書籍紹介:『則天武后』 | 奈良の石屋〜池渕石材のブログ

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本日は書籍紹介をいたします。

今回取り上げるのはこちら、

氣賀澤保規『則天武后』講談社学術文庫、2016年

 



長い中国史上でも空前絶後、最初にして最後の女帝・則天武后の評伝です。

文庫化される前の元の単行本は1995年に出版されています。

則天武后というと、中国唯一の女性皇帝というインパクトのために、ほとんどの方が名前くらいはご存知だろうと思いますが、本書を読むとそのインパクト、存在感が掛け値なしに稀有のものだったことがよくわかります。

 

隋を滅ぼして唐を起こした起こした高祖・李淵の息子で、二代目太宗となった李世民の後宮に迎えられるところから、武后の立身は始まるわけですが、実は彼女が頭角を現していくのはその後、三代目高宗の後宮で皇后をはじめとする奥の権力者たちを追い落としていくのと同時に、ということになります。

そもそも当時の中国では、父皇帝の後宮に入っていながら、さらにその息子とも関係を持つというのが既にとんでもないことだったようですね。

そのあたりをどうクリアするかという点にも武氏の権謀が光るわけです。

 

高宗はかなり優柔不断な人物だったようで、彼を虜にしてからの武后はいよいよ本領発揮、自分の子供すら平然と使い捨てながら、ライバルとなる他の皇妃や官僚たちを追い落とし、徐々に自らの権力の基盤を固めていきます。

このあたりの権力を駆け上がっていくところのドライブ感は、すごいものがあります。

中国には科挙という官僚登用のための有名な試験が長く行われましたが、これも則天武后が旧来の貴族勢力の力を削ぐために積極的に活用したということなど、面白いなと思わされました。

 

加えて、当時の中国は何しろ男性優位の儒教社会だったわけですが、父母が亡くなった時の服喪期間を等しくする制度改定など、現代のジェンダー論的な観点から見ても興味深いと感じられるものもあり、男性社会で女性が活躍することの苦労を考えたりもしました。

武后は則天文字という新しい文字をいくつか作らせていますが、これも文字についてのジェンダー的視点から読み解けるというところなど、非常に興味深いものがあります。

少し引用します。

 

「男と女という関係でいえば、彼女には、もうひとつ気になっていたことがあった。文字の問題である。漢字はみずからの立場や思考を表現する唯一の手段である。だが考えてみると、その漢字たるや、男たちのものとしてあった。男たちの世界、男たちの思想、それらを説明するのが漢字の役割であって、女たちのためにはなかった。男優先の通念にどっぷりとつかった漢字を使いつづけるかぎり、男の土俵の上でしか戦うことができない、武后はそんなことにもこだわった。

 文字を女の側に近づけるにはどうすればよいか、その課題にひとつの答えを用意してきたのが、側近の宗秦客であった。彼は、まず十二個のそれまでにない独特の文字をあみだし、普及をはかるように申し出てきた。世にいう「則天文字」である。

 その最初には、武照〔武后の本名〕の照の字にあたる曌という新字を出し、天空の上から明るく照らす様子を表現する。以下、天、地、日、月、星、君、臣、人、生、国などとつづく。文字すべてを変えることはできない相談であるし、またその必要はない。日常よく使うもの、あるいは使わざるをえないもの、そして男を前提に存在するもの、それらの一部にこの独特の文字を用いさせることで、人はそのつど女性の絶対者、武后がそこにいることを意識し、時代の変化を再確認しなければならなくなる。そのように楔をうちこむことで十分なのだ」

(258-259頁)

 

ちなみに彼女については「則天武后」という呼称が一般的ですが、近年では「武則天」と表記されているのもしばしば目にします。

数年前に中国でドラマ化された時のタイトルも「武則天」でしたね。

 

則天武后というのは、あくまで彼女が高宗の皇后であるという立場に主眼を置くものである一方、彼女が自立した改革者であるという側面を積極的に評価する際には武則天と称されることが多くなってきたということだそうです。

本書はそのあたりの議論には介入せず、一般的に通りのよい「則天武后」をタイトルにしたということのようですね。

ともあれ、中国のみならず世界史上でも稀有と思われる強烈な個性を物語った、非常に面白い一冊でした。