池間史規60/40記念コンサート「60光年先の銀河」ストーリー3 | イケイケ!イケマの日記帳なぅ!!

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作曲家、シンガーソングライター、ベーシストの池間史規です。日々の活動を通して感じた事、想いを、皆さんのお役にたてるよう願いを込めて、語ります!

悲しんでいる時間はない。

 

今日リハのSEIRIOSの音楽的リーダー、フランキーTさんに電話する。

流石に朝早いから、電話は失礼だった。気持ちが焦ってる。

 

メールを入れ、返信を待たずに、母が待つ磐田市まで車で向かった。

 

神奈川県から静岡県に入ると、富士山が現れた。

いつもの東名高速なのに、こんな綺麗な富士山は、久しぶりに見る。

なんだろう?キラキラしてるものを感じる。

 

母なのだろうか?

母が悲しむことはない。と言っているような気持ちになった。

 

施設に着いたのは、午前9時前。

母と対面した。

 

きっと、対面したらボロボロになってしまうんじゃないか?と思っていた。

でも、実際は違った。

「ありがとう。ごくろうさまでした。」という気持ち。

そして、キラキラした何かを感じる。

 

あぁ、これは母だ。楽になれたんだ。

そう思おう、としてるのか?いや、そんなことはない。

そう感じるんだ。

 

まだ、少し温度の残る、母の顔や腕を触り、最後に見舞ったときの事を思い出した。

 

ずっと手を握っていたのだけど、母は何度も僕の手を握り返した。

その時は僕は、最後だと思わなかったのだけど、母は悟っていたのかもしれない。

 

その時に「ありがとう」と言えて本当によかった。

 

SEIRIOSのフランキーさんからメールが入っていた。

リハは、ベース抜きでやるから心配しないでください。と。

でも、本番は穴を空けるわけには行かない。

 

順当に行くと、通夜は11日、葬儀は12日。本番と重なってしまう。

 

親戚に事情を話し、葬儀屋に調整してもらい、準備が整った時点で、

一旦、東京に戻った。

 

そして11日、天王洲KIWAでSEIRIOSのライブに出演し、そのまま磐田に戻った。

 

そして翌日通夜、翌々日告別式を終え、また東京に戻ってきた。

 

本当に悲しむ暇は、なかった。

 

今となれば、それでよかったのだと思う。