今回は昭和62年7月の千葉市内の様子を紹介します。
この年、4月1日に国鉄がJRになったのに、道路の案内標識が国鉄のままになっていました。
その国鉄の文字を記録したくて撮った写真です。
最初は千葉パルコ前から中央公園交差点を見た写真。
左に千葉パルコがあり、右の木が生い茂っている場所は千葉市中央公園。
真ん中で二股になっているJR千葉駅の間から、真っすぐ伸びる通りが突き当たる場所にある公園です。
進入禁止になっている直進の道は、当時『親不孝通り』と呼ばれていた繁華街の中心。
現在の写真は交差点の斜向かいから撮影。
千葉パルコは解体されて、タワーマンションが建つそうな。
千葉中央公園も綺麗になりました。
案内標識が取り付けられている門型の支柱は当時のまま。
ポートタワーの案内看板も当時の物かな?
次の写真は同じ中央公園交差点を別の方向から見た写真。
この交差点を千葉駅方向へ直進すると、すぐ先で左へ折れ、奥に見える朝日生命の左面手前を通り、千葉駅に突き当たります。
道路の案内看板は”国鉄千葉駅”だが、バスの行き先表示はJRとなっている。
しかし、このバスは千葉駅方向から走ってきているので、おそらく回送車だと思われる。
現在はモノレールが上空を走るが、栄町方向へ大きく迂回して千葉駅へと至る。
昔の写真より、交差点に近い位置から広角で撮っているので、比較しにくくなってしまった。
中央奥に写る茶色のビルが昔と同じ朝日生命ビル。
写真を撮っている位置の道路反対側、左後ろにモノレール葭川(よしかわ)公園駅がある。
その葭川公園駅の先で今度はJR千葉駅を背にして撮影。
案内標識の右折方向が京成千葉駅となっている。
京成電鉄は国鉄がJRになったのに合わせ、”国鉄千葉駅前駅”を”京成千葉駅”に、それまでの”京成千葉駅”を”千葉中央駅”に改称している。
この案内標識に従って京成千葉駅へ行こうとすると、かなり迷うことになる。
現在は道路がかなり広くなっている。
新星堂が入っていたビルはそのままなので、こちら側に広げたようだ。
昔の写真では歩道に幟が建っているので、何か商店があったのだろう。
道路反対側のセントラルプラザ(ショッピングセンター)に高校時代によく行ったのだが、こちら側に何があったのか記憶に無い。
次の写真は場所が特定できなかった。
前の写真の場所からそんなに離れていないはずなのだが‥
少し丸みをあるデザインのバスが懐かしい。
このタイプのバスはクーラーが付いていないものが多く、天井のベンチレーターを開け閉めして温度調節をしていた。
行き先表示も手回しだったような。
この千葉駅周辺の慢性渋滞がモノレール建設の理由とされた。
少し離れた場所へ移動。
千葉駅から総武本線沿いの道を東へ行き、東千葉駅の先で国道16号線(現在は126号線)と交わる椿森陸橋交差点の先で千葉駅方向へ振り返る。
坂道を登った所が交差点で、柏方面曲がると直ぐにJR総武本線を跨ぐ椿森陸橋がある。
千葉駅の駅弁屋さん”万葉軒”のビルが建て替えられている他はあまり変化がない。
しかし、写真に写っていない右奥の雰囲気が大きく変わている。
この道と総武本線の間に豪華客船を模したホテ〇が建っていたのだが、今は斎場となっている。
更に東へ進み、若葉区高品町で千葉市市街方向を振り返る。
総武本線と並行して走ってきたが、線路はだんだんと北(写真右方向)の方へ離れて行く。
南側から県道64号線(案内標識で左へ分岐する道)が合流してきて、この写真の後ろで北側へ分岐して行く。
ここも道路自体に変化が無いので、あまり変化が無いように感じるが、当時の建物はほとんど残っていない。
引き込み線跡の回でも背景に写っていた電波塔がここでも写っている。
千葉駅前通りにあるNTTのビル(チーバ君物産館が入っている)の屋上に建っている塔です。
次は現在の写真から。
千葉駅前から東へ(正確には東北東)へ進んで来た道は国道16号線高品高架橋上で交わり、若葉大橋を通って都賀の市街地へと続く。
高品高架橋から若葉大橋を見る。
そして昔の写真。
まだ若葉大橋は無い。
市街地を走って来て、突然この景色に突き当たるこの場所を、当時の私はかなり気に入っていた。
この様な台地の間にある低地を谷津といい、そこにある田んぼは谷津田という。
千葉、特に下総地域では何処にでもある地形なのだが、この角度で眺める事が出来る場所は珍しかった。
現在の写真は水路の位置を頼りに撮ったのだが、暗渠になった水路の位置が変わっていたので少しずれてしまった。
遠くに見える送電鉄塔は今もそのまま写っているが、写真中央付近の物は道路の照明と重なってしまった。
今回はここまで。