私が子供の頃、つまり50年以上前。
何処の家庭もお父さんは働きに出かけ、お母さんは家にいて家事をしている。
家に帰れば必ず母親がいるのが当たり前の社会。
ただ、我が家では楽器の卸業をその頃やっており、他と違い母が営業、父が事務も見ていたので家と事務所が一緒だった事もあり、小学校から帰ると父の顔が見え母は出かけている事も多かった。
それでも、夕食は6時過ぎで家族全員で食卓を囲んでいた。
甘えん坊だった弟は母や父に抱きつき、そういう意味では子供も両親も常に一体化した家族状況だった。
他の友人達の家も同じような生活だった。
小学校6年生のとき宿題を忘れた子供は立たされ先生から理由を聞かれた、いつも真面目なK君が立っていた。先生が尋ねると「お父さんが昨日帰ってきたのです」と答えた。「座ってよし」と先生が言った。
K君のお父さんは外国航路の船員さんだった。一旦出かけると半年ほどは帰ってこない。
その事は先生も知っていて。彼がその日、大好きなお父さんに会えて宿題を忘れるほど嬉かったことが分かっていたのでしょう。
子供が最も長い時間共にするのが母親、次に父親。
しかし今の時代、早くから年少さんの幼稚園、しかも結構保育時間は長い、さらに早期教育のお稽古、塾、と子供達と親との絆を持つ時間はどんどん減っている気がする。
しかも大半の父親の帰宅は遅い。
もしかして家庭で出来る教育を他人に委ねているのではないだろうか?
決して親が子供を愛していないのではないが、子育ては親は親として自らを犠牲にしなければいけない部分がある。
親でなければ子に伝えられない数々の事。
思えば私も父から聞いたこと母から教えられた事のほうが学校で学んだ事よりも大切なことが多かったような気がする。
しかし、果たして我が家の秘伝、家伝(そんなものがあったのだろうか?)を娘達に伝えたかどうかは定かではない。
何処の家庭もお父さんは働きに出かけ、お母さんは家にいて家事をしている。
家に帰れば必ず母親がいるのが当たり前の社会。
ただ、我が家では楽器の卸業をその頃やっており、他と違い母が営業、父が事務も見ていたので家と事務所が一緒だった事もあり、小学校から帰ると父の顔が見え母は出かけている事も多かった。
それでも、夕食は6時過ぎで家族全員で食卓を囲んでいた。
甘えん坊だった弟は母や父に抱きつき、そういう意味では子供も両親も常に一体化した家族状況だった。
他の友人達の家も同じような生活だった。
小学校6年生のとき宿題を忘れた子供は立たされ先生から理由を聞かれた、いつも真面目なK君が立っていた。先生が尋ねると「お父さんが昨日帰ってきたのです」と答えた。「座ってよし」と先生が言った。
K君のお父さんは外国航路の船員さんだった。一旦出かけると半年ほどは帰ってこない。
その事は先生も知っていて。彼がその日、大好きなお父さんに会えて宿題を忘れるほど嬉かったことが分かっていたのでしょう。
子供が最も長い時間共にするのが母親、次に父親。
しかし今の時代、早くから年少さんの幼稚園、しかも結構保育時間は長い、さらに早期教育のお稽古、塾、と子供達と親との絆を持つ時間はどんどん減っている気がする。
しかも大半の父親の帰宅は遅い。
もしかして家庭で出来る教育を他人に委ねているのではないだろうか?
決して親が子供を愛していないのではないが、子育ては親は親として自らを犠牲にしなければいけない部分がある。
親でなければ子に伝えられない数々の事。
思えば私も父から聞いたこと母から教えられた事のほうが学校で学んだ事よりも大切なことが多かったような気がする。
しかし、果たして我が家の秘伝、家伝(そんなものがあったのだろうか?)を娘達に伝えたかどうかは定かではない。