才だけどコミュニケーション力ゼロの子など。
学校はスポーツ偏重すぎて、スポーツの成績が最重要、クラブOBが学校運営にまで口を出し、いじめや差別がまかり通っている。
いやー、アメリカ社会でストレートに表される差別主義が不快だし、虐待やDV、薬物依存、銃などの社会問題がオンパレードで厳しすぎる。

いつもいじめられている子でも、スポーツの成績優秀者に与えられるスタジャンを着ることができれば、スポーツバカを悔しがらせることができるだろう。
それをモチベーションにスタートした水泳チームだけど、実は学校にはプールもなかった。
彼らは、馬鹿にされつつも地味な練習を重ねて好成績をあげていく。しかし、メンバー全員がスタジャンをもらえる可能性が見えてくると、なんと学校やOBがそれを阻止しようと動き始めるのだった。
自分たちが優れていると事あるごとに誇示したがるくせに、やることは下劣というのがなんとも腹立たしい。T・Jたちは、正当に努力を評価されてスタジャンをもらうことができるのだろうか。


この作品は、寄せ集めの水泳チームが勝ち進み脚光を浴びることをメインとしたドラマではなかった。
しかし勝つにつれて、居場所がなかった者たちに居場所ができた。チームの中にも、学校にも。

タイトルの「ホエール・トーク」の意味は後半になってからわかってくる。
海の中で遠くまで届く鯨の鳴き声は、真実のみを語り、それを聞いた全ての鯨に真実の通り理解されるのだと。T・Jたちにとってのスタジャンは、鯨にとっての鳴き声と同じで、「学校中に通じる言葉」であるのだ。

マイノリティや差別を受けている側は、すでに言葉があるのにそれでは通じず、別の共通言語を探さなければならないという状況に置かれていて、共通言語を心の底から欲しているということを、鯨の鳴き声で表現したことがすごいと思った。

好感が持てたのは、T・Jたちが置かれた状況に対して、決して卑屈にはなっていないし、打ち負かされもしない。ただ真正面から立ち向かおうとしていたことだ。
水泳チームがメンバーたちにとって、心を吐き出せる居場所となっていったのも良かった。


「十二単衣を着た悪魔」で印象的だったセリフ「能力は形にして見せよ」というのを思い出した。まさにこれなんだなと。
「努力の過程を認めよう」という考えもあってそれも大事だけど、「努力を認めてもらえない」と言って人のせいにしているのは本当に努力していると言えるのだろうかと、そんなことも考えさせられたのであった。




《鯨の歌が聞こえる吹奏楽》
海の男たちの歌
作曲家が外国人なので、漁港の賑わいや活気も日本のものとは違う感じなのがいい。
中盤に、海の中深く潜る鯨たちの会話が聞こえるような部分があって、ディスカバリーチャンネルなんかを見ているような気分になる。