センター試験で点数が取れなかった2番目の子B② | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

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1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

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このところ、たくさんの方からアメーバー申請をいただいています。

こんなトホホな話ばかりなのに、ありがとうございます。


← ここらへんにも書いてありますが、

アメンバー申請される方はメッセージで

簡単な自己紹介をお願いいたします。


申し訳ないのですが、当方かなり小心者のため汗

メッセージなし(しかもブログ記事なし、プロフィルなし)の方は

せっかく申請していただいても承認いたしておりませんので

よろしくお願いいたします。


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前回の「センター試験で点数が取れなかった2番目の子B①」はこちらをお読みください。

http://ameblo.jp/igakubuzyukenhaha/entry-11748617724.html

大学入試だけは、本当に最後までわかりません。


国公立医学部に現役合格した二番目の子Bは
センター模試も悪けりゃ、センター試験本番で奇跡も起きませんでした。

現役なのに、最後まで伸びなかったじゃないかと、
母は世の常とか、無情とかでいっぱいになりました((T_T))

センターリサーチの結果を見ずとも、出願先変更をしなければなりません。

心の傷を引きずりながら、母は足きりの危険性が低く、
二次逆転できそうな大学をネットで調べていきました。

そしてB自身は、当時の「私立医学部受験の幕開」けと言われた

トップ試験日のIパー医科の受験に向かったのです。

(Iパー医科は各地に受験会場を設けてくれるので受験しやすい)


Iパー医科は、一次合格者を五百人くらい出すのは有名で、
当然、国公立医学部をめざすBは一次は通るだろうと思っていました。

が、が、が、

一次試験合格者の中に、

Bの番号はありませんでしたショック!汗あせる



当時、私立医学部受験とはなんたるかを知らない私は、
国公立目指しているBは大丈夫だろうとタカをくくっていたので、
ショックでショックでしょぼん汗

後でBに聞いてみると、
「問題が比較的易し目で、高得点勝負。
ミスは許されない感じだった。

自分はこのところずっとセンター対策ばかりやっていて、
Iパー医科の科目の理科のⅡの範囲は手付かずだった」との事。

私としては、11月くらいまで、
二次対策として理科Ⅱを中心にしていたんだから、
いくらなんでも太刀打ちできないということはないでしょと思ったのですがガーン


ショックでショックでショック!汗汗

親のショックを尻目に、B本人はIパー医科への執着が殆どないよう。


そもそも、「私立医学部はまかりならん」という考えの頑固親父が、

上の子Aの受験経験(上位私立しか受験させず全滅)から

「そうも言っていられない」と思ったようで、しぶしぶ受験を許可・・・

最後までしませんでしたドクロ


そんな中で、スケジュール的に最初の試験なので、

その後の日程や国公立2次の勉強に支障なく

食い込まないだろうという理由で受験したのです。

(あともう一つは同級生に誘われてK医学部を受験・・・)

Bは淡々と次の自治医科の試験準備に…
入りませんでしたガーン

なぜなら当時の自治医科は、センター試験と同じ理科と数学の科目。
Bはそのまま国公立二次対策に入りました。

センター試験で思ったようにとれなかったBに、
学校側も、二次逆転できそうな医学部の過去問の情報を取り寄せ、
Bにとって2次試験の問題が解きやすい大学を探していってくれました。

並行するように自治医科大学の試験日となりました。

自治医科は、都道府県庁や相応施設に集められ、

老若男女、いや、現役浪人が一斉に試験を受けます。


受験者数は都道府県によっても激しく違いますし、その年によっても違ってきます。


自治医科受験者は、殆どが国公立医学部併願者ですから
一次合格者となるには、その都道府県の受験者の中で
トップ15くらいには入らなければなりません。


そして最終合格者は各都道府県で2~3人という

まさに「サバイバルレース」


それにしても1次不合格になってしまったIパー医科よりも

激しく難易度も偏差値も高い自治医科。


上の子Aも2回チャレンジして、2回とも1次すら通らなかった自治医科。


Bにゃ無理だろうな~と頭から「無理無理無理」と思っていました。


そうしたら自治医科受験日当日の夕方、

仕事中の私に届いたBから「筆記受かったドキドキ」のメール。

2番目の子Bから「ドキドキ」付きでくるなんて。。

え?なんのこと?目
さっぱりわかりませんでした。



だって、500人も一次合格者を出すIパー医科に落ちて、
自治医科の筆記合格者になるなんて、
ベタな受験物語だって、ドラゴン桜にだって
あるわけないですから。


うっそ~~~~~~~~~~~~叫びあせる


信じられない 信じられない 信じられない



こうして翌日、
Bは自治医科の筆記合格者のみに行われる、
都道府県職員との 僻地に本当に勤務してくれる人間かを見極める
面接に出向きました。

そしてあろうことかその後、見事自治医科大学の一次試験合格者となったのです。



うっそ~~~~~~~~~~~~叫びあせる



その結果を知ったのは、まさにIパー医科より難易度の高い

私立K医学部の受験に向かう電車の中。


(こちらも1次合格。ところが自治医科の2次に向かうことになったため、

「これ以上国公立の2次試験の勉強時間を取られたくない」ということで

2次試験を棄権することにドクロ

まさか、まさか・・・こんな事が起きるとは…


難易度から言ったら

自治医科 >> K医学部 > Iパー医科

(1次合格)   (1次合格)   (1次不合格)

です。


私立医学部は受験してみないとわからない叫び

と思いました。

母は急遽、自治医科周辺のホテルの予約と切符をとりました。
でも、切符をとる足取りもえらく軽やかでした。


並行してBは、センター試験の失敗、Iパー医科の一次不合格を踏み台にして

1試合ずつ強くなっていく甲子園球児のように

これまでの模試以上の力をつけ始めたのでした。


「同じ問題の失敗はしない」

「化学の有機でミスったから、この次の試験で有機が出たら、絶対ミスはしない」


現役生は試験の最中も伸びる。


この時期、1問1問への取り組みの真剣さが、

ものすごいことになっていった時期でした。


高校球児が1試合ごとに強くなって優勝するような

そんな状況をBは実際の本番の試験で歩んでいたようです。


変に試合慣れして、「この程度じゃ今回もこういう展開だな」

という先入観が全くないのが現役生だと思いました。



ちなみに2番目の子Bの自治医大受験記は

「テーマ別」の自治医大受験記(2次で落ちた)をご参照ください。

   ↓

http://ameblo.jp/igakubuzyukenhaha/entry-11594361335.html