Bが公立高校入試に落ちたとき | 母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

母の立場の医学部受験記(浪人・再受験・現役・反抗期)

1番目の子は大手予備校一浪で国公立。2番目の子は現役で国公立。3番目の子は反抗期の末、大手予備校→理系学部入学→休学し私立医学部専門予備校→再受験 で3人とも医学部へ進学しました。
大学入試センター試験と相性が悪いし、反抗期はすさまじいしのトホホな体験談です。

我が家の2番目の子Bは、高校入試で公立高校を落ちました。


地方では公立高校す。




我が都道府県職員の役職のつく方々は公立トップ校OBが多く、

とにかく公立高志向の強い地域です。




そして、公立高に落ちる<<<<<<<<合格

の圧倒的数の違いに



公立高 落ちた


というのが、どれほど少なく、

どれほど目立つかを想像していただければと思います。




公立高合格発表の夕方、

親さんたちから「合格飲み会をしよう」とメールが来ました。



それだけ、落ちる事は希でした。




「ごめん、うち、欠席やわ。B、落ちました。」

という返信を出さねばならないショック。




滑り止めで合格していた私立の特進に進むことになりました。

(それ以外の道はなくなってしまった・・・・)




その私立は、最近でこそ進学に力を入れ始めてきたものの

元をたどれば「ごくせん」に出てくる「白金(しろきん)学院高校」みたいなところ。



長く知っている方々は「ああ・・・あそこね」と眉間に皺を寄せ、

声のトーンを落とすような、そんな高校でした。





口数の少なくなったB。


眉毛がなくなり(剃り上げた)、

もともと目つきの悪いBの目は鋭くなってしまいました。




入学後、同じクラスになった女子が、お母さんに

特進なのにい子がいる!叫びと連絡したとか、




先輩たちがやってきて

おまえ、本当に特進か!?」

と確認に来たこともあったようです。






公立校に落ち、白金(しろきん)学院に入学せねばならなくなった

Bのショックと私のショックは言いようもないほどでした。



Bは今でも「あの時はきつかった。青空を見ても暗かった。」と言います。




一方、私の周囲では、不思議な現象が(笑)。


同情的態度を取ってくれる方が多くなりました。


心なしか優しいような・・・




だんだんわかってきました。

同情とあわれみ。


そうか、同じ土俵にいる相手と思われなくなったんだ・・・・


土俵から落ちていった=眼中にない



アウト オブ 眼中 目



対象者になったのだということが。




そしたらなんだか気が楽になりました。



横を見なくて良くなったラブラブ



他人との比較をしなくて済むようになった音譜




何より貴重だったのは、白金(しろきん)高校の先生方が

本当に親身に指導してくださいました。



「お前たちは東大を目指すんだ!」とドラゴン桜のように洗脳してくださったり。


やがてBも「白金(しろきん)で良かった」と言い始めました。



その言葉とBの柔らかくなっていく心を知ることで
私自身も少しずつショックから立ち直っていったように思います。



結局は子供が不完全燃焼の姿をしているのを見るのが

親にしてみれば辛かったのだと思います。



一方、いつまでも「落ちた」事から立ち直れなかった同級生親子は、

そのまま気持ちが切り替わらないまま、

白金高校の不満を持ち続け、大学入試まで引きずってしいました。


そして大学入試でも…



最近、3人の子供たちが集まることがあり、こんな話をしていました。


Bが、1番上のA(浪人)、3番目のC(浪人・再受験)から

「結局B(現役合格)が一番順調だよね」と言われていました。


するとBは

「俺、高校入試落ちてるから。

落ちるのが少ない入試を落ちるって、どんだけしんどいと思う?」と。




いろいろな経験を積んできた子供達ですが

親としても、本当にいろいろな思いを味わってきたように思います。



4月のこの時期。


浪人に突入したAやC。

失意のどん底で白金学院に通い始めたB。



それぞれの暗い空だった事を思い出すこともあります。



空はずっと青いままです。

私の目にかかっていたフィルターが暗くなっていたんだと思います。



やがてそのフィルターが自然と外れていく時は必ず来ます。

しかし、それには時間が必要なのかもしれません。