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理事長@IGTのブログ

大阪府泉佐野市にあるIGTクリニックの理事長のブログ

『紅の豚』は操縦免許証を持っているかどうか私は知らない。

だが、私は自家用陸上単発の免許証を持っている。

それは紛れもなく本物の飛行機操縦免許証で、私はアメリカでも日本でも大手を振って空を飛ぶことができる。

でも、実に非実用的な免許証であり、普通自動車免許証や医師免許証と違い、日常生活でも仕事でも何の役にも立たない。

なぜ私がそんな免許証を持っているのか、長い話になるのでここではお話しできない。

 

この免許証を取るためには、自動車学校と同じであり筆記試験も受けなければならない。

航空法規のほかに、航空気象だの飛行原理だの無線通信だのとややこしいいことを勉強しなければならない。

でもこの辺りは、丸覚え作戦で乗り切ることはできる。

 

だが、実技の練習は少しばかり様相が違う。

自動車との違いの一番は、飛行機は縦に動けるのでややこしいのだ。

おまけに速度はかなり速く、風にも流される。

エンジンが止まれば車は止まるだけだが、飛行機の場合は落ちるしかない。

雲の中に突っ込んだりすると、目の前が真っ白になり、上も下も判らなくなる。

要はアブナイのだ。

だから操縦練習はかなりの真剣勝負で、生きるか死ぬかに近い。

 

飛行機には操縦席と、副操縦席がある。

二つある理由は明白で、一つではアブナイからだ。

操縦訓練の教官は副操縦席に座る。

普段は操縦桿に手を掛けず、なんだかんだと飛行中に教えてくれる。

アブナイ時には、咄嗟に操縦桿を握り、危機を未然に防いでくれる。

教官は実に頼りになる人たちで、危機管理には優れた技能の持ち主だ。

二人の命を守る教官は十分に尊敬に値する職種である。

 

教官に100時間近くの訓練をうければ、もう一通りのことはできるような気分になる。。

まあまあ、エンジンの調子も判るようになったし、少々風が吹いても飛べるかな、航空管制官の英語もだんだん分るようになったし、時々は『今日の着陸は良かったね』と言ってくれるし、、、そんな気になった穏やかな飛行日和のある日、教官が突然、ボソッと言う。

『今日、ソロフライト行ってみる?』

 

飛行技能試験を受けるためには、最低15時間の単独飛行が必須科目である。

答えは一つしかない・・・・・。

 

覚悟を決め、『行ってきまーす』と声を掛け、教官に敬礼する。

右の席にも後ろの席にも今日はだれもいない。

 

すっかり身についた点呼点検しながら、エンジンをかける。

車輪止めが外され、教官は翼の向こうで、帽子を振っている。

航空無線で管制官に単独飛行であると告げ、飛行許可を求める。

滑走路の端まで慎重に進み、エンジンの点検をもう一度。

フラップもエルロンもラダーも動くか点検、ガソリンは満タンだ。

航空管制官に『離陸準備よし』と連絡する。

一直線の滑走路の真ん中に移動し、ブレーキを両足で踏みしめる。

スロットルを押し込み、エンジン全開、ブレーキを放すと、ビーチクラフトは轟音の中、滑走路を突き進み、100ノットを超えたあたりで操縦桿を少し引けば、車輪の音はスッと消え、横を見ると、空港の建物はどんどん下に小さくなってゆく。

もう青空に突っ込んでゆくばかりだ。

『ギアーアップ』とかるく声をだし、車輪を引き上げる。

エンジンの回転数を巡航に合わせ、航空管制官にもうすぐ管制圏を離れると伝える。

管制官は『良い飛行を』と挨拶をくれて、私は通信ボタンから指を放す。

 

私はピーターパンか、とおもえるような世界に入り込む。

右に操縦桿を回せば、穏やかに機体は右に傾き、景色は回り始める。

エンジンの回転数を上げれば、機体はゆっくりと上昇を始め、目の前の景色は、青空と白い柔らかな雲だけになり、もうすっかり世界は独り占めだ。

遠くに入道雲が白く鮮やかに盛り上がり、その横をかすめることだってできる。

 

宮崎駿はこんな気分を鮮やかに描く。

 

でも私は残念ながら、『紅の豚』ではなかった・・・・。

 

続く・・・。

Coming soon.

私がスイスの病院で働き始めたとき、教授の秘書から『健康保険は、一般的(general)なのでいいか、それとも少しお金のかかる方(private)を選ぶか』と聞かれた

何も考えずに安い方がいいと答え、少し変な顔をされたが、すんなりとスイスの健康保険に加入できた。

 

何もかも慣れない環境での仕事開始だったが、だんだん分かってきたのは、医者は二種類に区分けされ、何となく風格がありそうで皆が一目置いているのが『上級医』、あとはフツーの医者である。

フツーの医者の仕事は結構厳しいようで、晩御飯を食べに家に帰り、また病院に来て夜遅くまで仕事をしている。

医師国家試験合格だけでは十分ではなく、何か頑張らないと生きてゆけないらしい。

 

若くて頑張る医者の第一関門は専門医試験で、上級医が試験日の半年前から、日々のカンファランスで徹底指導したりしていた。

それでも結構な確率で試験に落っこちるので専門医試験はかなり難しいらしい。

 

専門医になったからといって上級医になれるわけではなさそうで、また別の結構難しい上級医登用試験があったりするらしい。

 

そんな厳しい医者稼業を続けて、上級医になると人生にかなりいいことが起きるらしい。

同僚に聞いた話だが、下級医でいる間はフィアットの小さな車に乗っていたのが、上級医になったらすぐにポルシェに乗り換えるのだそうだ。

 

そんなわけでフツーの医者はだれもが上級医になりたがり、そのために勉強しまくるのだから、そんな医者の多くいる国の医療レベルは上がることになる。

巡り巡って、得をするのはその国の国民かも知れない。

 

さて、私はドイツ語、スイス語が全くしゃべれず、不満を言えるほど英語も上手ではなかったので、少々辛くても上級医の指示通り働くほかはない。 

 

ある日、私が担当した風体卑しからぬ初老の患者さん、血管造影の準備を始めていると、何やらぶつぶつ言っている。

不機嫌そうなことは私にも判る。

美人の技師さんが、どうしたの?と患者さんに事情を聞いてくれた。

『あのね、あの患者さんプライベートの保険を持っているの、なのになんで私はこんな東洋人の若い医者に治療されなければならのか、上級医を呼べって怒っているわ。』と彼女が教えてくれた。

 

直ちに連絡が飛び、担当の上級医が慌てて飛んできた。

患者への上級医の説明は、

『この日本人の医師は、若いが血管造影の専門家で、わざわざ教授が日本から招聘した優秀な医者である、故に貴殿はプライベート保険のサービスを十分受けている』

患者さんは直ちにその説明に納得し、私の立場はすっかり堅固になり、私も患者の風体に負けないよう、口をへの字にして治療した。 

 

だんだん分ってきたことだが、プライベートの保険に入って高い保険料を払い続け、病気になると、

・検査や治療の予約は、予約リストの一番上に入れてもらえる。

・個室に入れるし、食事もホテルのルームサービスのように銀の蓋をして運んできてくれる。

・診療は上級医に診てもらえる権利があって、フツーの医者は関わらない。

・プライベート患者専門の病院もあって、特別扱い気分が味わえる。

・他にもいろいろいいことがある。

 

さらに判ってきたことは、プライベートの患者さんの診療費用の何割かは、担当した上級医の給料に上乗せになるので、フツーの医者の何倍もの給料になるらしい。

これもプライベートの保険で支払われるので、ズルいという話ではなさそうだ。

 

患者側から見ると、いい医者に診てもらうには普段から高い保険金を支払うべし。

医者側から見ると、いい生活をするには下済み時代に臥薪嘗胆せよ。

という話に過ぎないのだが、、

 

どちらから見ても、人生は楽ではなく、備えが大切だと思えてくる。

私がとある公立病院の部長であった頃、いつも彼に悩みを相談したものだ。

『うちの病院、“あほ”ばっかりで、困ってんねん』

彼はじっと私の目を見て、

『おまえなあ、“あほ”に感謝せい。お前は“あほ”がいるから生きていけるんや、周りが賢い奴ばっかりやったら、お前、どうやって生きていくねん? “あほ”に感謝せい! せやけど身内の“あほ”は困るけどな』

以来、私は“他人のあほ”では悩まなくなった。

 

少し馴染みの姫がいた。

ある日、彼女が横にいて、そっと手に渡してくれたものがある。

マンションの鍵である。

その時、私の頭によぎったのは、

“たしか、この子のマンション、うちからかなり遠いよな・・”

“このことデートするには、すごいお金がかかりそう・・”

“いま、大学でいっぱい仕事抱えてて、時間ないよな・・”

私の頭に浮かんだのは、高潔だとか貞操だとかそんな“キレイナ”な気持ちではなかったことをいま心から反省しなければならない。

数週間ののち、彼は私に、

“彼女なあ、泣いてたで、、、 ほんまに、、、”

なんだか惜しいことをしたと私も思わなくはない。

でも、私は彼ではない、私はきっと池に溺れ、林の中の道を迷ってしまったに違いない。

今はそう思う。

 

私が今のクリニックを開くにあたりいろいろなことを彼に相談した。

彼は珍しく私の話を聞くだけで、おつまみを口に何度も運ぶばかりで何もコメントしない。

 

しばらくして、また新地に呼び出しがあり、私はお店のママさんともう一人、彼の友人、医療ビジネスで名を成した強面のおじさんに挟まれた。

強面:『聞いたで、あんたのやろうとしていることは危ない。素人さんのやれるようなことちゃう、今からでもええから止めとき』

ママさん:『せんせ、、あんさんええ人やけど、人生そんな甘ないで、、今からでも遅ないよ、止めときはったら、、』

彼の差し金に決まっている。

 

私はその後、彼らに言われた通り、確かに危ない橋をいくつも渡った。

橋から落ちかけた時、やくざのような人に危機一髪で手を差し伸べてもらったこともある。

その後、艱難辛苦の道を歩み、人生甘くないことを痛いほど実感した。

 

そんなわけで彼のおかげでいろいろ勉強し、何とか踏ん張り続け、今に至っている。

 

彼は、日本の医療を治す医者になるのを忘れず、またもやでかい病院を大阪のど真ん中に作ろうとしている。

 

私の方は、がんを手なずける医者を目指して、アーでもない、コーでもないと悩み続けている。

 

お互いに目標が大きすぎるようだ。

 

そういえばこのところ、とんと新地のお誘いがない、今度はこっちから電話してみよう。