イケダムネオ人生学習帳 -20ページ目

イケダムネオ人生学習帳

「ことばは感情を変え、行動を変える。行動が変われば習慣が変わり、人格が変わる。人格が変われば、集まる人が変わり、ひとの運命が変わる。」  日々の気づきを言霊に託し、変えてみせます。私の運命。

まったく、理解できないことが世の中には起こる。理解できないとは、自分の思考の枠組みを超えているわけで、頭をひねってみても判別できないことである。英語でいったほうが、よりニュアンスが伝わりやすい。It does not make sense for me.文字通り、sense(自分のもつ
考え方や感じ方)成立しないということか。

ベトナム人との人間関係において、最近このようなことが頻繁におこる。
彼ら(もしかしたら私の周辺にいるごく少数かもしれないが。。)当人が好きなことを勝手にやって、ひどい窮地(経済的かつ物理的に)に陥った時に、数度支援したことがある。
理由を聞いてみると、自分の都合の良いことしか考えてないし、他との関係性なんぞは何も考えていない。
その場では、very sorry, approjize for it,とはいうものの、彼らにとって、その事象は謝罪して、しぶしぶその謝罪を聞いてもらっていることでそれはすでに終了しているようなのである。
相手へすまない、迷惑をかけた、その償い(recompensate)をしなければならないとか、失った信頼関係を回復するために行動(努力といったほうが日本人の感性には響くが、この国の人間には伝わらない。)が多分ないのであろう。

時間は点であり、将来の点と結ばれることで線を成し、人生となっていく。努力や継続は
点の集積の結果、よりよい線を形作るとの考え方であるが、スポーツ、事業、人生でも多分にそのような考え方は正しいと思うが、ベトナム人にとってはそうではないらしい。

過去は過去、今現在をどう生きるかが大事。確かにそうであるが、やはりそのような点はよい
線を形作れないとも思うが。。

屋根がなくとも、生きていけるし、いざとなればたわわに実っている果物を食べれば死ぬことはない。人生を悲観して、自殺するひとがすくないのは、何もしなくとも生きていけるからである。

怒りを通り越して、この国の人間を理解できるのが、疑問に思えてきた。




イケダムネオ人生学習帳
ホーチミン生活では入手できないもので、日本の書籍がある。雑誌の類はドンコイ通りにいけば市価の数倍で買えるらしいが、その手は興味がなく、良質の小説、ビジネス書を年に1回、帰国時に購入しているが、その参考にしているのが、土井英司さんがやっておられるビジネスブックマラソンである。
⇒ http://archive.mag2.com/0000135008/index.html

この方は、生きる術としてはニッチでの変態として生きることを勧めている方で、変態のニュアンスはいわゆるオタクの道を極めることが、大切だと言っている、ご自身も一日一冊の
ビジネス書を読破して、メールマガジンとして配信しているが、その紹介のくだりがすごく
うまい。何かを初めて紹介する場合の示唆に富んだ実例として、参考にしている。

最近、脳ミソがふやけてきているので、今回の媚びない人生の一言は、ショック療法として、
ここに挙げてみる。土井さんの紹介分だけで、十分に刺激的であるので、たぶん購入はしないと思うが。。。

1 夢は小学校のときが一番野心的であり、年齢を重ねていくごと
に段々と小さくなっていき、いつの間にか夢を見ることすらし
なくなる(中略)そのうち、翼は折れ、飛ぶことを諦める。そ
していずれは翼があったことすら忘れるだろう

→老いへの言及でもあるのだが、これは経済的に安定がある程度見出せている
年長者にありがちであり、地べたを拝づって、またそれに近い緊張感でいきている
年寄りでは、這いずりまわりながら、飛べると自身を信じて行動しているので
それは幸せなことだと思っている。


2 選択が生み出す結果に対して責任を負う決意に基づくので
あれば、そのその選択はその時点で常に正しい。

→この言葉が一番響いた。冷静にポイントを整理して、メリットデメリットを把握したうえでの決断であれば、ビジネスであれ、プライベートであれそれは正しい。自己肯定をしつつ、
仮にその決断がうまくいかなくても、後悔はしていないので、別の考え方やプランにたどりつくことができる。

3 自然体とは、内面と外面が一致している状態
→りきまなくとも、内面からくる自信が、外面をよく見せる、またはそれなりにみせるということか。

4 不満を自分の原因に昇華できたなら、そのとき不満は不満でなくなる
→50すぎても、これが一番難しい。無常流転、自己超越か。

5 自分にとっての理不尽は、相手にとっての合理である
→ちとわからない。


6 社会や企業というのは、残酷なまでに大胆に、そして節操なく
その規範や基準を変えるものである
→パラダイムシフトは気づいているときにはすでに遅い場合が得てしてある。
ただ、逆を言えばニッチ市場での優位性があれば、ガラパゴスであってもよいのでは。

7 すぐに結果が出ることなど、大した挑戦ではない

→概念レベルで語るとそうなるが、人間だれしもそんなに強いものではなく、
日々の落とし込と実践をキープしなければ、大きな挑戦はできない。その源は何か。
怒りとか、復讐とか内面にある負の感情を利用するしかないのだか。


8相手の利益の構造を理解しておくことだ。自分の
利益の構造はわかっている。しかし、相手の利益の構造がわか
らなければ、お互いにとっての利益の最大化を図ることはできない

→win-winの関係の前提でもあるが、この関係を維持する必然はないかを
よく考えてないと失敗する。


9社会を変えるのは大衆ではない。個人なのである。その変革の
起点に自分がなるよう、力をつけていくことである

→恵まれない子供を支援する活動が、それに当たればそれでよい。

時に感情によっても、言葉の意味は変わってくるが、いずれも貴重な言葉である。
今年で3回目の雨季突入となりました、5階下から落ちていく雨筋(こんな単語はあるかあ??)が見えていきすこしほっとする気分と同時にあと6ケ月づづくと思うと、げんなりする複雑な気分ではあります。

某筋より、ベトナム人を蔑視する表現が多いとのご指摘をうけ、まずいと思いつつ、この一年はまったくいい
印象を与えないベトナム人を見ているので、深層心理で思っていることが、端々に出でいるのではないかと
思いつつ、結局は他人への批判、評価は自分自身を投影しているとの説は否定しないので、ここで
最近腹がたつ、生理的に許せない、バカとしか呼びようのない事例を列挙してみる。

1-昼ごはんをごちそうになっておきながら、礼も言わず、その上自分のカミさんのおみやげまで
その費用に入れてしまうバカ

2-バイク走行中にいきなり前方に方向指示も点滅させずに割り込んでくるバカ(多数)


3-明らかに矛盾している内容の書類を提出しておきながら、口頭では違うこと平気での賜るバカ(多数)


1に関しては、一説では日本人は明らかに自分より上の階層にいるのでおごるのは当たり前で、そのことで上の人間として見るといっているが、その考え方自体がすでに思考をめぐらせていない
バカ日本人の発想だとしか思えない。経済格差は現在もたしかにあるし、身に着けているものもすこしは日本人がよいかもしれないが、所詮同じhuman being、プライドを持つ者であれば礼を言うのは
当たり前のことだと思う。奢る奢らないは、奢るものの自己満足であることは十分承知の上で、
お礼を言われて初めて、満足するものでもある。やはり猿の沙汰だ。

2に関しては説明の必要もなく、自分しか見ていなくて他人の迷惑顧みずの典型
ただ,自身が恐れているのはそのような運転をしているかもしれない思うときがある。


3に関しては、詳細は差し控えるが、この国ではあまり気にされないらしい。



同じ感覚に慣れてきている自分も含めて、退化していることに対して自虐的にバカ、猿と呼んでいる可能性はある。

欧米の場合だと、その手の発言で人生を変えてします場合も多くあり、最近で英国代表キャプテンが人種差別発言をしたとして、裁判沙汰となっている。