今回も平成元年2月の千葉市内です。
前々回と被る部分は省略しているので、そちらも併せてご覧ください。
まずは千葉公園内で見つけた戦争遺構についての地図。
前回、前々回と辿った線路跡は右下の千葉駅から左上へ180度ぐるっと回って、材料廠(ざいりょうしょう)へ向かう線路を国鉄が引き継いだもの。
この地図には現在のモノレールの線路が書かれているが、位置を間違えている。
北へ向かうモノレールは錦打池の先で軍用線を跨ぎ、その上に書かれている道路の上を走る。
こちらは千葉公園内、錦打池越しに見た建設中の千葉公園駅。
駅の真下を前々回紹介した線路跡と、平行する道路があるのだが、駅を建設する為の足場を組むために通行止めとなっている。
通行止め区間の迂回の案内看板が次の写真。
前々回出した写真を拡大したもの。
千葉駅からを目指して、千葉公園前交差点の少し手前。
歩行者は公園内の遠路を利用するように書いてある。
車は直進出来ない標識が建っている。
建設中の千葉公園駅北側へ接近‥ しすぎ。 遠景は前々回で出しました。
現在は駅の下を直進できるが、この時は強制的に左折させられて、すぐ隣の国道16号線(現在は126号線)へ合流する。
その交差点から国道16号線北方向の様子。
道路中央に橋脚を立てるスペースを確保するために車線規制が始まっている。
次は少し先へ進んで‥
作草部駅(予定地の先)、轟町4丁目バス停付近から北方向を見る。
モノレールの線路は上り線が設置済み。
下り線は設置準備中。
すぐそこの作草部1丁目交差点を左に曲がれば、前回紹介した千葉レールセンター跡地がある。
現在の様子は少し引いた位置で撮影。
この辺りは当時の建物が比較的多く残っている。
作草部1丁目交差点角の自転車屋さんは、長距離自転車通学をしていた当時に、よく補修部品を買いに行った。
そしてこのバス停にもとても深い思い出がある。
少し先は進んで振り返って撮影。
レールを吊り上げる作業の途中である。
実際の作業は夜間なのだろうが、おそらく作業中は通行止めとなるのだろう。
国道16号線が。(現在は126号線)
今回はここまで。
実は、ある人から「平成なんだからわざわざ白黒にしなくても‥」と言われたので、ちょっと説明。
昭和から平成に変わる頃、学生をしていた私は写真部に属していました。
当時は学生が、撮影から現像、プリントまでを自分で行い作品を作るとなると、予算的にも技術的にも白黒が限界でした。
したがって、使うフィルムも白黒フィルムとなり、残っているネガが白黒なのです。
因みにこんな暗室で作業していました。
天井やドアから光が漏れ、人が動けば埃や振動で作品に影響を及ぼし、薬品の温度管理に四苦八苦する。
それでも、学校の写真部としては恵まれていた方だと思います。
少しだけ、カラー写真もやらせてもらいました。
懐かしいついでのもう1枚。
部室前にて撮影した私の愛車。
ブリジストン ロードマン (右側)
これで銀座にある、カメラメーカーの修理窓口まで行ったこともあります。(送料が浮く)
思い出に浸りながら街を歩き、見つけたものは‥
ひとけ‥
あぁ! まだコロナ禍の最中でした。
帰ります。