庭にあるブルーベリーの樹に

ブルーベリー色の(笑)ブルーベリーが

ポロロン、ポロロンと生っている。

 

少し前までは少々グロテスクな様子だったのに。↓

 

image

 

 

私の背丈より少し大きいこの樹は

キッチンから縁側の先にすぐ見える。

 

朝、キッチンの雨戸を開けると

小鳥というには大きな鳥が

この樹につかまり、ぶら下がったまま

こちらをみている時がある。

 

「あ・・・。えっと、食べてません。

え、いや、食べてもいいですか?」

 

そんな感じでこちらをみてくる。笑

 

「どうぞ、どうぞお召し上がりください」

と、見なかったふりをして

縁側を渡ってリビングの雨戸を開けに行く。

 

けれど

やっぱり野生の鳥。

どこかに行ってしまうんだなぁ。

 

 

 

 

収穫をさせていただきジャムにしてみた。

 

 

 

 

ブルーベリー色のブルーべリーも

グロテスクなブルーベリーも

まだあるから

食べにおいでね。

 

 

最近よく登場する父。

82歳、認知症気味の父。

 

この父と暮らすようになって1年が経った。

この一年の間、様々な自分の感情が

むくむくしたり、爆発したり、静かな雲海になったり

 

まるで感情は水蒸気みたいだな。

 

できることなら

常に静かな静かな雲海のような感情でいたい。

が、結構、いやかなり難しい。

 

数日前、

父も私も、元は一緒ということを

(うまく表現ができない)

イメージしてみたら

笑いがこみあげてきて

声を出して笑ってしまった。

そして涙も落ちた。

 

 

ちょっと話は変わる。

 

町内のゴミステーションの掃除当番が

ローテーションで回ってくる。

我が家が当番の時

父はとても気になるらしく、収集車が来る前から

何度も見に行き、都度私に向かって感想を述べる。

 

担当者のノートに一行ずつ、

「きれいでした」とか

「分別されていないゴミが残ってました」

とか記録することになっていて、

父はミミズみたいな字で一生懸命書いてくれる。

 

そのノートがどこを探しても見つからない時があった。

一週間担当で、残りあと一日という時に。

 

父と一緒に家中、庭中探して

「お父さん、書いたあとに

どこに置いたか覚えてないかな」

と聞いても「覚えていない」と答える。

 

で、ふと、まさかな思いがよぎり

「隣の家にもう届けてきたりしてないよね?」

と確認したら

なんと

「届けてきたよ、〇〇さんに」

と真顔で言う。

 

・・・・・・・・・。

 

妙な間が二人の間に。笑

 

っておい!一緒にノートを必死に探していた

この時間は何だったんだ?

お父さんも本気で必死に探してたよね?

 

おかしくておかしくて

本当におかしくて笑った。

 

 

で、今朝

父の家庭菜園で採れたナスが6個ほど

縁側に置いてあったのを見た。

 

私は美容院に行くので

帰宅時間とごはんは用意することを伝えて

手紙にも書いてでかけ、

 

「夕飯のおかずにあのナスを味ぽんとみりんで炒めて

唐辛子を少し加えよう♪」

と帰ってきたら

ナスがどこにもなく、父に聞いた。

 

「そういえば今朝、採ってたよな・・・。どこにしまったのかな」

と、ノートの時のように一緒に探し始めた。

 

父がナスを見つけるために開ける扉は

ことごとく食べ物をしまうような場所ではない。

 

結果、どこにもないので

いつものように

ご近所さんのどなたかにきっとあげたのだと思う。

 

もういいよ。無かったことにしよう!

もしくは食べたことにしよう!

と言って父にもあきらめてもらうことにした。

それでもしつこく探す父に

「もうナスの話は無しにしよう!!」

と伝えたら

 

父が言った。

 

「無しにしよう・・・ナスにしよう。」

 

 

 

ええええええええええええええええっ。

洒落?ギャグ?なんていうのこういうの?ジョーク?

 

ぼそっと言うから面白い。笑

 

 

 

 

(以前に採れたナス)

 

 

水蒸気が笑うと

どんな形容になるかな。

 

キラキラしたミストかな。

 

 

 

お盆ですね。(ここは北関東)

 

小さい頃

お盆期間中に長野の母の実家に行くと

お盆の立派な設えがあって

「おばあちゃんちってすごいー」

と見慣れない様相に

ちょっとした怖さとともに好奇心で胸は高鳴っていた。

 

中でもゆっくりと回転する、

提灯の灯りはとてもきれいで

 

仏壇や

白黒の包装紙に包まれた、

恐怖を感じる物ものたちとは

全く違った世界があった。

 

しかも部屋の1/3を占めるほどの沢山の提灯。

 

姉とお気に入りの提灯をそれぞれみつけて

「これ、わたしのぉ!」(姉)

「これ、わたしのっ!」(妹・わたし)

と言って眺めていたらしい。

(ここの記憶は全くなく、数日前に姉からきいた。)


なんで人って

灯りに惹かれるのかな・・・。

 

 

というわけで

母の新盆で

人生初、提灯を購入してみた・・・!

 

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きれいだなー(^-^)

 

母が好きそうなお花柄、色味。

 

お盆じゃなくてもきっと母は

父をみに、娘をみに、孫をみに、

まあ、色々と飛び回っていると思うけれど

 

そして提灯がなくても

迷いもせず、ここに来ることはできると思うけれど

 

いちおう。笑

 

仏具屋さんが

お盆の設え方を丁寧に教えてくれたことも

嬉しかったし、助かった。

ありがとうございます。

 

ネットの情報よりも

地域の仏具屋さんに聞くのがいいぞ。

(遅いけど情報共有)

 

 

お母さん。

きれいでしょ。

しかも回転式だよ。

お父さんの年金で買ったんだよ。えへ。

 

と、母と

日本酒を酌み交わしながら

回転するうす紫色の提灯を眺めている。

 

きれいだなー。

 

 

 

暑い日が続いている。

 

汗をかきながら

部屋でぼーっとしていたら気がついた。

 

つい最近まで

色々な鳥の鳴き声が

お喋りだったり、

つんざくような叫び(笑)だったりで

あんなにも聴こえていたのに

ここ最近はシーンとした昼間の時間がある。

 

静か過ぎて戸惑ってしまうほど。

 

界隈の鳥たちも

この暑さをしのごうと

あちらこちらの樹の葉の陰や穴の中で

じっとしているのかな・・・。

と思いいたった。

 

というのも

1か月ほど前に

父が掌の中に

何かの鳥のヒナを包んできた。

 

「落ちていた・・・」

という。

 

 

そっとのぞき込むと

掌の中のそのヒナは

まだ「恐怖」という感情を知らないかのように

怯えもせず、父に身体を預けているように見えた。

 

黄緑色っぽいふわっふわの羽が

可愛らしさと

か弱さをあらわしている。

 

頭の大きさの割に幅の広い口ばしは

餌を食べるために必要な要素なんだろう。

 

気付くと親鳥らしき鳥が近くにいる。

 

父は誘拐犯になっているのだ。


 

その親鳥らしき鳥がだんだんと距離を縮めてくる。

 

親鳥の気配を感じとったヒナが鳴いた。

想像よりも低い声。

そして小さい声。

 

「もっと大きく鳴いて。お母さん!って鳴いて」

と声に出して言ってみたけれど

 

私の心配をよそに

その小さい声にしっかりと反応して親鳥も鳴いた。

 

この、鳥たちのやり取りを聞いて

私たちが介入する余地は無い、

とわかった。

 

我が家と隣の家の間の道路に

落ちていたというので

ヒナをその近辺の土の上に置いて

陰から様子をうかがっていたら

 

最初は羽を広げてバタバタしても飛べなかったのに

時間はかかったが

最終的には、飛んで樹の上にのぼった。

 

無力に思えたあの小さなヒナは

私が考えるよりもはるかに生きるための力を持っていた。

 

落ちた、

のではなく

巣立ったばかり、

だったのかもしれない。

 

自分の考えの何もかもが

自然の力、動物達の生きる力に対して

無知で失礼極まりなかった・・・気がする。

 

ごめんなさい。

 

 

親鳥をみてシジュウカラとわかったけれど、

ヒナは全然シジュウカラっぽくないんだね。笑

 

成長したあの子に

いつかまた会えたらいい。

 

暑くて静まりかえる窓の外を眺めながら

ふと、あのヒナを思い出す。

この暑さを頑張ってこえておくれよ。

 

あ、これも余計なお世話かもしれない。

 

 

 

 

 


庭の紫陽花が

めいいっぱいに咲いている。



去年の夏、母の容体があまり良くなく
実家に戻ってから
あと少しで1年になる。

紫陽花は昔から玄関の左側、

敷地の西の端っこにあった。


でもこの紫陽花は
全く思ってもいなかった
南東に咲き出した。

いつから、そこにいてくれたの…
ごめんね、全く知らなかったよ。

父も
「あれは、紫陽花だよな…?」
と言っている。


どうして、こんなところに
紫陽花があるのか、
理由はわからないけど

お花らしく、ただ咲いて
というか
力の限りに花を結んでいる様子。

ありがとう。きれいだね。


この家の庭は

父の家庭菜園の他、

芝桜や薔薇や名前がわからない草花が

あっちこっちにあって
それは母の管轄だった。

全く統制されていない、

フリーダムなお庭。笑


母亡き今、

わたしが引き継ぐぞ、みたいに

変に力まなくても

庭の草花達は、逞しく生きている。

雑草さんも然り。


いや、本当にすごいと思うのだ。





ブルーベリー

熟すと鳥が啄みにやってくる。




この薔薇を花束にして

わたしが住んでいたアパートに

届けてくれた母を思い出す。




いま、早朝仕事に行く前に

庭の草花達の様子を伺うのが

とても楽しい時間になっている。



また紹介していきます。

(いつもと違う終わり方)




『ホーーホケホケキョッ』

 

2階の和室でガラス窓を開け

網戸で過ごしていると

「ホケ」がひとつ多いウグイスの声が

よく聞こえてきて

どうしても笑ってしまう。笑

 

個体の個性なのか

よくある鳴き方なのか。

 

ウグイスといえば

「ホーホケキョ」

だと勝手に思っているからだろうけど

なんだか、おかしくてかわいくて。

 

ここ実家では昔から

ウグイスの囀りというか鳴き声が

早春から今頃の時期でも耳にでき

(警戒心が強いらしく姿は殆どみたことがない)

 

良く響きわたる、心地の良いきれいな高音の

最初の「ホーー」が聞こえてくれば

耳を澄まさずにはいられない。

たとえ「ホケ」がひとつ多くても。

 

一番近いコンビニが

歩いて15分、自転車だと6分くらいの場所にある。

道中は栗林と雑木林の間の小路で

様々な鳥や虫や木や花に遭遇する。

口笛を吹きたくなる空気が好きで

散歩がてらにたまに行く。

 

口笛を吹きながら。

 

その雑木林からも

ウグイスの「ホーホケキョ」が聞こえてきて

思い出した。

 

ウグイスが鳴いたあとに真似をすると

返してくれるという話。

 

「ホーホケキョ」 (ウグイス)

「ホーホケキョ」 (わたしの口笛)

「ホーホケキョ」 (ウグイス)

「ホーホケキョ」 (わたしの口笛)

「ホーホケキョ」 (ウグイス)

「ホーホケキョ」 (ウグイス)

「ホーホケキョ」 (ウグイス)

 

よく分からないことになってやめた。笑

 

それにしても何にしても

あの最初の「ホーー」の

伸びる音色がとても好きだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「芽が出てくるのが見えるんだ。」

 

庭の周りの低い大谷石の塀に

子供のように腰を掛けて

庭を眺めている父が言った言葉。

 

庭の畑に野菜の種をまき、苗を植え

日中は殆ど庭で過ごす父。

 

塀に腰をかけているので

身体の半分はお隣さんちに入り込んでいるのが

ちょっとおかしくて

 

「そこで何をしているの?」

と声をかけたら

この返事。

 

蒔いた種から芽が出てくるのが見えるんだという。

 

「嘘だぁっ」

と言ってしまったが

よく考えたら父にはみえるかもしれない。

だって、定点カメラのように佇んでいるから。笑

 

 

玄関にある花瓶のユリが

蕾から見事な花へと姿をかえた。

 

朝、起きて通り過ぎて2度見した。

いつの間に・・・。

というか寝てる間に?

 

父はこれには気付かない。笑

 

そういう季節だ。

 

きっと今もどこかで

「さあ、春ですよ」

と色んな芽が花が

聞こえない音をたててるんだろうな。

 

聞きたいな・・・。

躍動の音。

 

 

 

 

2024年今年もよろしくお願いいたします。

(遅い・・・)

 

昨年の夏、母が亡くなり

今は82歳の父と二人で暮らしている。

 

母が亡くなる前に実家に戻った。

 

父は道に迷うようになり、

運転をやめた。

自転車を新調して気が向いたらそれに乗って

ふんふんと出掛ける。

 

今日は私が仕事で外に出ていたので

一人で畑をぼーっーと眺めたりしたあと

その自転車で

近所のスーパーに電池を買いに行ったらしい。

 

ただ電池は家に沢山ある。笑

 

仕事で帰りが遅くなる時は

夕飯の用意をしていくのだけど

今日は夕飯に間に合いそうだったから

ご飯の支度は帰ってからするねと

その旨伝えて、手紙にも書いて行った。

(忘れてしまうので)

 

父の好物のレタスとキュウリがなくなりそうだったので

それだけをスーパーに寄って購入し

急いで帰宅したら、

オモシロかった。

 

 

 

 

同じものを買ってきている父。

 

これは気が合うのか?合わないのか?

 

久しぶりに二人でゲラゲラ笑った気がする・・・。

(父は、はにかみ笑いだが)

 

ありがとう、レタス&キュウリさん。

 

 

2023年も残りわずか。

なんだか色々あるけれど

今に限らず、いつの世もそりゃ色々あるに決まってる。

これだけの生があるのだから。

 

ただ、ほんの少しの自分の意識で行動で

何かが優しい世界にすすむならば

そちらを選択しつづけていこうと思う。

たとえ1ミリでも。

 

 

 

書いておきたいことがある。

 

2023年の夏、親愛なる母が天国にいった。

今、母の魂は母の魂としてどこかにあるのだろうか。

あわよくば、そばにいてくれたりもするのだろうか。

 

 

ねぇ、お母さん・・・

 

話しかけて

じっと耳を澄ましても

心を静かにしてみても

何も聞こえないし感じない。

 

もっと早く病院に連れていけば。

もっと早く一緒に住んでいれば。

「お母さん、大丈夫だよ」と言ったのに、ごめんなさい。

 

こんなことばかりを考えては涙を流していた。

自分が楽になりたかったせいもある。

どうしても母が天国で笑っている

そんな確信をもちたかった。

安心したかった。

 

 

 

先に色々あると書いたけれど

「わたし」という小さな世界にも

色々とあって

 

こりゃ、母が導てくれたな

というタイミングで出会った

ブログ、本がある。

(ありがとうございます)

 

本に出てきた百箇日という言葉ではっとして

慌てて数えたらあと数日。

 

「娘よ、忘れるな、百箇日!」

母がこう言っているとしか思えなかった。

 

百箇日とは簡単に言うと

いつまでもめそめそするな・・的な日。

(違うかしら・・。笑)

 

母が亡くなって100日目

おかげさまできちんと向きあうことができた。

 

 

涙の量は

多くても少なくても別にどちらでも構わないのだけど

明らかにその日を境に涙の量が減ったんだ。

 

 

 

大丈夫な気がした。

 

母はきっと笑っている気がした。

 

 

 

百箇日の日にお供えしたお花。

ピンク色カーネーション

花言葉は「感謝」。

 

 

 

 

自宅での17日の看護期間

訪問してくれたお医者さんに「治りますか?」ときいて

最後まで生きようとしていたお母さん。

 

毎日きてくれる看護師さんに歌を歌ってみせたり

何度も「ありがとねー」と言ってほほ笑んだお母さん。

 

保冷剤を体にあてると、「うほー気持ちいいー」と喜んでくれたお母さん。

 

腸から直接出る排泄物の袋を交換する時にいつも「くせっ」と言ったお母さん。笑

 

意識が朦朧として会話ができなくなっても

ずっと手を握らせてくれたお母さん。

 

笑っているような、歌っているような口のまま、

呼吸をやめたお母さん。

 

最後まで、そりゃもう、あたたかいお母さんだったよ。

 

 

 

そっか。

 

わたしが生まれてからずっとずっと

あなたが注いでくれていたものが愛なんだろうな。

存在そのものも愛なんだろうな・・・・。

言葉にできないな、この愛の質感。

 

ありがとう。

 

とっても会いたいけれど

わたしはもう少しこの生をしっかり生きるからね。

見ていておくれ(^-^)

 

 

 

 

 

 

 

 

 


今日は原宿でお仕事。



10日間隔での

このお客様宅での仕事後、

原宿駅へ向かう途中


いつも明治神宮の木々達の頭部分が
見えていて

あの木々がある場所は

空気が違うということが

明らかにわかっていた。



という訳で

生まれて初めて(大袈裟。)

明治神宮に行ってきた。







確かに空気が違う!笑


なんでしょね、

この涼しい空気は。


木陰だからという理由だけでは

ないのだろな。








明治神宮御苑↓

緑が沢山。


鳥も虫も

好きずきにうたっていて

笑いが生じる。






蝶々が

スローモーションみたいに

飛んでいた。



人気だという、

清正井で

手をお水の中に

そっと入れさせていただいた。



「この手で

やさしい仕事が

できますように。」



いらっしゃるであろうお水の神様に

語りかけながら。




清正井のお水は


後ろにいる方に

綺麗ですねーと

話しかけたくなる程、

透き通っていて

冷たくて、気持ち良くて

そしてやっぱり優しい。


ありがとうございます。


そんな感じ。



きっと本来地球は

どこもかしこも

そんな感じなんだろうな。