与えることと奪われること | ゆるくてごめん、でも効くから!ムリせず整う からだ・こころ・脳のエクササイズ

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与える人は、同時に奪われてることにならない?

と、一時期思っていました。

 

いいよ〜って、気前よく与えていると、

中には奪うエネルギーを感じることがある。

 

広く与えようとすると、

その中で奪われることもある。

 

 

私の中の奪われる感覚に陥る時って、

ごく当たり前の基本的な人対人としての感謝がないこと。

 

私はそれをエールの交換がない、なんて表現したりします。

 

例えば嫌いな人を利用する。

そんなのがこれに当たるんじゃないでしょうか。

 

 

くれくれ星人ですな。

 

自分はなんのエネルギーも出さずに、

単にラッキー、儲け〜って感覚で

持っていくこと。

 

お店でいうと万引きかな。

万引きは持っていく、でしょ?

 

受け取るは、商品の対価を支払って、

購入すること。

 

 

持っていく感覚で手に入れたものは、

結局は粗末に扱いがち。

 

だって、ラッキー、儲け〜の姿勢だから。

 

 

でね、以前に与えると奪われるって

感じた時に、与える側として

どうして同時に奪われるって思っちゃうのかってところ。

 

そこには境界がなかったのだと思うのです。

 

 

与えてもいい範囲とちょっと疲れちゃうなって境界。

 

これ以上したら、自分が消耗しちゃうって

思うところは与えちゃいけない。

 

 

冷たいように感じても、

そこを超えてしまうと、

与える気持ちでしたことが

いつしか下心たっぷりにしたこととなんら変わらなくなっていたりして。

 

相手に何か求めちゃったりね。

 

 

 

相手を恨むくらいなら、

最初から与えなくていい。

 

受け取る側のマナーはもちろんですが、

与える側にもマインドセットは必要ですね。