私の大学時代の同級生に破天荒な異端児がいる。
学生の分際でジャケットのポケット、4か所に札束を仕込み、公営ギャンブル場に乗り込んでいた。
時々はポケットが満杯状態になって帰ってくることもあったと聞く。
長じて後、北の新地のクラブで、あれは本当だったのかと聞くと、実にいい勉強をしたと言っていた。
授業にはほとんど出ない。
代わりに、夕方になると女子大の校門の前にスポーツカーを止め、ハンティングをしていた。
この習慣はなかなか治らず、北の新地でつい最近まで同じようなことをしていた。
そんなおかげで私より2年も遅く大学を卒業した。
当然であろう、彼がいろいろ危ない経験を積んでいる間、私はしっかり医学の勉強していたのだから。
私は卒業して大阪の大学で放射線科を勉強し、病気を治す医者を目指した。
彼は卒後数年で大阪にでて、病院を治す医者になると宣言し、小さな病院を構えた。
卒業したての医者がどこから資金を捻り出したのか、だれもが知らない。
でもそんなこと彼には朝飯前であったに違いない。
その後、彼は傾きかけた病院をいくつも買収し、建て替えを繰り返しながら、大阪ではその名の知れた病院グループを作り上げた。
一方、私は小さなクリニックを作り、彼は私のものとは比べようもないほど立派な病院をいくつも作った。
世の中の景気が良かった時代、北の新地は、一握りの成功者とその取り巻きが集まり(まがいもなく私は後者)、お花がいっぱい咲いて蝶々が飛び交い、それはそれは賑やかなところであった。
真に幸いにも北の新地のすぐそばに私がいた大学病院があった。
彼は何か理由を見つけては、新地に出て来いと私に電話をかけてきた。
私はそのたびに嬉しくて、勉強道具の入ったカバンなんかほったらかして、小躍りしながら新地に向う。
少し歩けば心地よい小料理屋の美味しい食事にありつき、新地のお姉さんのイイニオイを満喫できるのだ。
そのきらびやかな、そして私の日常とはおおよそ違う酒池肉林の世界の中にどっぷりと漬かりながら、その池で溺れていない彼を私は不思議な思いで見つめていた。
その彼は竜宮城の姫に囲まれながら、己の経験と得た知識から生まれた彼の確信を惜しげもなく私に教えてくれた。
なので、しゃべりだしたら止まらない。
私は相槌をいくつか用意し、それを交互に繰り返すしかない。
その話の多くは、まさに目から鱗の類で、そのいくつかは私の人生に何らかの影響を与えたかも知れない。
そして幾つも幾つもいい勉強をさせてもらった。
友達に感謝、、、
続く, , , , ,(coming soon)