4月と言えば、入学・入社などでニューフェースがそこここで現れるシーズンです。弊社でも久しぶりにニューフェースのお目見えで、早速新人研修をやりました。会計事務所らしく「借方(かりかた)」「貸方(かしかた)」の簿記のレッスンもあります。え~っと、右側にくるのが....?あれ?どっちだっけ?という始末なのですが。
ところで、「借方と貸方」、よく言われている簡単な覚え方ですが、ひらがなで『か“り”かた』の“り”という字は、左側に跳ねるように書きます。ですから、借方勘定は左側に記載します。
反対に、同じくひらがなで『か“し”かた』の“し”という字は右側に跳ねるように書く字ですね。ですから貸方勘定は右側に記載するのです。
でも、これでは物事の本質が全く見えない説明となってしまい、「そもそも“簿記”って何だ」という所が理解できませんね。
その昔、古代ローマでは一般の市民が公然と商売をすることを法律で禁じていたのです。そこでローマ市民達は、優秀な奴隷を使って商売をさせていたのです。商売を行うための資金を出す(貸す)のはローマ市民達であり、その資金を使って(借りて)商売を行うのは奴隷です。奴隷は商売を行うに当たり主人との間で、正確な会計帳簿を付けることを義務付けられていたのです。お金を貸す側と借りる側がいた場合、証文(記録簿)を保管する必要があるのは、いつの時代でも債権者の側です。ですから、ローマ市民の側に自分たちの資産保全のための会計帳簿が必要だったのです。
会計帳簿を作成し保管するのはローマ市民です。ということは、記載の方法は当然ローマ市民側から見たものとなります。それを表したものが次の図表です。
奴隷が負う債務は、ローマ市民から見れば貸金であり、これが「貸方」となります。反対に、奴隷の債権は、ローマ市民から見れば借金となり、これが「借方」です。
時が経ち、産業革命の頃になっても、借方と貸方の視点は変わりませんでした。イメージとしては、次の図のような視点です。
奴隷は「産業資本(企業)」へと変わり、ローマ市民は「金融資本(株主)」へと変化しただけなのです。
「借方・貸方」を用いた簿記の記載方法は、ローマ時代の奴隷や産業革命時代の企業が発展させたというよりは、債券者であるローマ市民達や金融資本としての株主、特に銀行が発展させたものなのです。彼らの視点からの借方・貸方の名称が定着していったのです。
借方・貸方の「方(かた)」とは、父方・母方・勘定方・殿方・奥方と同じ用法で、「ヒト」という意味があります。簿記が「ヒト」を対象として始まった名残とも言えます。