静岡県の漁村に暮らす心屋塾認定講師

いがぐりこ、こと、栗林あやです。

 

 

何かの先生に教えを乞う時に、大事なことがある。

 

それは「その人になりたいか?」ということである。

 

 

その先生が言っていることでなくて、

 

その先生は、自分が切望して送りたいと思っているような人生を、実際に歩んでいるのか?ってこと。

 

わたしが模範にしている人生を歩んでいるか?ってこと。

 

 

なぜか、道に迷ってしまっている人って、

トンチンカンな人の言うことを信じたり、教えを受けている。

 

いや、別にそれぞれの好みだから、

それでいいならいいんだけど。

 

 

その先生は、本当にあなたが送りたい人生を送っているんだろうか?

 

 

私たちって、

その人の発言やその人の一部を切り取って、

勝手に都合よく解釈して、自分の中でヒーローにしてしまう。

 

また、世間的なヒーロー像とか

コミュニティでのアイドル像に目を奪われて

勝手に偶像を作り上げる。

 

 

 

いや、ちょっと待てよと。

 

その人は、本当にあなたが送りたい人生を送っているんだろうか?

 

世間の目につきやすい、人生のほんの一部分は華やかだけど、あとの私生活はボロボロ。人間性に難あり。

 

そんな人、たくさんいた(いる)。

 

 

あなたがメンターにしようとしているその人は、

 

本当にあなたが切望して送りたいと思っているような人生を、実際に歩んでいるのだろうか?

 

あなたが模範にしている人生を歩んでいるのだろうか?

 

 

 

 

わたしはずっと、子育てに劣等感を持っていて、

「あの人みたいに子供と接することができない私はダメだ」と自分を責めていた。

 

 

その「ある人」とは、子供の習い事のM先生だった。

 

▼2013年すごく前の記事。

 

 

 

あれから8年経つけど、一昨年くらいにやっと気づいた。

 

 

わたし・・・・別に

M先生みたいな人生は歩みたく無いや。(笑)

 

 

それに気づいたら、なんだかすごく楽になった。

 

M先生みたいになりたくて、

M先生みたいに子供と接したくて、

M先生みたいな対応をしなくちゃしなくちゃと焦っていたし、

そうできない自分を責めていたけど、

 

 

よくよく観察してみたら・・・・・

 

別にM先生の人生には憧れない。(笑)

 

わたしは私の人生の方がいいや。(笑)

 

 

なんだ。私基準で、私の人生の方が幸せだった。

 

なんでM先生になろうとしていたんだろう。(笑)

 

 

その馬鹿馬鹿しさに気づいたら

なんだかとても楽になった。

 

 

 

「本当にその人になりたいのか?」

 

 

M先生は、英会話の先生だから、子供が英会話を習えればいい。

 

別に、私がM先生の人生をリスペクトする必要はない。

 

 

でも、誰かから教えを乞う時。

 

特に「幸せになる方法」や「心の安定」の教えを乞う時。

 

 

「本当にその人になりたいのか?」

 

「その先生は、自分が切望して送りたいと思っているような人生を、実際に歩んでいるのか?」


この視点が抜け落ちていると、本当に悲惨である。

まあ、いろんな意味で自戒も込めて。

 

 

人生のメンターやコーチ選びは、本当に重要だ。