
枚岡神社(ひらおかじんじゃ) 式内社(名神大社) 河内国一之宮 旧官幣大社
大阪府内で"太古の聖域"と崇敬される"元春日 枚岡大社" 本殿より片道約50分の神津嶽頂に鎮座する本宮は 神武天皇が神武東征を興す3日前に創建されたとされ 伝承通りとすれば今年で創始2689年 国内最古級の神域とも言われています(近所の生國魂神社とほぼ同じ)
古代大和朝廷の祭祀を司った中臣氏の氏神"天児屋根命"(あめのこやねのみこと)とその后神"比売御神"(ひめみかみ)を主祭神とし 桓武天皇が平城京遷都の折 平城京の守護と国民の繁栄を祈願するために藤原永手氏が創建した春日大社が 藤原氏とその祖先中臣氏の氏神"天児屋根命"と"比売御神"を枚岡神社から勧請した経緯から "元春日"の敬称で呼ばれ今日に至ります
中世日本の政事で中枢を担った中臣氏ひいては藤原氏ととても縁の深い(氏神)神社です その他詳しい事はリンク先の枚岡神社HPをご参照下さい

世間は5連休で混雑を予想していましたが 思ったより人が少なくて安堵

枚岡神社の注連縄は独特で"総角(あげまき)結び"と言い 装飾として用いられる日本の伝統的な結び方 写真の注連縄は幸運や福を招く"入型(いりがた)"結び(無形民俗文化財指定) この結びは天ノ岩戸神話(天照大神が天ノ岩戸お隠れになった伝説)に深く寄与しているのだそう
手水所や境内至る所に鹿さんがいるのは 春日大社の主祭神で枚岡神社の御祭神でもある国譲り神話で有名な"武甕槌命"(たけみかづちのみこと)が鹿に乗って降臨した謂れで 鹿は神の使い(神鹿)とされ 春日大社同様 大切に敬われている存在です

拝殿
御神木 柏槙(びゃくしん) イブキ科樹木
社伝では白雉元年(650)に神津嶽本宮から現社地に神様をお遷しされた時 神津嶽には神武天皇お手植えの柏槙の大木があり あまりに大きすぎて移せない為 枝を切って挿し木したものと伝承されています 戦前は大阪府天然記念物でしたが 昭和36年の第二室戸台風で激しく損傷し 今の形に伐採され切株保存のために覆い屋根が施されました 胸幹周囲6.5㍍/全長25㍍の大樹だったそうです

第二室戸台風前の貴重な画像 御神木らしい雰囲気を醸しています
中門 透き塀

御本殿
近年は平成令和の大造営(令和2年9月竣工)で御新調されました 造りは"枚岡造(王子造)"と呼ばれ四殿並列極彩色の美しい神社建築です(東大阪市指定有形文化財)
本殿四棟(第一殿.第二殿.第三殿.第四殿)に其々1柱が祀られています
第一殿:天児屋根命(あめのこやねのみこと) 主神 中臣氏祖神
第二殿:比売御神(ひめみかみ) 天児屋根命妃神
第三殿:経津主命(ふつぬしのみこと/斎主命) 香取神宮祭神
第四殿:武甕槌命(たけみかづちのみこと/建御雷命) 鹿島神宮祭神
丁度 神主さんが御本殿に向けて祝詞を奏上されていました
拝殿横の池には沢山の鯉が 餌を嬉しそうについばんでました
感謝と祈りの道を右に進みます
末社 一言主神社

摂社 若宮神社 主祭神:天児屋根命のご子息さん 水を司る神様です
若宮神社左手奥に 町名の由来にもなった出雲井の井戸が 若返りの水で有名です

末社 飛来天神社
末社 天神地祇社(てんしんちぎしゃ)
明治初年まで境内にお祀りされていた十九社の末社や 氏子地域内で祀られていた神社が合祀されています

遥拝所 -榊を通じて結ばれる聖地-
祀られている榊に祈る事で 神津嶽本宮 伊勢神宮 皇居 橿原神宮 全国の神社を遥拝できます
物理的には離れていても 心を向ける事で神々と繋がることができます
神津嶽登山口 感謝の碑
大祓詞は元春日大社宮司を務めた葉室頼昭氏の筆 "感謝"の文字は まさに神道の根本が感謝にあることを示しています 願いを叶えて貰うために参拝するのではなく 今この瞬間に生かされていることへの感謝を伝えに参拝する大切さを伝えています


神津嶽登山口 姥ヶ池
神社から灯明の油を盗んだ老婆の悲しい伝説と そこから現れる怪火"姥ヶ火(うばがひ)"の伝承が残る池です
通常 神社は東か南が入口ですが 枚岡神社は神津嶽を御神体とするため 東に背を向けて西の方角に向いて建立しています 一説では(日が昇る)伊勢神宮と(日が沈む)出雲大社の直線上中程に枚岡神社が(出雲大社を向いて)位置する事は 何らかの神の意図があったのではとも推測されています
これから 枚岡神社創祀の地 神津嶽に向かいますが これはまた別項目で
