考え方や感じ方)成立しないということか。
ベトナム人との人間関係において、最近このようなことが頻繁におこる。
彼ら(もしかしたら私の周辺にいるごく少数かもしれないが。。)当人が好きなことを勝手にやって、ひどい窮地(経済的かつ物理的に)に陥った時に、数度支援したことがある。
理由を聞いてみると、自分の都合の良いことしか考えてないし、他との関係性なんぞは何も考えていない。
その場では、very sorry, approjize for it,とはいうものの、彼らにとって、その事象は謝罪して、しぶしぶその謝罪を聞いてもらっていることでそれはすでに終了しているようなのである。
相手へすまない、迷惑をかけた、その償い(recompensate)をしなければならないとか、失った信頼関係を回復するために行動(努力といったほうが日本人の感性には響くが、この国の人間には伝わらない。)が多分ないのであろう。
時間は点であり、将来の点と結ばれることで線を成し、人生となっていく。努力や継続は
点の集積の結果、よりよい線を形作るとの考え方であるが、スポーツ、事業、人生でも多分にそのような考え方は正しいと思うが、ベトナム人にとってはそうではないらしい。
過去は過去、今現在をどう生きるかが大事。確かにそうであるが、やはりそのような点はよい
線を形作れないとも思うが。。
屋根がなくとも、生きていけるし、いざとなればたわわに実っている果物を食べれば死ぬことはない。人生を悲観して、自殺するひとがすくないのは、何もしなくとも生きていけるからである。
怒りを通り越して、この国の人間を理解できるのが、疑問に思えてきた。
