H29 春季文学遺址研修会1 | 侘寂伝文(わさびやブログ)

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H29 春季文学遺址研修会-文化.文学の生まれる町 大坂上り下り 

毎日新聞連載「わが町にも歴史あり-知られざる大坂-」で大坂案内人として登場する西俣先生を招き 現地講師をお願いする“文学遺址研修会”も今年で節目10年 今回は(文化や文学を生み出す豊かな土壌を持つ町 大坂)をテーマに西俣先生の名調子ももと巡見してきました 
 

井原西鶴に始まり井原西鶴で締めた今回の巡見 先生方皆様 休日の参加お疲れ様でした

きしくも舞台はわさびや周辺 何時もの散歩と違い専任の方々と愉しく歩け沢山の学びを頂きました  

  
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集合-地下鉄/谷町四丁目 江戸時代/昭和初期の古地図と参考資料を手に 史跡を巡っていきます 
 
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井原西鶴 終焉ノ地碑(谷町三丁目2 谷3交差点東南) 

近松門左衛門と並び江戸元禄期を代表する大作家/俳諧師 西鶴の没後300年を記念し平成5年に建立 

辞世の句「浮世の月 見過ごしにけり末二年」 墓所は城南寺町/請願時 文学碑は本町/高速道路出口 

 
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大坂舎密局跡 (大阪府庁新北館南出口) 舎密=蘭語のchemie(化学)に対する当て字 

舎密局は明治維新期における化学技術の研究.教育 および勧業のために作られた官営.公営機関 明治2年(1869)に大坂/翌明治3年(1870)京都にそれぞれ設置され 前者を“大阪舎密局”後者を“京都舎密局”と称しました 大阪舎密局は第三高等学校(後の京都大学)の源流に 

 
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難波宮跡東辺 (法円坂1丁目1 中央大通森之宮入路交差点/南側歩道) 

大坂市街東辺‐南北に長く連る上町台地は 日本史では早くから開発されていた地域で 古史にしばしば見える難波の地は此処にその姿を確認出来ます 続日本紀/聖武天皇天平16年2月の条に「今以難波宮定爲皇都」と確認でき 難波宮は首都でしたが翌17年5月に都は平城(京)に移されています 
 

最新の研究で難波宮は飛鳥時代.奈良時代の2度に亘り都となった事が立証されています 
 
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越中井 (大阪市中央区森の宮中央2丁目12) 

細川越中守忠興屋敷の台所があったと伝えられる場所で 細川ガラシャ最期の地として知られる史跡 井戸は大正時代に一旦埋め立てられますが 地元住民により昭和34年(1959)に復元 現在も30軒ほどからなる“越中町会”により交代で管理されています 

 
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大坂カテドラル聖マリア大聖堂 (大阪市中央区玉造2) ※敷地内は写真撮影禁止です 

敷地が細川大名家屋敷跡という由縁もあり 大聖堂内内陣左側に細川ガラシャ画が掲げられています その“最後の日のガラシア夫人”と聖堂正面の壁画“栄光の聖母マリア” 右側の“高山右近”は堂本印象の筆 大小100の窓に施されたステンドグラスは羽淵紅州の作 十字架.聖像はオーストリアの彫刻家ルンガルチエの作と 当時一流の芸術家を集めて造られました 

 

私達が訪問した時 丁度中では聖書の朗読が英語で行われていました(信者は殆ど外国人の方でした)

 
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阿波野青畝 句碑 (大坂カテドラル聖マリア大聖堂敷地内) 

奈良県生まれの俳人で敬虔なカトリック教徒であった青畝は高浜虚子に師事 昭和初期には山口誓子.高野素十.水原秋桜子らと“ホトトギスの四S”に並び称された詩人 句碑「天の虹 仰ぎて右近 ここにあり」 
 
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玉造稲荷神社 (大阪市中央区玉造2丁目3) 

利休井豊臣時代の千利休は玉造/禰宜町(玉造神社南側)に屋敷を構えました この一帯は清水谷などの地名が表すように“玉造清水”と呼ばれる良質の水が得られ 利休が茶の湯に愛用したと『摂津名所図会大成』に記されています 

 
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伊勢迄歩講 (浪花講-お伊勢参り発祥の地) 

街道.宿駅制度が整えられた江戸時代 全国的に流行したお蔭参り 「一生に一度は伊勢参り」「伊勢に七度 熊野に三度 お多賀様には月参り」と歌われた様に江戸時代の人々はこぞって伊勢参りの旅へでたそうです 普段旅に出られない人々は「抜け参り」をするほどの社会現象で 伊勢参詣は勿論道中の物見遊山も旅へでる目的の一つでした 伊勢参りの起点としてここ玉造は大変賑ったそうです 

 
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豊臣秀頼公像 (右) 難波.玉造資料館 (左) 
 
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秋田實 笑魂碑  

東京帝国大学文学部卒業後に作家の道を歩むも 吉本興業の専属/花菱アチャコとコンビを結成した横山エンタツと出会い漫才作家の道へ 当時男性客中心の卑猥で低俗だった萬歳を 女性や子供にも安心して聞かせられる“無邪気な笑い=漫才”へと脱皮 これが現在の“しゃべくり漫才”の基礎となり後世に引き継がれています 

笑魂碑に刻まれた辞世の句「渡り来て うき世の橋を眺むれば さても危うく過ぎしものかな」 

「笑いを大切に 怒ってよくなるものは猫の背中の曲線だけ」 

 
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三光神社 (天王寺区玉造本町14) 

反正天皇の時代に創建したと伝えられ 創建以来武内宿禰末裔/武川氏が神職として奉職 現在86代目 
嘗ては“姫山神社”と称し この一帯は“姫の松原”と呼ばれていました 御祭神は「天照大神」「月読尊」「素戔嗚尊」三注を祀っているため 別名“日月山神社”とも言われています 

 
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真田幸村公之像(上) 真田の抜け穴(下) 

 
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宰相山公園(真田山陸軍墓地 ) 
敢えて写真は掲載しませんが無数のお墓が並ぶ旧陸軍墓地 霊堂(納骨堂)の遺骨は約4万3,000余柱/墓標は4,800柱あるそうで 古くは明治期の西南戦争や日清.日露戦争 そして太平洋戦争までの戦没将兵の遺骨が眠っています 

 
昨年“真田丸ブーム”で沢山の方が三光神社を訪れたと思いますが すぐ傍の陸軍墓地まで足を運ばれた方はどれくらい居られるのだろう... 
 
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この辺りは“真田丸出城跡”ですが割愛します 

  
H29 春季文学遺址研修会2 へ続く