近畿大学通信教育学部 図書館司書 資格 取得しました

近畿大学通信教育学部 図書館司書 資格 取得しました

近畿大学通信教育部 図書館司書 資格 取得するべく 思い切って入学して資格取得しました。仕事・家庭・学業の三本たてで大変でしたが楽しかったです。
貧乏ヒマ無し。アラフィフ男性会社員。
コメント・世間話なんでも歓迎です。

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数年前から逃げていた、尿路結石の手術をいよいよやりました。

いろいろ

大変でした。

 

https://tmdu.tokyo/specialized/tul.html

 

 

ようするに、全身麻酔して、オチンチンから 内視鏡を入れて、膀胱の上、腎臓の下に管に詰まっている結石を、

レーザー光線みたいなのを当てて、破砕して、排出する手術です。

 

胃カメラや大腸カメラは入れたことありますが、あれは痛かったり、気持ち悪かったりするだけ。

尿管は、かなり細いので、カメラを入れると尿管に粘膜が必ず傷つき、痛いですし、かなり

出血します。

 

最悪、感染症を起こしたり、尿管に穴が開いたりします。

 

まあ手術自体はしかたないのですが、とにかく、術後が大変でした。

 

3泊4日の入院でした。

 

とにかく一番いやなのは、血尿です・・・。

血が苦手なのです。昔から。

見ると気持ち悪くなりカラダに力が入らなくなります。

ひどいときは貧血を起こして立っていられなくなります。見るだけで、です。考えるだけでも気分悪くなります。

 

初日:13:30~入院の事務手続き。1階入院受付。

14:00~病室へ案内される。入院、手術、設備の説明。6階入院病棟にて、看護師さんから。

 

2日目:10時くらいから手術開始。全身麻酔。

声をかけられ、気づいたら手術終了。結石は無事破砕され排出された。

 

ここからが大変。

 

左手のひらから点滴。・・・痛い

胸に心電図のコード2,3か所貼り付け

尿道から排尿用のカテーテル。導尿。・・・・尿道やら膀胱あたりが痛い

尿管にステント残置・・・・ 「尿管」とは、膀胱から腎臓の管。よく「尿道」と「尿管」を間違える人が多いが、「尿道」はオチンチンの管。

 

※尿管に「ステント」 というストローみたいな管を残す施術。尿管の尿の通りをよくする。傷ついた尿管の粘膜の修復を早めるなどが目的。

https://www.bostonscientific.com/jp-JP/health-conditions/Urolithiasis/Urolithiasis-06.html

 

 

術後は翌日までほとんど動けません。出血してますし、カテーテルがオチンチンに入って導尿しているからです。

 

でも、術後、意識ははっきりしてました。しばらくはやっと結石が出たか~と安心しておりましたが、

数時間すると、痛みやカラダの不自由がストレスとなり 苦痛になってきました。

オムツをしていましたが、おしっこを漏らしてしまわないかと不安でしたが、大丈夫でした。

そもそも導尿されているわけですから。

もしうんちしたくなったらどうするんだろう?? とずっと思ってましたが幸い、便意はありませんでした。

というか、絶食ですし、それどころではありませんでした。

 

尿道の管をチラっと見ると案の定、血のオシッコです。げげげげ。クラっと眩暈がします。できるだけ見ないように、

気にしないようにしました。

 

右の尿管や腎臓のあたりが痛みますが、まあ、我慢できるレベルです。

カラダが動かせないせいか、腰も痛いです。

 

そして、だんだん頭痛がしてきました。カラダが熱っぽいです。

看護師さんにいちおう伝えましたが、

頭痛持ちですか?笑われただけでした。実際、体温 計ったら 37.1℃ありましたが、看護師さんはノーコメントでした。

血圧も高くても125 くらいなのに、術後は133とか 135 とか高いです。

 

まさか コロナ??

 

スマホで検索してみたら、術後は、尿管が傷ついているわけで、頭痛や発熱することは普通にある、みたいに書いてありました。

そういえば、点滴に抗生剤入れますね~なんて看護師さんが言ってたな。なるほどそういうことか、と安心しました。

翌朝は頭痛も取れ、熱も下がっておりました。

もちろん、夜はほとんど眠れませんでした。

カラダの不快感が眠れない原因ではありましたが、

それ以上に、病室のイビキや、深夜巡回してくる看護師さんの「デカい声」がうるさくて・・・・。

でも、耳栓をアイマスク持参したのは大成功です。そのおかげで、蛍光灯の光(消灯していても少し明かりがあります)やうるさい声がかなりシャットダウンされたので。

 

3日目:導尿の管が外されました。医師がやるのかと思ったら、看護師さんがやってくれました。もうオチンチン見られるとか、そんなこと考えている余裕ゼロです。外す瞬間少し オチンチンが痛かったけど、でも大したことなかったです。

それより導尿がなくなって安心しました。

心電図の線も、点滴もその後、外されて ようやく自由になりました。

しかし、そうなると 今度は尿管に残されたステントが気になりました。

 

オシッコするとすごく尿管が痛みます。

残尿時特に キュウ~と痛みます。

ちなみに尿は赤ワイン状態です。ゲゲゲゲ。ほんとに嫌です。気がめいります。しばらく気分が悪くなります。

ですからオシッコ行くのが憂鬱です。

でも、水分はたくさん取ってください、とのことだったので、

水を飲まないわけにはいかず、飲むと 頻尿なので、30分に一回くらい オシッコに行く、イテテテ、赤ワインをみて、ゲゲゲゲゲ、の連続でした。辛かった~~。

 

しかもオシッコは、便器にするのではなく、おおきいカップにします。赤ワインを濾して別の容器にためます。気持ち悪い・・・・。ゲゲ。

それを看護師や医師があとから観察するわけです。石がまだ混じっていないか、血尿の状態はどうか、など・・・。

 

こうして思い出すだけでも気持ち悪くなってきました。

 

4日目:退院です。まだおしっこは赤ワインでした。。。私が心配して看護師さんに相談すると、

看護師さんが「ん~けっこうまだ濃いですね??」少し心配して医師に連絡してくれました。

でも、医師は、、

「大丈夫です。とにかく水をたくさんとってください。水取らないと血が固まったりして治りが遅くなります。そもそも水取れば血尿薄まりますから。ね」

でした。

 

ようやくフラフラになり路線バスで帰宅したら、家がゴミ屋敷と化しており(同居の息子が原因)、怒り爆発してしまいました。

(ごめんね、体調最悪でイライラして、ちょっと 関係ないことまで怒りすぎた・・。)

 

帰宅しても血尿はワインのまま、排尿痛もつらい・・・。とにかく水を飲まなくては・・。

 

5日目(金曜日):少し血尿が薄くなったかも?でも、まだはっきりわかります。やだなあ・・。あした仕事に行くのが嫌になりました。

動くと尿管に残したステント動いて出血がひどくなるようで、怖い・・・。

結局明日は仕事行くの辞めました。すいません・・・。

とにかく水を飲まなければ・・。ああ憂鬱。

おまけに、仕事のこと家庭のこと いろいろ考えるとノイローゼになってしまいそう・・・。

 

6日目(土曜日):ずいぶん血尿が薄くなってきた。しかし、まだ血のりみたいなのが出る・・

 

7日目(日曜日):ようやく 薄い紅茶みたいに

8日目(月曜日):まだ微妙に血尿出てますが、ほとんど戻ったかな? 右わき腹や、膀胱、尿道あたりの、尿管ステントの違和感は消えませんが、イタタタタ、、、というのはなくなりました。

 

徐々によくなってます。

今度は、家庭や仕事のことを考えるようになり、憂鬱になります。

早く絶好調になり、またバリバリ運動したいです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

またなりましたノロ。

家庭内が不衛生であるからだと思います。

神経質なのは私だけ。いくら一人でがんばっても無理。

 

結局感染、発症するのはいつもワタシ。胃腸が弱いから・・・

もう完治しているのだけど またおかゆしか食べれない・・・

先日は実家近くに メトロポリタンライブラリができたので、

さっそく調べごとがあったついで、見学してきました。

広くてキレイですね。

実家からも駅からも近いし助かります。

この日は、

国分寺駅のほんやら洞でカレーを食ってから、

歩いて 図書館まで行ってみました。

国分寺駅からも近いです。

 

19世紀のArnold Böcklinという画家の画集を探しに行ったのですが、

残念ながら 見当たらず。

さっそくリファレンス窓口に相談に行きました。

天下のメトロポリタンライブラリの司書さんのスキルがどうなのか、という意地悪な好奇心も少しありました。

 

お若い司書さんは、一般の人と同じDB検索をして、

私が、すでに実施した同じ結果を、画面で見せてくれましたが、

やはり画集はないようです。

可能性のある棚番を教えてもらいましたが、行ってみてもやはりありませんでした。閉架にもないようです。

 

まさかメトロポリタンに来ればあると思ったのに、かすりもせずがっかりすると、

初老の職員さんが(かなりオーラを感じるベテランの方)が声をかけてくれ、一緒に探してくれた。

さらに、学術系DBや海外美術系のDBなどでも検索をかけてくれました(LondonなんたらArtなんたらとか書いてあったけどよくわからなかった・・)。

結論は所蔵されていないのではなく、そもそも出版、製造されていないということ。あるわけないよな~。

それはそれで収穫ではあった。

 

しかしまあ先日、

灯台経済学部をご卒業なさったどこぞのアホ大臣が

学芸員が癌だの、全員クビにしただの、

ふざけたことぬかしやがってホントにハラが立ちました。

 

学芸員さんや司書さんが難しい資格を取って、

数少ない活躍の場で選ばれ、

薄給で困難な仕事に、日々献身的に奉仕している現実を

知らんのか。

どれほど文化芸術の分野で貢献されているのかを。

 

下品なことは言いたくないが、

ほんとこのクソジジイ○ンデくんねえかな、

と思いました・・笑

うちには受験生が1名いるのですがすっかり忘れておりました。
緊迫感がまったくありません。

中学受験の際は、家族全員ピリピリしておりました。
公立中高一貫校受検だったので滑り止めなしの一発勝負。
貧困家庭のくせに、塾に高額の費用を投資したわけですから、
もうドキドキでした。

奇跡的に合格したので、あとの6年間は全部学校に任せて、
ほっとけば東大入ってくれるだろ~バンザイ~
なんて喜んでおりました。

いや甘かった。
6年経ってすっかり凡人になってしまいました。
もう半分大人だから もう干渉はできません。
自分のしたいようにさせております。
しつこいようですが、貧困家庭なので、
予備校も塾も行っておりません。

自宅から通える国公立大以外は 学費払えないから、
我が家の子供だちは、奨学金もらって自分で大学行かねばなりません。
まあ国立落ちても 滑り止めで都の西北大くらい入るだろうなんて~ハッハッハ、
本気で思ってました最近まで。
アホですよね。
現状、都の西北大どころかビートタケシの出身大学すら無理のようです。
だったら私の母校H大を勧めているのですが、
よほどアホな大学だと思っているらしく、今のところスルーされています。
てか、お前の模試の結果からすると、H大とか、CHUO大がちょうどいいレベルじゃん・・・。

塾にも通わず、学費も払えず、図書館で毎日夜遅くまで勉強に励む息子が不憫でなりません・・・







ある日突然、コカコーラみたいな 尿が出て 超あせった ^^;
痛みを伴わない 血尿は 医師のセオリーでは 膀胱がんを疑え、だからだ。

今度こそ 膀胱がんだな、死を覚悟した。
力が抜けた。

夜治ったので安心していたら、
翌日また・・・ ゲゲゲ

もう仕事どころではない。
時間外であったが、即効病院連絡して、予約する。
会社は有無を言わさず早退します~と。

レントゲンでは 右腎臓に 5mmほどの結石が・・・・。
なあんだ また結石かい。
これでもう10回目くらいである。

でも今回のは全然痛くない、
と思っていたら、
その日の夜中、きました。イテテテ。

いつの間にか 痛みは収まり寝ました。

翌日も ずっと血尿。かなり濃いです・・・

そして いよいよ 本格的な痛みが襲ってきました。
激痛。意識失いそう。。。


3時間くらいしたら おさまってきた。

おしっこも ほぼ透明に!

痛くないのって なんて幸せなんだろう、
と思いました。そのときだけ。


翌週またレントゲン撮ったら 石は腎臓に少し戻ったみたい とのこと。
げげげ。
出たんじゃなくて 戻ったのかい??!

しばらく様子見です・・

いつまでも腎臓で おとなしくしていてね・・・



消化器科 行った。
ピロリ菌の呼気検査実施。
除去治療をしてから、3ヵ月後の検査。

ピロリ菌 いなくなった!

よかった~。

ピロリ菌の除菌完了しました。
というか、薬1日2回飲み続けただけ。

ピロリ菌の呼気検査は7月です。
ピロリ菌よ 復活しないでおくれ。

はたして あんな抗生剤で死滅したのであろうか・・・
風邪や咳で処方される普通の抗生剤なのだが。


膝蓋骨骨折って こんなに大変な 傷害だったのですね・・笑

まだビッコ引いて歩いています。
家やオフィス内であれば 杖はいりませんが、
外出時に必須です。
杖無しで数分歩いていると、膝の横が痛くなるからです。
階段は登りならなんとか杖無しで行けますが、
下りは危険です。できないことはないのですが。

いずれにせよ、ひどいスタイルでびっこ引いて歩いている毎日です。
見た目普通に障害者なので みな哀れな目で見ています。ああいやだ。

朝一は立ち上がるのも一苦労ですし、
夜中 トイレに起きるのもめんどくさい。

筋肉がまだ未発達なのと、 膝関節の可動域が まだ90度くらいだからです。

筋力がないので体重をかけると、膝はふにゃふにゃで ガクっと 折れそうになります。

可動域が狭いので、下り階段で膝が曲げることができず、うまく足が下段に運べません。
たとえ運べたとしても、一瞬 片足に全体重がかかるわけで、
もともと筋力の無い曲げた膝に、全体重がかかると、下り階段の途中で大変なことになります・・笑

それにもかかわらず都心の駅では 後ろからどんどん人が来て、
階段は押すな押すな状態になるわけで、
まさに生きるか死ぬか状態になるわけです。

私はある意味 M系な人間なので、この死ぬか生きるかの緊迫感、
スリルがあって 毎日楽しんでおります。
またこの肉体的試練および 精神的葛藤に耐え忍んでいる日常も、
ある意味 快感です・・・・笑

ビッコ引いて、のろのろ歩いていて、ヤンキーの兄ちゃんに突き飛ばされ、
ジャマなショウガイシャヤロウだな、と チッ っと舌打ちをされ、
前をまったく見ないスマホ歩き姉ちゃんの突進を、必死に回避。

悟りを開いた今は、フッと一人笑顔を浮かべる(笑)ことができるくらい、
心に余裕ができました。

ようやく松葉杖から脱却し、
アマゾンで1200円でポチった登山用のT型ステッキで 毎日歩行しております。

細いステッキ1本だと かなり歩きづらいですが、しかし、左足をどんどん鍛えなければなりません。
ほぼゼロになった筋力回復と膝の可動域回復がいまの課題です。

筋肉、筋力はないので、まったく左足に力が入りませんでした。
骨折して痛んだ膝をギプスで1ヶ月固定していたので、
筋と腱が癒着して膝が曲がりませんでした。

杖にビッコですが、歩くスピードは徐々に速くなりました。
膝もようやく 90度くらい曲がるようになりました。
しかし、階段はまだ難しいです。特に下りは怖くてなかなか降りることができません。

満員電車乗車もずいぶんラクになり、まだまだ優先席ですが、ほっとしております。
まずは 杖なしで歩けるようになることが次の目標です。

とにかく朝5時台におきて、ノロノロ歩きで8時半に会社に到着する生活はうんざりです。
退社も定時きっかりで帰宅が20時、
すぐご飯食べて22時に寝る。

そんな健全な生活から早く脱却して、
ネットサヒンで不健全に夜更かしし、朝寝坊がしたい!笑

この60日間生活が一変しました。
足が痛いし不自由な生活を強いられましたが、とても勉強になった、というのが正直な気持ちです。
カラダは弱っていますが、心はなぜかたくましくなった気がします。
小さなことでくよくよしていられませんでした。
足は痛かったですがなぜか晴れ晴れとしていました。
カラダが健康なときは毎日鬱屈としていましたから。

家庭、通勤、会社でいやな思いもしましたが、その3倍4倍も、やさしい思いやりに触れることができました。
ギプスをして、松葉杖2本で必死に歩いていると いろいろな方が声をかけてくれます。
いや、何度救われたことか。

バス停のおじさん。杖で歩いていた面白いおばあさん。昼食時毎日お茶をいれてくれる同僚。
荷物を持ってくれる上司。階段で手を貸してくれたお嬢さん。
エレベータまで誘導してくれた小学生の女の子。
もうほんとうにたくさんの方の思いやりをいただきました。

思い出すと涙腺が緩まずにはいられません。
骨折くらいで大げさですが、私にとっては人生の大事件になりました。


さてリハビリをさぼると膝がどんどん固着して曲がらなくなり、
障害者になってしまいますので、
ガンガン ヒイヒイ痛みをこらえながら膝曲げに励みます。

そしてまた雲取山の頂上に行きたいです。