わたしは、2013年。

 

今から6年前。

 

 

 

当時「何かあった時のために取っておこう」と、

 

独身時代から貯めていた

 

定期預金の残高 114万1912円が、

 

あっけなく、残高 6千円 になった。

 

 

 

>>6年前の当時の記事(けっこう赤裸々である)

 

 

 

 

わたしの有り金、全部だった。

 

6千円。

 

 

 

 

 

そして、翌年、

 

なんか知らんけど

 

その 6千円 だった定期預金通帳の残高が、

 

30万円 ほどに増えていた。

 

 

 

貯めようとしたのではなく、

 

カウンセラー業を始めて、1年で自然と貯まった。

 

 

>>5年前の当時の記事(これまた、けっこう赤裸々である)

 

 

 

 

あれから5年。

 

 

 

ありがたいことに

 

その後も順調に収入が増えて自然とお金が貯まり、

 

あの頃のわたしからは

 

とても予想できないくらいの預金残高の数字になった。

 

 

 

正確には、その後、仕事用の口座を開設したので

 

今、貯まっているお金は

 

あのときの定期預金口座とは、別の口座に入っているんだけどね。

 

 

 

 

そして、その後も着々とお仕事をいただくようになって、

 

数年前ついに

 

個人事業主として 売上高が所定の条件を超えたので、

 

 

納税事業者として

 

国に消費税を納めるようにもなった。

 

 

 

 

6年前の 残高6千円 の世界とは、

 

今は想像もつかないところに来た。

 

 

 

 

でも、わたしの「預金通帳」の感覚は、

 

あの時の残高6千円のままである。

 

その、数字が変わっただけ。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

お金と貯金について、

 

たぶん、人と違った妙な感覚がある。

 

 

 

 

それは「お金に関する臨場感」のことである。

 

 

 

お金を 払う時も、いただく時も、

 

お金そのものに、

 

ものすごく「物語」や「そこに伝わる想い」を感じる。

 

 

 

お金そのものに、

 

ここに来るまでに通ってきた背景や

 

出した人の匂いも色もついているような

 

そんな妄想と感覚が溢れ出してくる。

 

「一円玉の旅がらす」的なやつね。あくまで妄想的なものです。)

 

 

 

これは、現金でも、銀行振込でも、カードでも、電子マネーでもそう。

 

お金に臨場感がある。

 

 

 

 

なのに、

 

「通帳の預金残高」になって

 

「数字」として「記帳」されると たちまち、

 

 

うまく表現できないんだけど

 

「全く臨場感のない、ただの算用数字」に変わる。

 

 

 

上で紹介した記事、

 

6年前に、114万1912円があっけなく残高 6千円 になった、

 

あの時もそうだった。

 

 

 

113万円を支払って

 

払うところまではすごくドキドキして臨場感があったけど、

 

 

実際に記帳したら、

 

「1,141,912」というただの数字が

 

「6,000」というただの数字になっただけだった。

 

 

 

 

みんなもそんな感覚だろうか???

 

 

 

 

今、その数字がどんだけ増えても、

 

「ただの数字」が変動しただけのように思える。

 

 

 

 

これには、特に、良いも悪いもない。

 

正解も不正解もない。

 

単に、わたしには、そう感じるだけ。

 

 

 

 

だからこそ、

 

臨場感のある「払う時」と「いただく時」が、

 

私にとって、なんだか特別な瞬間である。

 

 

 

 

わたしは、この仕事をはじめて、

 

大好きで大切な人たちから、お金をいただくようになった。

 

(ありがとうございます。)

 

 

 

 

いただいたお金に「物語」や「そこに伝わる想い」を感じる。

 

 

だから、使う時も、大切な人に使いたい。

 

 

 

そして、

 

大切な自分のためにお金を使いたいし、

 

もし、誰かに渡すことがあるのなら

 

大切な人に渡したい。

 

 

お金を、大好きな人に渡したい。

 

 

 

 

 

もともとは、残高6千円だった、全財産である。

 

 

 

だから 今のこの通帳残高の「数字」も、無いのと同じ。

 

もともと無かったものだから。

 

 

 

 

矛盾しているように見えるけど

 

だからこそ。

 

どうせもともと無かったものだからこそ。

 

 

 

 

自分も含め、大切な人のために

 

大好きな人たちのもとに

 

この「ただの数字」だったお金が

 

使われてゆくのなら

 

こんなに嬉しいことはないと思っている。

 

 

 

 

もともとは、ただの数字。

 

もともとは、私には無かったお金。

 

そもそも、わたしのものじゃないお金。

 

 

 

 

大事な人たちからいただいたお金。

 

たくさんの物語を含んだお金。

 

 

 

 

だから、どうせ私のものじゃないお金なら、

 

大切な人たちからいただいたお金なので

 

大切な人のところに出したい。

 

 

 

 

くだらない買い物や、

 

よくわからん人にイヤイヤ出して消えてゆくより、

 

 

 

他人にアホだと言われても

 

くだらないと言われても

 

騙されていると言われても

 

無駄遣いだと言われても、

 

 

好きな人(自分自身も含め)に使うお金の方が

 

よっぽどいいと思っている。

 

 

 

 

 

大切な人のために、

 

大好きな人たちのもとに

 

この「ただの数字」だったお金が使われてゆくのなら

 

こんなに嬉しいことはない。

 

 

 

 

 

・・・・・

 

 

 

と、いう意気込みでいたら、

 

6年で自然とお金が貯まってた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「お金を貯めるにはどうしたらいいですか?」と聞かれた。

 

 

 

カウンセラーらしく

 

「なぜお金を貯めたいのですか?

 

 それは、お金ではなくて、本当は安心がほしいんじゃないの?」

 

などと、野暮なことは言わない。

 

 

 

 

逆説的になるけど、

 

ためしに通帳の今ある残高を

 

自分の「お金」だと思わずに、

 

「ただの数字」だと思ってみたらどうだろうか?

 

 

 

そんで、どうせその「数字」はなくなるので

 

せっかくなら、大事な人のために使ってはどうか?

 

 

 

大事な人のために使う。

 

使う時は、大事な人に渡す。

 

 

 

もともと、そのお金は、ただの「数字」であって

 

そして、自分のお金でもなくて、

 

誰か大事な人からもらったお金なので。