池間史規60/40記念コンサート「60光年先の銀河」ストーリー 4 | イケイケ!イケマの日記帳なぅ!!

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作曲家、シンガーソングライター、ベーシストの池間史規です。日々の活動を通して感じた事、想いを、皆さんのお役にたてるよう願いを込めて、語ります!

母の葬儀は思っていたよりも大変だった。

 

僕は高校を卒業して、東京に出て42年。東京での葬儀はもちろん、北海道や長野でも参列した。

シンプルなこちらの風習に慣れていたため、実家での風習やしきたりは、わからない事だらけだった。

 

聞けば良い。と言われたが、どこをどう聞けば良いのか?さえわからないので聞き様もなかった。

母の気持ちを考え、ここは外せない。というところはちゃんとしたつもりだ。

 

東海地方の冠婚葬祭は、お金がかかる。と言われる意味がよく分かった。

それ自体、その地域の風習なので良いも悪いもないが、一体誰のための葬儀なんだろう?

と思う場面が多々あった。

 

母の遺骨と共に、東京に戻った僕は、やらなければならない事だらけだった。

 

コンサートの宣伝、告知、集客。

ストリングスのアレンジ。

 

ストリングスは、当初3人で決まったが、音楽的にはカルテットが良いに決まってる。

予算が足りない。このチケット料金では、赤字は必須だったが、覚悟を決めて4人にした。

 

ところが、アレンジする時間が圧倒的に足りない。

 

弦を入れる予定の曲は17曲。

もっと早く、アレンジに取り掛かっていればよかったのだが、母がこうなる、なんて予想は立たない。

 

焦って、クオリティの低いものは作れない。ただ和音作っただけの譜面は書きたくないし、

わざわざ4人も呼んでおいて、そんなことはしたくない。

 

ここは、仲間の力を借りよう。

映画音楽の作曲家であり、友人の寺嶋民哉くんと、仕事で一緒の古垣未来さんに2曲ずつお願いした。

残りの13曲は、自分で書いた。

 

集客のための宣伝や売券も、できる限りのことをした。

お金は後でいいから!と言って、チケットを渡したりもした。(みなさんありがとね)

 

母の四十九日法要の準備もあった。

 

母の遺影の前で、母に話しかけている時でも、頭のどこかに焦る気持ちがあった。

本当に悲しんでいる暇はなかった。

 

リハーサル日の(6/29.30)の1週間前には、奏者に譜面と音源を渡さねば。

5月、6月はそんな日々が何日も続いた。