センター逃げ切り推薦に失敗し現役合格した話 | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

カテゴリーでは「模試E判定・現役合格B(奇跡)」というのがあるのですが、

記事数が少ない・・・・


浪人したり再受験したりというといろいろ書くことが思い浮かぶのですが

現役合格Bについては、何しろ高3の時のことしかありませんので

どうしても受験期の付き合いは短くなっています。


一番上の子Aの受験の記憶ははるか彼方に行きつつあるし。

(記事3本だけって・・・)


そこで、そうそう、Bってセンター逃げ切り推薦受けたんだわーと思いだしました。


年内のうちに面接があった「いろは大学」。

センター試験で高得点をとればそのまま合格。


Bの第一志望も「いろは大学」でした。


Bの高校の先輩は、模試の成績もよくない上に2次力もあまりない。

校内の成績もさほど良くなかったらしいのに

センター当日のみミラクル高得点を取り、奇跡の合格を果たしています。


が、Bはセンター取れませんでした。


目標点が「はるか遠い目標」で終わってしまいました。




発表の日まで待たずとも、Bの不合格は確信できました。

(こういうところに情けはないのが国公立入試)


さて、そうなると前期試験ではどこに出願するか。


あくまでもBの第一希望は「いろは大学」。

そのままぶち抜いて出願するかどうか。


もし、「いろは大学」が2次逆転も可能な2次重視の大学なら

出願していたと思います。


ところが「いろは大学」の前期試験は、センターの比重が高い叫び


センター試験の点数で決まる推薦入試に落ちて前期で合格なんて

あるわけがありません。


そこで出願先を変更することにしました。


もちそんそこには「医学部に入れるなら、日本全国津々浦々どこでも行く」といったBの決意があったのですが。


今も、あの時「いろは大学」にこだわっていたら、

未だに医学部合格はつかめなかっただろうねと話になります。


国公立医学部入試をよくわからない方は

志願先変更と聞いて

それほど「いろは大学」に入りたかったわけではなかったのねと

おっしゃる方もいました。



もし「いろは大学」が2次逆転型大学でラッキーなことにBが合格したら

「推薦で落ちたけど一般で入るなんて頑張ったのね」と

言っていただくことはできたのでしょうが

その大学によってセンター:2次比重で合否判定が違うのが国公立。


そのまま「いろは大学」にこだわり、

浪人覚悟で玉砕受験という道もありました。


しかしこのまま出願しても合格が程遠いことが決定的なとなった時、

Bが決断したのは「出願先変更」でした。


残念ながら最初の子Aの時は、

このあたりのからくりがわからず

高校の先生に言われるままの受験となってしまいました。


あのままBが「いろは大学」にこだわっていたら

我が家の「センター試験が取れない」のは

どうも遺伝的要素もあるようなので

(じっくり考慮2次型タイプと言えば聞こえがいい音譜

未だもって合格できず、多浪に多浪あるいは別の道に

進んでいたかもしれません。


リサーチ力・・・・

これも大事なのだなと感じた経験でした。




・・・・・で、こんなブログ書くことになりました(笑)