「なぜ、借入金を返済しても、その返済額は事業の経費とはならないのでしょうか❓」答えることができますか。

あまりにも当たり前すぎて、考えて見る気も起きない、なんて言わずに少しお付き合いください。

 

 まず、通常借入金の返済は現預金の減少を生じさせます。この意味では「経費の支払い」と同じくキャッシュアウトを伴う行為と言えるので、あながち「どうして経費として認められないのだろうか」という疑問が生じるのだと言われています。

 

 『それでは、銀行から借入金を受け入れたときに、収益としましたか?』と聞かれたらどうでしょうか❓

 「収益なんて冗談じゃない、借入金は借入金であって、これから返していかなければならないものなのに、どうして収益と言えるんだ!」とわめき立てることでしょう。

 

 入金の際に収益として認識しないで、支出時にだけ経費だということはあまりにも虫の良い話です。

 

 また、借入金の返済額を経費として扱わないという説明に「二重経費」というものもあります。

 多くの場合、借入をするということは、何かを購入するとか一時的な大きな支出を賄うために行われるのが普通だと思います。

 

例えば、テレビコマーシャルの費用負担を賄う目的で借入をしたとしましょう。借りたお金をテレビ局に支払った時点で広告宣伝費という経費が発生しますね。

さらに、この借入金を返済していく過程でそれぞれ返済額を経費としていくと、当初の支払時と、返済時とで経費が二重に計上されてしまうことになる。というのがこの説明の主旨となります。

 

これらの説明は、会計リテラシーを持ち合わせていない人に対する説明としてよく聞く話だと言えるでしょう。しかし、素人にもわかりやすい、よく考えられた説明だと思います。

 

さらに、これよりひどい話がありまして、私がまだ会計事務所に入ったばかりの頃、よく耳にした話で、『借金を返すと“利益”になる』というのがあります。

 

恐らく、税務調査などで調査官に言われたことが頭から離れなかったのでしょう。『これだけの借金を返せたということは、それだけの儲けがあったんじゃなかったのですか?』とかが、借金の返済=利益という刷り込みにつながったのだと思いますがね。

 

利益があったから、その利益で借入金の返済が可能となったわけで、借入金を返済すると利益が発生してしまうという論理は因果が逆転していますよね。

 

 日本には企業会計原則という企業会計の基準に関する“原則”をまとめたものがあります。その“原則”は7つあり、その三番目の“原則”として『資本取引損益取引区分の原則』というものがあります。

 

 これは、資本取引(資金の直接的な増減に関する取引)と損益取引(調達資金の運用により事業の結果である利益を変動させる取引)を混同してはならないという原則です。

(※特に資本剰余金と利益剰余金とを混同してはならないという原則でもあります。)

 簡単に言えば、BS(貸借対照表)に直接影響する取引と、PL(損益計算書)に直接影響する取引とを混同するな!という原則です。(あまりにも当たり前か❓

 

 えてして、日頃当然のことだと思っていることなどで、改めて「なぜ?」って問いただされると、うまく説明できなかったりする経験はありませんか。また、「そもそも」のところがまったく押さえられていなかったりすることも、仕事をしていても感じることがあったりもします。

 

 会計人だけではないでしょうが、至極当たり前と感じられる事柄について、たまには「なぜなんだろう?」と改めて問い直してみることも、たまには必要なのかもしれません。

 

 何か新たな発見がそこにあるかもしれません。なにかが。

 

 「財政状態」と「財産状態」との違いは何なのでしょうか。今回は、少しややこしい内容から始めたいと思います。
 

「財政状態」を辞書で引くと、

・国や自治体などの財産の状況。広義では、企業や家庭、個人などの財産の状況。

と書かれています。

 

「財産状態」と同義語なのでしょうか。

 

 実は、「財政状態」とは会計学風に申せば、

・企業などの組織がどのように資金を調達し、どのように運用しているかを表す。

 

と、されています。

 

 ここで、前回の歴史スペクタクルの復習となりますが、
 

・大航海時代は、一つの航海が終了した時点でその時の財産の状況を全て現金で換価できる状態にして財務諸表にまとめました。

 この時作られたのが、「清算貸借対照表」と呼びます。これこそが「財産状態」を表す財務諸表なのです。時価主義会計の究極なものとなります。

 

・英国で誕生した産業革命では、企業は継続して事業活動を続ける存在として財務諸表が作成されたのでしたね。

 まず、企業が資金を調達し、その調達した資金を運用して収益を上げる活動をその途中である一瞬の資産・負債の状況を記したものが「決算貸借対照表」と呼ばれるものです。これが「財政状態」を表す帳票なのです。

 ですから、「財政状態」を表す「決算貸借対照表」には、売掛金・買掛金といった未決済残高や、建物・機械装置のように使用途中の固定資産、さらには利益の増減とは無関係の貸付金・借入金などが並ぶのです。

 このようなものを一括りにして「財政」と呼ぶのです。

 

 会計の世界で言う所の「財政状態」と「財産状態」とは明らかに異なる概念だということです。

 

 現在、財務諸表作成基準として日本基準と国際会計基準(IFRS:アイファースと呼びます)が存在しています。それぞれの基準で作られる財務諸表の名称を記したものが以下の表です。

 

日本基準

国際会計基準

貸借対照表

財政状態計算書

損益計算書

包括利益計算書

株主持分変動計算書

株主持分変動計算書

キャッシュフロー計算書

キャッシュフロー計算書

 

 国際会計基準では私たちが日頃使い慣れている貸借対照表(バランスシート)を財政状況計算書(A statement of financial positionF/P)として表します。

 こちらの名称の方が実態を表しているような気がしますが、いかがでしょうか。

 

 貸借対照表とは本来「財産」ではなく、「財政」を表現するための帳票だということです。

 

 

 前回は簿記でいうところの「借方」と「借方」を古代ローマ時代にまで遡ってその内容を書きましたが、その続きみたいなもので、会計の歴史を少しだけ書いてみようと思います。

 

 古代ローマ時代に、貴族と下級民という「ヒト」との債権債務関係の記録簿として発達した財務諸表ですが、時代を経て中世ヨーロッパ社会、特に十字軍の遠征が行われるようになると財務諸表は「モノ」の記録簿へと変化していきました。この頃に土地などを「信託」するという契約の原型が出来上がったとされています。

 

 さらに時代は下り、コロンブスなどが活躍した大航海時代となります。冒険商人と言われる人々が、スペインやポルトガルの王族などに出資を仰ぎ、インドなどから香辛料などを持ち帰り莫大な利益を上げていました。そして、それらの取引を克明な記録として残す仕組みとして開発されたのが「簿記」です。その後、「簿記」を複式仕訳・元帳などと発展させていったのがイタリアのヴェネチア商人たちだったのです。“勘定”という概念が生まれたのもこの頃だと言われます。さらに、記録簿の主体は「カネ」へと変化していきました。

 

 

 
  テキスト ボックス: ・古代ローマ時代の記録簿 	⇒ 「ヒト」が主体
・十字軍の遠征時代の記録簿	⇒ 「モノ」が主体
・大航海時代とその後の記録簿	⇒ 「カネ」が主体

 

 

 

 

 

 

 

 ヴェネチア商人によって発達した複式簿記を使った財務諸表ですが、『当座企業』という企業感のもとで作成されていました。簡単に言えば、会計期間の認識が今と違っていたことと、企業の継続という概念がなかったことです。欧州の港を出港してインドなどから香辛料を運び帰るまでの期間を会計期間として計算し、一度船が欧州の港に帰港したことをともってその会計(投資)は清算されてしまうのです。その時の会計の目的は、清算するための『財産目録』を作成することに重きを置かれていました。これを「静態論会計」と呼びます。

 

 さて、この「静態論会計」を見事に葬り去ったのがオランダで生まれ、イギリスで発展した東インド会社です。ちなみに東インド会社とは、アフリカの喜望峰からインド・インドネシアから日本までを商圏としていました(アメリカ大陸を商圏としていたのが「西インド会社」です)。

 

 この東インド会社は、一度の航海では清算しない仕組みを維持するための組織を持っていました。会計帳簿も利害関係者に「途中経過」を報告する仕組みづくりが求められたのです。『期間計算』という概念の登場です。

 

 さらに時代は経て、イギリス産業革命の時代となります。ビジネスは組織として継続されるだけではなく、起業や倒産などの新陳代謝を繰り返しながら発展存続するものと想定されていきました。株式会社制度が整備され、利害関係者は株主と債権者に分かれ、「所有と経営の分離」が意識され始め、一定期間ごとに財産目録を作成して利害関係者の「承認」を受け、その期間に応じた利益を利害関係者に分配する、という仕組みが出来上がっていったのです。この一定期間という概念に、地球が太陽の周りを一回転する期間が採用されたのもこの頃です。

 

 1年ごとに損益計算をする「動態論会計」の始まりです。利害関係者の関心は、「財産目録」の把握から、「継続企業の収益力」へと変化していきました。貸借対照表よりも損益計算書を重視するといった時代の始まりです。企業会計も「適正な期間損益計算」が求められたのです(発生主義の確立)。

 

 時代は19世紀から20世紀へと進みます。この時代は帝国主義と結びつきを強めた金融資本(財閥)が勃興します。彼らの関心ごとは「あの会社は幾らだ?幾らで買えるんだ(又は売れるんだ)?」でした。貸借対照表を重視する時代への揺り戻しだったのです(財産法時代)。

 

 続いて訪れるのが世界恐慌です。会計の世界でも大きな変化が現れました。再び損益計算書重視の時代へとなって行ったのです。詳しくは書きませんが、原因は新たな棚卸法(後入先出法:2010年度の廃止まで続く)の出現なのです。

 

 また現在21世紀は、「期間損益計算の適正化」も重要だとされつつも、貸借対照表重視の時代だと言われます。

 

 私たち会計人が日頃何気なく接している財務諸表であっても、日の背景には悠久の歴史が横たわっていることを忘れてはいけません。

 

.....などと、今回は壮大なスペクタルでお送りいたしました。