H29 春季文学遺址研修会2 | 侘寂伝文(わさびやブログ)

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(前編)H29 春季文学遺址研修会1  

事前予定に組んではいたものの 事情で訪問しなかった箇所も加筆しています ご了承の程 

 
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大應寺(天王寺区餌差町3) 木村兼葭堂墓所 

木村兼葭堂 (1736~1802)は江戸時代中期の大坂を代表する町人学者で 本草学.文学.物産学に通じ 黄檗禅に精通し出版に携わり オランダ語を得意としラテン語を解し 書画や煎茶.篆刻を嗜むなど極めて博学多才で 自宅サロンで当時全国の識人達と広く交流し“大坂知の巨人”と称されました 

 
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宝国寺(大阪市天王寺区餌差町11) 志太 野坡墓所 
志太野坡 (しだ やば 1662~1740)は蕉門十哲の一人とされ“軽み”の俳風では随一ともいわれた江戸時代中期の俳諧師 元々は両替商の三井越後屋に奉公し番頭にまで登りつめた経緯も 「続虚栗」で初入集 孤屋.利牛らと共に連句「炭俵」を編集しました 蕉風を上方や九州に普及させた業績は大きいです 

 
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円珠庵 悪縁を絶つ鎌八幡 (大阪市天王寺区空清町4) 契沖庵跡 

江戸時代に国学研究の基礎を築いた契沖 (1640~1701) その足跡を顕彰する重要な場所として1922年(大正11)に国の史跡に指定 古典研究の底に流れる復古思想は荷田春満(かだのあずままろ).賀茂真淵(かものまぶち).本居宣長(もとおりのりなが)らに引き継がれ和学/国学の主流を形成しました 

 
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空堀跡の一部(餌差町/高津中学校北側) 谷間を挟んで向こうが豊臣側/此方が徳川方の陣地 

 
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楞厳寺(大阪市城南寺町1) 織田作之助墓所 

織田作之助 (1913~1947)は大坂生玉生まれの小説家 戦後無頼派.新戯作派と呼ばれ“織田作(おださく)”の愛称で親しまれ 大坂庶民の生活を描いた作家として知られています 小説「夫婦善哉」「世相」「土曜夫人」 評論「可能性の文学」など有名 カレーライス好きで自由軒の常連だったそうです 

 
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大福寺(大阪市天王寺区上本町4丁目1) 浪華仮病院跡 

明治元年の布告では大坂に本格的な医学専門教育学校と病院建設を計画していました 学校については舎密局(前述)が発足しましたが 病院は財政難で明治2年に漸く大福寺で仮病院として開業 院長は緒方惟準(緒方洪庵二男).主席教授はオランダ人ボードウィンで 医学教育にもあたりました ここにあったのは僅か3ヶ月足らずでしたが これが後の大阪大学医学部へと発展します 

 
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誓願寺(大阪市中央区上本町西4丁目1) 井原西鶴墓所/中井一族墓所  (私塾/懐徳堂を経営した一族) 

 
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井原西鶴墓所 

墓は幸田露伴(こうだろはん)達が境内の無縁墓に押し込められていたのを発見 元禄6年(1693)没 享年52歳 
 
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懐徳堂跡(淀屋橋日生ビル横壁)-後の大阪大学文学部 
中井家は代々儒学を家業とし 江戸時代中期の1724年(享保9) 大坂に在住する五人の有力町人が出資し創設された私立学問所“懐徳堂 ”を 1689年(明治2)に学制改革で廃校となるまで約140余年に亘って経営しました 誓願寺には中井一族の祖/竹庵をはじめとし代々の墓が祀られています 
 
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青い山脈歌碑 (大阪市中央区上本町西/東平コミュニティプラザグランド内) 

天王寺区が産んだ大坂を代表する音楽家/服部良一 (1907~1993)の代表曲“青い山脈”を刻んだ歌碑 
 
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薄田泣菫文学碑(大阪市中央区上本町西/東平北公園内) 
岡山県倉敷出身の詩人.随筆家/薄田泣菫(すすきだきゅうきん 1877~1945)が明治36年に発表した詩集「ゆく春」より 大坂から見る金剛山に心を動かされて歌った“金剛山の歌”を刻印した文学碑 

 

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楠木大神(大阪市中央区谷町7丁目交差点東) 

戦前に焼失した本照寺境内跡 樹齢500~600歳の楠木にはミイサン(白蛇神)が宿ると伝承されています 

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近松門左衛門 墓所(大阪市中央区谷町8丁目) 国の指定史跡 

江戸元禄時代を代表する“和のシェイクスピア”にしてはお粗末過ぎる墓所 写真一番上の案内板からは墓所に入れないという不憫さもあり 疑問の声も多い 
 
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豊臣政権より大坂は寺町としても有名ですが 谷町筋を挟んで西と東で寺の造りが違う事に気付きます 

これは1970年開催の大阪万博時 幹線道路拡張工事のため西側の寺社が移転した経緯に由来します 

東側は従来の瓦建屋 西側は新しい造りの寺社がそれを物語っています 

 

昭和30年代まで 谷町筋は約3㍍幅の細い道路だったそうです 

 
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常国寺(大阪市中央区中寺2丁目2) 梶井基次郎墓所 

結核により31歳の若さでこの世を去った小説家/梶井基次郎 (1901~1932)の代表作「檸檬」に因んでか レモンが大好きだった? 彼を偲んで墓前にはレモンがお供えされていました 
 
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巡検のクライマックスは千日前通りを挟んで生國魂神社へ 
 
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織田作之助銅像 

代表作「夫婦善哉」生誕100周年を記念し平成27年(2013)10月26日に建立 彫刻家/岡村哲伸作 
昭和15年頃に大坂心斎橋あたりを闊歩するコート姿がモチーフ 大の煙草好きだったそうです 

 
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井原西鶴像 

西鶴生誕350年を記念し 1992年6月10日に真田山ライオンズクラブが建立 西鶴は「好色一代男」「好色五人女」「本朝二十不孝」「武家義理物語」「世間胸算用」など多くの名作を輩出し 延宝8年(1680)には一昼夜4千句の独吟矢数俳諧の新記録を生国魂神社南坊で樹立したそうです 
西鶴の作品は世界各国で翻訳されその文学的評価は高く 1968年ユネスコは“世界的偉人の一人”として西鶴を選びました 

 

ここにて手仕舞い/解散 思えば西鶴に始まり西鶴で終わる巡見でした