婦人会の四国ブロック大会開催 | 育美のたまて箱

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私の人生は、たくさんの玉手箱で彩られてます。

家族、社員、仕事、夢などなど

そういった玉手箱を紐解きながら綴っていきます。

2月19日

今日は夜には、明日の四国ブロック大会の懇親会が開催され、

愛媛県からはたくさん参加してくれましたし、県議会議長さん

を始め、相談役のお二方(徳島県医師会長さんと四国大学の

学長さん)などのたくさんの来賓の方も参加くださり、賑やか

に開催することができました。

2月20日

いよいよ四国ブロック大会本番。

四国四県から参加くださり、シンポジウムを行ったり、講演は

文理大学の鴬春夫先生にお話しいただきました。

最後には四国四県の会長より、パネルディスカッションを行い

ました。私からは全国の常議員としての、今の全女連の現状を

報告しました。そして、テーマである「四国は一つ」の大会は

終了しました。

2月21日

プーちゃんとアトム君は病院に行き、予防接種を受けたり、

おしりの便をとってもらったりしました。

今日はシャンプーとカットの予約が取れなかったので、

プーちゃんをDちゃんとT君が、アトム君は娘がシャンプー

することにしました。

この日は銀行の支店長さんが挨拶がてらに立ち寄ってくれた

ので、これからの件について話し合いました。

また商工中金の支店長さんは特に、外国船の融資の件について

娘と打ち合わせをしました。

 

 

2月22日

午前中は日赤社費説明会に参加しました。

私は奉仕団の委員長として挨拶をさせてもらいました。

美馬地区からはいつものようにバザーの売上の一部を寄付

させてもらいました。

午後からは、淡路に出張して、ハイウェイオアシスで大阪の

お客様と合流し、新船の件や由良の件について打ち合わせを

しました。

 

2月23日

今日は天皇誕生日で祭日ということでしたが、40年来のお客様

を訪問しました。

30年もお会いしていなかったので、まるで竜宮城から出てきて

玉手箱を開けたようにすっかりお互いに歳をとって、老いていて

ビックリです。特に元気であった奥様が亡くなって、ご主人は

会長になっており、当時独身で役場に勤めていた息子さんも

今はもう60歳を超えて社長さんとして生活をしていますが、

4人の息子さんは全て独立しており、後は継がないそうなのです。

月日の流れは恐ろしく過ぎておりました。会長さんの言葉による

と、亡くなった奥様がいたからやってこれたし、今の自分があり、

現社長の息子さんは公務員をやめて、ガス屋をして良かったと

いうお話を聞きました。幸福な人生であったようで安心しました。

お客様であり続けてくれた事に感謝をして帰ってきました。

 

2月24日

婦人会の地区の会長さんが訪ねてくださったり、久しぶりに

歯科に行って、治療を受けました。

また帰りには河野メリクロンさんにお邪魔して、徳島の大手の

観光会社の社長さんに親しかった女性の方が就任されたという

ことで、お祝いの花を購入したり、県外の婦人会の会長さんに

シンポジウムの花束を贈りました。

夜は土曜日ということでマッサージを受けました。私の一番の

贅沢です。家に出張してくれるからです。

 

2月25日

3連休の最終日は1日中家の中で閉じこもり、1週間の経理の

チェックや机の上の整理、また電話を何件か掛けて商売を

しました。

何しろ家でいる事が一番の楽しみでもありますし、娘が東京へ

出張中で、電話でこれからの件について話し合いをしました。

 

近頃はどのように人生の終焉を迎えるかを考えています。

今週は40年来のお客様を訪問して「人生万歳」のお話を聞かせ

てもらい、自分の人生を振り返り、夫との結婚について考えて

しまいました。

あんなに家族や会社を愛した人が女性に現を抜かすとは思いも

かけず、残念な事でした。しかし、2人の子どもを授かった事、

藤田家で過ごした人生は万歳かなと思うのです。

会社経営と婦人会活動ができた事は人生の全てであったように

思います。今は全てがなつかしく感じる今日この頃です。

娘との会話で「イキイキ生きる」ことが娘へのプレゼントだと

考えています。

 

それでは、今週もこの辺で。

ごきげんよう。